自閉症の兄を持つ一卵性の双子が、30歳になって届いた、母からのワード文書
私たち双子は、たくさんの人に支えられた結果、先日「30歳」を迎えることができた。(この場を借りて感謝👬!)
30歳を迎える瞬間、0歳の赤子双子を育て上げた母親・妙子さんから、こんな連絡が届いたのだ。
突然の「LINE」にワード文書・・・?
「最強の同志」
と書いてある。せっかく書いたらから送ります、か。
そう、そうなのである。母が紡いだ「最強の同志」の内容にえらく感動してしまい、母親に公開許可申請の稟議をたてた。無事、通過したので、文章をそのまま公開したいと思う。
重度知的障害に自閉症を併発する兄・翔太と、双子の弟たち文登・崇弥の3人を育てあげた母親の言葉が、少しでも多くの人に届きますように。
最強の同志
どんなことを思って子どもたちを育ててきたんだろう。
小さい頃は、勉強よりも友達といっぱい遊ばせたなあ。いろんな体験をさせたいと思っていた・・・
ううん、でも1番強い想いはこれだったのかもしれない。
「近所の人にわからないように外には出さないんだよ。」実家に子どもたちを連れて帰ると、よく母から言われた。
その度に私は心の中で「どうして?」と思った。
ひとり暮らしをしている母には母の生活があるので、口に出して言うことはなかったが、いつも思っていた。
私にとって、翔太も文登も崇弥も同じようにかわいい大事な子どもなのに、どうして翔太だけ障害があるからって隠さなきゃいけないの?
翔太は隠しておかなきゃいけないような恥ずかしい子どもじゃない!
私の母の年代は、障害のある子が生まれたら、そのことは話さず隠しておくものだというのが風潮だったのだと思う。
同じような年代やそう考える人たちから似たような言葉を投げかけられる度に、私のその想いはより一層強くなっていったように感じる。
そして、それはいつしか文登と崇弥への願いへとかわっていったのだろう。
お兄ちゃんを恥ずかしいと思わないで生きてほしい。
お兄ちゃんに障害があったから、僕はやりたいことができなかったんだ。お兄ちゃんに障害がなければよかったのにと思うことがないように育てたい。
もちろん、兄に障害があるためにこれからつらい思いをすることはいっぱいあるだろう。でも、お兄ちゃんを恥ずかしいから隠しておこうとは思わないでほしい。
そう思いながら、それはときに弱気になりそうな自分自身に言い聞かせていたのかもしれない。
ふたりが中学3年の体育祭に家族みんなでお弁当を持って応援に行ったとき、ふたりはお兄ちゃんが来ているのでいっしょに食べようとはしなかった。
怒った私は、お弁当を置いて翔太を連れて家に帰り、見たかった中学校最後の体育祭なのにもう見に行くことはしなかった。
でも、ごめん、あのとき私はふたりに怒っていたわけじゃなかったんだ。
ただ、心の中は誰にもぶつけられないやりきれない気持ちでいっぱいだった。私の想いが強すぎて、思春期の子どもたちにはつらい思いをさせてしまった。
ふたりが障害がある人に関わる仕事に就くことは、どうしようもない現実に思い悩むことも多いのではないかと思い正直望んではいなかった。
だから、障害がある人が描いたアートをネクタイにして販売してみたいと言われたときは驚いたけど、うれしいと思う気持ちも確かにあった。
自分の兄は自閉症だと全国、いや全世界へ発信しているふたりを亡くなった母が見たら、何て言うんだろう?
ずいぶん世の中も変わったもんだねと言うのかな。
これから、もっともっと変わるからね、お母さん。
私はずっとふたりに同志になってほしかったのかもしれないなあ。
ありがとう!最強の同志。
30歳おめでとう!