女剣士ミズキ改め_タイトル3

女剣士ミズキ改め、 ~全編~

    一、

 「ねえ、待って~!ねえ、あなた誰~?あたしのスイカ返して~!」
 駅の改札を出てからミズキは必死に走って追いかけた。
 しかし、ロータリーを回ってさらに走っていく男の子になぜか追いつけない。いつのまにか姿を見失い、ハアハア息を切らして交差点に立ち止まった。
 なんて早いの……もう……どこ行っちゃったの……)
 膝に手をついてがっくりと肩を落とし背中で息するミズキに
 「あの、どうかされましたか?大丈夫ですか?中で休みますか?」
 真夏の日盛りに中学生くらいの制服の少女がただならぬ様子でゼイゼイ荒い息なのだ。何かあったのかと、一人の女性がミズキに声をかけた。
 ミズキはハア~っと大きく息をついて
 「今ここを走っていった男の子……あたしのスイカ持っていっちゃったんです。五歳くらいの……麦わら帽子かぶった男の子」
 「え?西瓜?西瓜持って走ってる子は見ませんでしたけど」
 「あの、その西瓜じゃなくて……」
 ミズキはやっと体を起こし、その女性に目をやると、その女性は白いはっぴを着ている。
 「あの……ここはどこですか?」
 「春日部情報発信館、ぷらっとかすかべ。観光や名産品の案内をしているところです」
 見ると、壁面にクレヨンしんちゃんの絵が大きく描かれている。
 (ああ、そういえば春日部って、しんちゃんの……)
 「そうなんですか……私、五歳くらいの男の子に私のスイカのカードをもっていかれて探してたんです」
 「ああ、西瓜じゃなくて乗り物で使うスイカね。あはは……やだ。そうよね。でもあなた、今、手に持っているの、それスイカじゃないの?」
 「え?あっ!どうして?さっき男の子に持っていかれたのに!」
 ミズキは自分の右手にスイカが握られているのを見て、ぼうぜんとした。
 そんなミズキの様子に、保護する必要があると感じたのか、女性スタッフは施設内の休憩スペースに招き入れて座らせ、冷たいお茶を出した。
 「中学生さん?でも地元じゃないみたいね。どこから来たの?」
 「青梅です」
 「ええっ?青梅って、奥多摩の?遠くから来たのね。おまつりを見に来たの?親戚とか友達とかこっちにいるの?」
 ミズキは出されたお茶を口元にもっていくと、さすがにそうとうのどが渇いていたのか、一気にゴクゴクと流し込んで、ふう~っと息をついた。
 そこに家族らしい三人連れが入ってきて、何やらにぎやかになったのだが、言葉が日本語ではない。
 (中国語?)
 ミズキが目をやると先ほどのスタッフがその三人に英語で話しかけ、展示物について何か説明を始めた。十歳くらいの子どもはアニメの原画やグッズに顔を近づけてじっくり見ては両親に中国語で何か言っている。
 続いて入ってきたもう一組の客は浴衣を着たカップル。窓際に展示してある大きなみこしを見て何か話している。そこにも別のスタッフがついて説明している。
 「これは春日部夏まつりの発祥の八坂神社のみこしで、現在は担がれていないんですが、町内ごとのみこしが二十五基あって、今日と明日パレードなんですよ。とっても見ごたえがありますよ!」
 そこに先の中国人家族の母親らしき人が近づき、
 「キモノ~!」と声を上げた。子どもは外を走るしんちゃんのラッピングバスを目ざとく見つけて表に走って出ようとするのを父親に止められている。
 「こちらは、中国から観光で来たお客様で、お子さんはクレヨンしんちゃんの大ファンなんだそうですよ。今日は宿泊するゲストハウスで浴衣を着せてもらって夜はまつり見物だそうです」
 「へえ~、中国でもしんちゃん人気なんだ~。あはは、すごくない?」
カップルは中国人観光客に手を振って街へと出ていった。
 スタッフが休憩スペースのテーブルにお茶を三つ運び、中国人に勧めながら
 「ウエイタモメンプリーズ。ゲストハウスオーナーズカミングスーン」
 そしてミズキには「ゆっくりしてくださいね」と声をかけた。
 (あ、こうしてはいられない。あたし行くところがあるんだった)
 ミズキは立ち上がった。

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   二、

それは昨日のことだった。

「おーい、ミズキ~!」
 湿度のある冷たい風がほほをなでる川べりの下校の道を一人で歩くミズキを後ろから呼び止める声がした。
 「あ、亮平」
 「今日ミズキのクラスも移動教室の事前指導あったんだろ?ミズキの班、大丈夫か?美咲が言ってたけど、ほんとはミズキを自分の班に入れようと思ったけど、そうすると、あの変人の二人がさ、余っちゃうからって……。あの二人と一緒の班で不安ならさ、オレたちの班と一緒に行動すれば?オレたち人ごみ嫌いだからさ、スカイツリーに昇ったら、あとは隅田公園にいようって決めてんの。もし、他でお金使わなきゃさ、水上バスに乗ってもいいかなって」
 「水上バス?それ船なの?亮平、船好きなんだ。カヤックでは落ちたけど」
 「落ちたって、おい!あれは小三のときだろ?あんときの絵を描いてさ~。ひで~よ!それにしても、ミズキはいっつも絵を描いてたよな。それでよく張り出されて表彰されてたよな。今も描いてるのか?なんで美術部に入らなかったんだよ」
 (拙者、剣士の修行に忙しいのじゃ)
 ミズキは亮平の言葉には答えず、うつむき加減にやや足早になった。
 「オレ、小六の夏にはカヤック上達したんだぜ。あれはかっこよく描いてほしかったよ。でも、ミズキ、その時は来なかったし」
 なおも足早に行こうとするミズキに追いつきながら亮平が
 「ごめん!そうか、あの頃だったんだな、ミズキの母さん……」
 話題を変えようとした亮平が
 「だけどさ、ミズキのクラスにも来ただろ……あの歴女、国語の大木。スカイツリー周辺の話って……古文の授業みたいに板書しちゃって。能で泣いたとか、梅若の幽霊とかなんちゃらとか……。よっぽど大木のほうがなんかにとり憑かれてるって!」
 うつむいていたミズキがハッとして顔をあげた。
 (そうだ、あの時に聞こえた声が、ウメワカって……)
 そのとき、ふいに横から声がかかった。
 「あらま、久しぶり!ミズキちゃん」道沿いにある茶屋えんどうのおばちゃんだった。
 「うちのじいちゃんがね、すごく喜んでいたんだよ。ミズキちゃんがいつか描いてくれただろう?じいちゃんの絵。そのあと体悪くして寝込んでた時もね、枕元に置いてたんだよ。あの絵。ほんとに気に入ってたんだよ。亡くなってからもね、お仏壇のそばに置いてるよ。なんだか、じいちゃんがそこにいて見守ってくれてるみたいでね。あたしも心が落ち着くんだよ。今度おばちゃんの絵も描くねって言ってくれただろう?楽しみにしてるんだよ」
 ミズキはちょっと返事に困って会釈して立ち去った。
 「ミズキちゃん、かわいそうだよねえ。でもきっとまた描くよね。あの子は人が好き。それが絵に出てるもの。きっと大丈夫」
 ミズキたちを見送りながらおばちゃんは目を潤ませた。

 「ただいま」
小声で言い、そのまま二階の自分の部屋へ上がろうとするミズキに陽子が声をかけた。
 「あ、ミズキちゃんおかえりなさい。この間から話してた、あさっての日曜、あなたのお母さんの三回忌。今回はね、埼玉のお寺でやるの。あちらとの打ち合わせがあるから明日の土曜日から向こうに泊まるの……」
 ミズキは話を最後まで聞かず階段を上がり、部屋に入ってしまった。
 (あなたの母さんって……それじゃあ、あなたは誰?お父さんの二人目の妻?)
バタリとドアを閉め、カバンを放り出し、机の鏡に向かい
 (そして、私は誰?)
鏡に映った自分の顔は怒っているような、泣いているような、曇った顔の女の子だった。
 (はっ!拙者は女剣士ミズキではないか。女々しい顔などしておられぬ。女々しく弱い自分など斬って捨てるのじゃ!)
 ミズキは自分のほおを両手でパンパンと叩き、キリッとした表情を作った。
 この二年ほどの間、ミズキは自らを「孤高の女剣士ミズキ」と自称して周りとの交流を断ってきた。周りに宣言したわけではない。ただ自分に言い聞かせる自分のあり方として。それまで大好きだった絵も描かなくなっていた。何者にも何事にも心を動かさないようにしてきた。ひとたび心を動かせば自分が壊れそうな不安もあったのかもしれない。
 放り投げたカバンを開くと来週行われる移動教室のプリントが出てきた。
 (ふん、群れて動く移動教室など女剣士には似合わんのじゃ)

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 二年生の移動教室は、青梅と浅草、スカイツリーの電車の交通ルート、決められたエリアの中での班行動を計画し、与えられた三千円分のスイカとスカイツリー展望チケット、小遣いの二千円で見学し、後日レポートを提出して二学期の成績に加算されるというものだった。集合解散地点、スカイツリーのチェックポイントには教員が配置され、時間内にチェックしなければ家庭に連絡がいくのだった。
 班は仲のいい者同士が三、四人くっついてできたのだが、クラスに友だちのいない者もいる。ミズキは、そういう、いわば残り物同士のくっついた班の、しかもそれをまとめる班長になってしまったのだ。
 だが、ミズキの班のほかの二人はアニメおたくの深沢裕子といわゆるガリ勉の東出遼子。二人とも集団活動には消極的だから、三人揃って欠席ということもできるかと踏んでいた。
 しかしミズキの予想に反して、二人は乗り気で、スカイツリーにも行ったことがあり、集合解散場所の意見を出し、ミズキには見学場所の意見を求めてきた。意見を求められたミズキはプリントの地図の中の一つを指さした。ミズキはまだスカイツリーに行ったことがなく、地図の中の「公園」の文字が目に入っただけなのだ。
 「はい、隅田公園ですね」と二人がうなずいた。
 気持ちがついていかないミズキをよそに計画が立ってしまったのだ。
 それとは別にミズキには妙に気になることがあった。この数日間、自分に聞こえる何者かの声というか、メッセージのようなもの。
 それは移動教室の事前指導の時にも聞こえていた。担任の田川がクラスの生徒に向かって、スカイツリーの最寄り駅を知っているか?と尋ねたとき、
 「……ナ・リ・ヒ・ラ・バ・シ……」
 さらにその後、墨田区周辺の学習ということで、歴女と言われている国語科の大木が入ってきてプリントを配って板書しながら話しているときにも
 「先ほどお話しした『伊勢物語』、『東下り』の在原業平の都鳥の歌……。昔から、川には愛する人を思って流す涙にまつわる話が多いんですよ。私、浅草寺境内で行われた薪能を見たんです。その時の演目が『隅田川』、これがまた悲しいお話で……私泣いちゃったんですよ」
 そのときにまたミズキに聞こえてきた声。
 「……ウ・メ・ワ・カ・ヅ・カ……」
 まるでラジオのチューニング中に何かの拍子にどこか遠くの放送局のチャンネルに一瞬合った時のような、ノイズのかかった感じで聞こえるのだった。
 大木は時折涙ぐみながら話し続けていた。
 「人買いにさらわれ京の都から東国の武蔵の国に連れてこられた梅若丸という子どもが病で亡くなり、隅田川のあたりで捨てられてしまう。その子が死ぬ前に『ここに塚を作って柳を植えてほしい。そうすれば京都から来た人が見るだろうから』と言い残す。その死を知らずに母は半狂乱でわが子を訪ね歩いて、たどり着いた隅田川の対岸で何やら人々が集まっているのを見て、渡し守にあれは何かと尋ねる。渡し守が言うには、一年前に亡くなったかわいそうな幼児の死を哀れみ、一周忌の念仏を唱えていると。それこそ母が気が狂うほどに捜し歩いたわが子、梅若丸の塚、つまり墓だったのです。母と人々が念仏を唱える中、愛しいわが子が一瞬だけ姿を現し、念仏を唱えて消える。東の空が白むころ、母の目の前にあったのは塚に生い茂る草に過ぎなかった……」
 大木は話し終わる頃には自らハンカチでまぶたを抑えるほどになっていた。
 チャイムが鳴って皆がざわざわする間も大木は続けて
 「その梅若伝説ゆかりの場所が『梅若塚』、そしてその菩提を弔う寺が『木母寺』。どちらも墨田区にあります!」

  三、

(あー、なんだかやだ。法事も移動教室も、意味不明の声も)
 部屋の中までムシムシと暑くなって、ミズキは頭を掻きむしった。
 「ミズキちゃーん、お父さんお帰りですよー。お夕飯食べましょう!」と下から呼ばれた。
 「今度遠足があるんだって?どこに行くんだい?」と父の豊に聞かれ
 「遠足じゃなくて、移動教室。修学旅行の練習のスカイツリー周辺の見学。でも行けるかどうかわからない。なんだか風邪っぽくて熱が出そう……」
 ミズキは法事にも移動教室にも行けないという予防線を張ったのだった。
 そこに陽子が
 「スカイツリーっていうと、浅草の近くでしょ?浅草といえば、豊さんとミズキちゃんのお母さんの由香里さんが出会った場所ですよね。なんでも、由香里さんが浅草のサンバカーニバルを見に行った時に具合が悪くなって、電柱にもたれかかって休んでいたところに豊さんが通りかかって、声をかけられて、危ない男だと思って振り払おうとしたら『私、医者です』って。それを聞いてほっとして力が抜けて豊さんの腕に倒れこんだって……由香里さん、笑いながら私に話してくれたんですよ」
 にこやかに話すのだが、豊は首を振って話をさえぎって、ミズキに
 「風邪気味なら早く寝たほうがいい」と一言。
 ミズキには母がサンバカーニバルで父と出会ったことは初耳だったが、サンバには思い当たることがあった。二年前の六月、ミズキの十二歳の誕生日を前に母が言っていたこと。
 「ミズキの十二歳のお誕生日にはね、ママ、サンバ踊っちゃうよ!」
 「何言ってるの?ママ。サンバってブラジルのダンスでしょ?踊れるの?ほんとに踊る?それならね、あたし、ママがサンバ踊ってる絵を描くね!」
 けれど、母親がサンバを踊るお誕生日会は実現しなかった。由香里はその前に体調が悪くなり、豊の診療所ではなく、大きな総合病院に入院してしまったのだ。
 自分の部屋に上がっていくミズキに下のリビングから陽子と豊が小声で話しているのが聞こえてきた。
 (なに?また二人のヒソヒソ話?いっつもあたしに内緒で何か話して。だいたい、看護師だった陽子さんがいつの間にかお父さんと一緒になってて……あたしは何も聞かされてないのに……)
 ミズキは階段の踊り場に屈んで聞き耳を立てた。
 「思い出させる話はかえってよくないんじゃないか?折を見てあのことは話してやれば……」
 「ええ……でもミズキちゃん、傷ついたままの心に蓋しているように思うんです。前回検診に行った時に心療内科の先生にお会いしたので少し相談してみたんですよ。本人が望めばカウンセリングもするけれども、おうちでもお母さんのことを口に出せる機会を作ってみては?って言われたんです」
 (あのことって……何?カウンセリング?あたし病んでるの?)
 そのときにまたあの声が聞こえてきた。
 「……ィキナサィ……スミダガワ……ナリヒラバシ……ウメワカヅカ……」
 ミズキは本当に自分がおかしくなってしまったような気がして部屋に入るなり、ベッドに身を投げ出した。
 遠くから聞こえていた雷の音が徐々に近づき、大きくなっていた。そしてビカビカーッ!と稲光。その直後にドドーン!と地響きとともに大きな落雷。
 ミズキはびっくりして飛び起き、床にへたり込んだ。
 近くに落ちたらしく、部屋の電気が消え、真っ暗に。そして叩きつけるような雨音。ザーザーと窓にも吹き付ける雨音の中、また、あの声が。
 「……イキナサイ……」
 雷と雨の音にさえぎられながらも聞こえてくるのは
「……フル……スミダ……ウメワカ……カス……」
 ピカピカっと電気がつき、あたりを見回すと、床に投げ出されている移動教室のプリント。それを拾い上げ、ぼんやり眺めていたミズキが、ハッ!と何かを思いついたように顔をあげた。
 (そうだ、それしかない……)

   四、

翌朝、ミズキは陽子に向かい、
 「あの、言い忘れてましたが、実は今日が移動教室だったんです。帰宅は夕方になってしまうので、やはり法事には行けません」
 「えっ?今日だった?来週じゃなかったの?だってお弁当の用意もしてないし……」
 「大丈夫です。お弁当はいりません。現地で何か買って食べる予定です。夕飯も明日の食事も自分で買って食べますから心配いりません」
 部屋に戻って制服に着替え、リュックにプリント、財布、ケータイを入れ、背負いながらバタバタと玄関に向かうと、そこに陽子が立っていた。
 「お小遣いと二日分の食費が入ってます。それから今日明日お世話になる親戚の電話番号も書いてあります。くれぐれも気をつけて。何かあったら必ず連絡してね」
 「行ってきます!」
 なぜか、スッキリと明るく挨拶をして出かけるミズキだった。

 「さあ、女剣士ミズキの一人旅の始まりじゃ」
 ミズキは青く晴れた空に向かい、小声でつぶやいた。陽子に噓をついてまで法事を回避したやましさと、スカイツリーへの行き方を知らない自分の、あの班の二人への負い目を吹っ切るように。
 そして、あの幻聴のような声の正体も知りたかった。
 意気揚々と出かけたまではいいが、青梅の駅に着いて路線図を見上げた時、
 「あっ、しまった!お小遣い分の二千円しかお財布に入ってない!スイカと展望チケットは前日に渡されるんだった……。どうしよう……」
 早くも女剣士の心意気が消えかけたが
 「そうだ!陽子さんがくれた封筒に……ラッキー!一万円ある!」
 それでもミズキにとって初めての一人きりの遠出。駅員さんにスイカの買い方から乗り換えまで詳しく教えてもらった。
 青梅から浅草までは順調だった。しかし、ひとたび浅草で外に出ると外国人も混じった人、人、人。大海を泳ぐ金魚のようにやっとのことで東武浅草駅に着き、どれに乗ってもスカイツリーには着くというので空いているきれいな車両に乗り込んだのが失敗のもと。気がゆるんでついウトウトして乗り越してしまった。しかもそれは特急電車だったのだ。
 乗車券を見に来た車掌に起こされ、特急券を購入し、次の停車駅春日部で降りて折り返すことになった。ミズキは春日部で電車を降り、一番線と書かれたホームに向かった。
 (えっと、浅草行きって……)
 そのとき、電光掲示板を見上げるミズキの腕を誰かがきゅっと握った。見ると、麦わら帽子をかぶった男の子がミズキを見上げてにっこりと
 「おねえちゃん、こっちだよ!」
 ミズキは首を振りながら手を振りほどき
 「違います!人違いです!」
 かまわず、男の子はミズキが持っていスイカを奪い取り
 「おねえちゃん、早く早く!こっちこっち!」
 「ねえ、待って!人違いだから!ねえ、あたしのスイカ返して~」
 ミズキは男の子を追って改札を出てしまった。
 改札を出ても男の子はどんどん走っていくので、ミズキは必死に追いかけた……。

 それが今ここ、春日部情報発信館ぷらっとかすかべなのだった。

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  五、

ミズキが立ち上がって出ようとすると、先ほどのスタッフが近づきどこに行くのか尋ねた。
 「あの……業平橋とか、梅若塚とか……探しに……」
 (あ、なんで……あたし、スカイツリーって言おうとしたのに……)
 「梅若塚?ああ、フードセレクションのお菓子ね!あれ美味しいですよね!待って!パンフレットがありますから!」引き留めようとするスタッフ。
 「いえ、お菓子じゃなくて……」
 すると奥のほうから年配の男性が出てきて
 「梅若塚って、満願寺でしょ?業平橋も古隅田川にあるじゃない。待って。ほらこれ健康ウオーキングのマップ!これ持って行きなさいよ」
 (梅若塚は墨田区にあるんじゃないの?でも、古隅田川って……どこかで聞いたような。でもとにかく電車に乗らないと……)
 「ありがとうございます」と頭を下げ、出ていこうとしたとき、イーゼルにかけられた展示物に目が釘付けになった。それは何十枚かの名刺大のカードだった。その一枚一枚に動物などをモチーフにしたキャラクターが描かれており、それぞれに名前がついていた。
 (何なのこれ?すごくきれい……。街キャラカード?キャラクターカードなの?)

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 そこへ、カラコロカラコロ下駄の音を響かせてやって来た女ががうしろからふいにミズキに声をかけた。浴衣に前掛け、たすき掛けの、いかにも女将さんという恰好。
 「ねえそれ!かわいいでしょ!街のお店さんとか人とか名所とか、キャラクターにデザインされてるの。何もない街って言われるけどね、どうしてどうして、キャラクターの宝庫なんだから、春日部は。しんちゃんは著作権があるから市民は勝手に使えないけど、これはね、誰でも作れて、タダでもらえて、集めたり交換したりできるんだ。いいでしょ?あんた絵が好きそうね。そうだ、うちにおいでなさいよ」
 (初対面なのに絵が好きそうとか、家においでとか……なんなの?)
 「あの、私、行くところがあるんで……」
 「あのね、どこか行くにしても、お腹空いてるでしょ。顔色があんまりよくないよ。うちでおむすびでも食べて。それからでも遅くないから!」
 そういって、ミズキの手を握り、施設の中にすたすた入る女にスタッフがうんうんとうなずき、
 「あ、ハルさん、中国からの周さん一家も中にいらっしゃいますから、よろしくお願いします」
 「ハイハイ、ハロー!ウエルカムトゥーカスカベ!」
 ハルはミズキの手を握ったまま、中国人家族を引き連れて表に歩き出した。
 情報館のスタッフはお辞儀をして送り出した。

 ミズキが手をひかれるまま中国人家族と一緒にハルに連れられて行った所は木造の古い民家のようだが、そこがゲストハウスなのだった。
 「さあ、ここですよー。お疲れ様。周さん、どうぞ中へ。スタッフが案内します。あ、あんたはあそこ、縁側に座って待ってて。今おむすび持ってくるから」
 ハルがミズキに指さした庭のような駐車場のような所にテントが張られていた。その中にテーブルと椅子が置かれ、子どもたちが何か描いている。ミズキがそっとのぞき込んでみると、キャラクターのぬり絵をする子、自分でキャラクターのような絵を描いている子。
(あ、このぬり絵はさっき見たキャラクター……)

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 「はい、おむすび。それとお茶。さあこれ食べて!」
 ハルはお盆を縁側に置いて
 「食べたらね、ちょっと、あの子たちが絵を描くのをみてやってくれない?ありさが世話してくれてるけど、あの子一人じゃたいへんだから」
 女将の強引さに押されて、おむすびを食べると、なんだか気持ちが落ち着いたミズキ。子どもたちのほうを見ると、その中で高校生くらいの女の子がこちらに手招きしている。
 三、四歳の女の子がべそをかいて、何かもめていた。
 「この子、みゆちゃんっていうんだけど、美少女戦士のキャラクター描きたいって泣いてるの。あたし、絵は不得意だから、ちょっと見てあげてくれない?」
 みゆは泣きながら「あたしびしょうじょけんしルピーかくの」
 「ふ~ん、どんなのがいい?こういうのは?」
 ミズキはみゆの隣に座って白紙の用紙に絵を描いて見せた。
 「それ~、そういうの!あたし、これがいい!」
 みゆはすっかり機嫌が直って、ミズキの絵をお手本にして描き始めた。
 そばで絵を描いていたみゆの兄らしい男の子に日本の侍みたいなルピーはおかしいだろと言われても
 「これがいいんだから!みゆは!お兄ちゃんはだまっててよ!」
 兄弟げんかになりそうなのをなだめながら、ありさがそばに来て
 「ねえ、もしかして家出?」とミズキに耳打ちした。
 「あの……ちょっと違いますけど、まあ、同じようなものかも……」
 「ここはね、事情がある若い子は一泊だけならただで泊めてくれるから。今日はここに泊まれば? 」
 ミズキはありさがなぜ家出したのかと聞いたのか、そもそも何故、初めて会ったハルが自分の手を引いてここに連れてきたのかよくわからなかった。
 そして、ここに泊まっていくということに抵抗をあまり感じない自分も何故かわからず不思議な気持ちだった。
「さー、今日のお絵かきはこれでおしまい。バーベキューここで食べる人は6時にね、子ども300円。親が来るなら大人500円だよ。ハイ、解散!ありさはお客さんの着付け手伝ってね。他の人はバーベキューの準備!」
 ハルが数人のスタッフに指示して片づけとバーベキューの準備が始まった。
 「ハルさん、ミズキちゃんにも浴衣着せていいですか?それから、一泊させてあげてもいいですか?」
 ありさがハルに聞いた。
 「ああ、いいけどね。その前にちょっと本人と話すから」
 「あんた名前は?どこから来たの?」
 「実島ミズキです。青梅から来ました」
 「親は春日部にいること知ってるの?」
 「これから連絡します。両親も今日は法事で埼玉に泊まりなので」
 「あ、そう。宿泊代はいらないけど、お手伝いはしてもらうよ。それからメールのアドレス交換させて」

   六、

「あの……ありささん、ハルさんって、お母さんですか?」
 「ハルさんはここの大家さん。あたしはスタッフを兼ねた住人。お姉ちゃんはいるけど、両親はいないの。ここのスタッフみんなここに住んでるの。ここのみんなが家族みたいなもんかな、あはは……」
 ありさはリビングでしゃべりながら手際よくミズキに浴衣を着せていった。
 「すごいですね、ありささん、浴衣を着せられるなんて」
 「うん。ハルさんに教わったから。外国の人に着せるときはちょっと難しい。体形が日本人と違うの。でも中国人なら似たようなもんだから楽。外国人とはね、一緒に歩いて写真を撮ってあげたりするの。粕壁宿っていって江戸時代からの宿場町だったから、古いお店とか蔵とかあって、外国人はそこで着物着て写真撮るのがうれしいみたい。着物着て茶道っていうときもあるよ。だから茶道のお作法も覚えちゃった。お茶の先生は街の人。英語はお客さんから教わって……あはは、高校の友だちは塾とか行ってるけど、あたしはここが塾みたいなもん……あはは」

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 ありさはミズキの着付けを終えると、奥の座敷に中国人の女性を招き入れ、着付けを始めた。そこに女性の夫や子供も入って行き、男性二人にはハルが着付けを始めた。
 女性の着付けを終えてリビングに出てきて、そこで自分も浴衣に着替えようとしたありさに
 「ありさ、もうすぐバーベキューの支度始めるからさ、ここでなく部屋で着替えなよ」と紺色のスーツを着た若い女性が声をかけた。
 「あ、お姉ちゃん、お帰り。あの、この子ね、ミズキちゃん。今日一泊するの」
 「こんにちは」と頭を下げるミズキに
 「ミズキちゃん、いらっしゃい。あたし、ありさの姉のみちるです。あとでまたゆっくりね」
 和室の隣がありさとみちるの部屋だった。二段ベッドと二つの机と真ん中に丸いテーブル。化粧品や小物類がいかにも女子の部屋らしかった。
 「お姉ちゃんはね、大学生で、今就活中なの。調理師免許も菅理栄養士の資格も持ってるけど、就職って、たいへんらしくて……」
 そういいながら自分も浴衣に着替えていく。
 「ありささんも大学受験するんですか?」
 「う~ん、あたしはあんまり勉強好きじゃないから。でも、子どもが好きだから保育士さんになりたい。できれば前にいた施設で保育士さんになりたい」
 「えっ?施設って?」
 「児童養護施設。お姉ちゃんが高校卒業まではいたんだけど、卒業すると出なきゃいけなくて。それであたしもお姉ちゃんと一緒に出たの。お姉ちゃんはあたしが高校出るまで残っててほしかったと思うけど、お姉ちゃんがアパート探そうとしてたらハルさんが声をかけてくれて、ここで一緒に住んだら?って」
 着替え終わってリビングに出ると、中国人の女性が何か言いながら帯を緩めようとしている。
 「苦しい?でも、ノーノー!緩めちゃダメ!着崩れするから!ガマンガマン!」とハルは笑った。
 「それじゃあ、ありさとミズキ、頼むね。周さんたちの日本語は片言だからね、買い物とかみてやってね」
 大通りはみこしのパレードが始まっていた。みこしと次のみこしの間には担ぐ人、世話人、ついて歩く人、両脇の歩道は露天商と見物人で埋め尽くされ、たいへんな混みよう。みこしの飾りのシャンシャンという音、掛け声、下駄の音や話し声、風船を膨らます音、香ばしい香り、甘い香り……こうこうとした光や音や匂い。その雑踏に囲まれ、ミズキはありさのあとをついて歩いた。

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   七、

 中国人家族の母親は露店の食べ物に興味津々で覗き込んでは何か言い、ありさを介して買ってはほおばる。その息子は何かをみつけたのか、道路の反対側へみこしの間をくぐって行ってしまった。
 「ありささん!周さんの子があっちに!」ミズキはありさに声をかけた。
 ありさが周さんに声をかけ、そちらに向かうと、そこはお面の屋台だった。アニメのキャラクターが並んだお面に夢中になっているのだった。
 すると今度は、周さんが妻がいないと言い出した。奥さんがイカ焼きをほおばっていた屋台に戻ったが、いない。あたりを見回してもいない。
 だが、周さん父子はもう宿に戻りたいと言い出した。
 「それじゃあ、いったん送ってからまた探しにこよう。もしかしたら奥さん戻ってるかもしれないし」
 そう言って二人を連れて戻ろうとするありさにミズキは
 「あの、あたしはもうちょっと探してみますから、二人を連れて戻ってください」
 「え?ミズキちゃん一人で大丈夫?」
 「はい、もし迷ったらまた誰かに聞きますから大丈夫です!」
 ミズキは周さんの奥さんを探しながらこちら側の歩道を端まで行き、折り返して反対側の歩道を歩いた。
 (いないなあ……もしかしたらあっちかな……)
 大通りの十字路を駅と反対側へ行ってみることにした。目の前にはアーチ状にほのかにライトアップされた橋。

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 ミズキは橋を起点に左右に伸びる川岸を見つめた。
 大通りは露店の照明がまぶしいほどの明るさだったのに、川べりは灯りもなく古い商家の蔵の裏手はまるで時代劇で見たような暗がりで、怖いくらいだった。
 その暗がりの中に一組の親子連れの姿が現れた。
 「あの~、浴衣の女の人見ませんでしたか?中国人なんですけど」
 その親子連れは黙って先のほうを指さした。
 「あっちですか?ありがとうございます」
 そう言って通り過ぎようとしたとき、その親子連れの子どものほうが麦わら帽子のあの子に似ていたので、あっ!と思い、振り返った。けれど、もう二人の姿はどこにも見えなかった。ミズキはなんだかゾクッとして、急ぎ足でその場所を抜けようとしたとき、暗い川岸にうずくまっている何者かにぶつかり、転びそうになった。
 「ごめんなさい!」
 その何者かは立ち上がりミズキに向かってきた。
 「ウ、ウ、ウ……ワ……ワタシノコドモ、ドコイマスカ……」
 はだけた着物のすそをひきずり、振り乱した長い髪が顔を覆っている女がミズキに抱き着いてきた。
 「ヒエ~~~~~!イヤ~~~~~ッ!!」
 ミズキはその女と一緒に尻もちをついた。怖くて目を開けられないミズキ。
 そのとき、「どうしました?大丈夫ですか?」と男性の声がした。
 「あらあら、転んじゃいましたか。はい、二人ともゆっくり立ち上がって」
 と助け起こされ、ミズキが目を開けると、そこには、髪も浴衣も乱れきった周さんの奥さんが放心状態で立っていた。
 「あの、周さん、子どもさん、いました。ユアサン、オーライ、セーフ!」
 それを聞いて「オーライ?アア~アア~……」顔に手を当て泣き始めた。
 「あたし、ハルさんのところに連絡しなくちゃ。あっ、でもケータイ忘れてる!」
 「ハルさんとこ?そう、じゃあ僕、送っていきますよ」と助けてくれた男性。
 帰る途中ありさにも出会い、四人はゲストハウスに着いた。
 そこには先に帰った周さん、しんちゃんのお面を頭に乗せた周さんの息子も座っていた。ズルズルと浴衣を引きずりわが子に抱き着く母親の姿に息子はぎょっとしてたじろいだ。
 「一人っ子ですからね、あの国の人たち、子どもを溺愛しますな」そういう男性に
 「中国じゃなくてもね、親にとって子どもはいつも心配なものさ。探すのに必死で、動きにくいから帯自分で緩めちゃったんだねえ。石屋さん、今日はありがとう。さあ、なんか飲んで」
 「はいはい、じゃあビール一杯だけ。明日は満願寺で納骨があるんで」
 (満願寺って……情報館の所長さんが言ってたような……)
 「あの、満願寺って梅若塚があるところですか?あたしそこに行きたいんです」
 「じゃあ、僕が明日行くときに車で送ってあげましょうか?」
 それを聞いたハルが
 「歩いても行けるからさ、ミズキちゃん、明日一人で歩いて行ってごらん」

   八、

 翌朝、ミズキは6時半に起こされ、朝食の支度を手伝った。台所にはすでに二人のスタッフが準備を始めていた。
 「おはようございます。実島ミズキです。よろしくお願いします」
 渡されたエプロンを身につけながら改めて挨拶するミズキに
 「おはようミズキちゃん、恵美です」
 「ぼくは長島です。よろしくお願いします」
 「長島さんは大学生……ですか?」
 「えへへ……よく言われます。これでも一応卒業して、社会には出てるんですけど」
 居心地いいから大学出てからもここから離れられないんでしょと恵美に言われ
 「だって……設計事務所っていったって、ぼくなんかバイト扱いで給料安くて……それだけじゃ一人でやってけないし……国家試験だって受けたいし……食べるとこ、寝るとこ、ここのバイトの給料、ないと、ぼく……」
 「あ~あ~、それだから大学生って言われちゃうんだね~」
 「恵美さん、そう言っちゃいますか?これでも、ハルさんには大工仕事とか電気の簡単な工事とかやってもらって助かるって言われてるんですから。こんなぼくでも役に立つってうれしいじゃないですか」
「あはは、ごめん、ごめん、うんうん、助かってますよ。裕太の遊び相手してくれたりね。これからもよろしくね!」
 恵美は長島の背中をポンと叩いた。
ミズキにとっては総勢11人分の朝食の準備は初めてだった。前日にセッティングされたテーブルに運んで配膳するのを恵美に指示されながら動いた。あわただしかったが何故か楽しかった。用意ができる頃、皆集まってきた。
 こんなに大勢で朝食を囲むことがなかったミズキは圧倒されながらもいつもより食欲がわいて、ごはんのおかわりまでした。
 あっという間に皆朝食をたいらげ、後片付けのとき
 「ねえ、ミズキちゃんもハルさんからおむすびもらったの?」と恵美が聞いてきた。
 「はい、そうです。あの、お腹が空いているみたいだからって……」
 「うふふ、やっぱりね」
 「あの、おむすびって、何か意味があるんですか?」
 「あたしも三年前にね、ハルさんに声をかけられておむすびもらったの。家を飛び出して裕太と二人でふらふら歩いていた時」
 「ああ、そうでしたよね。そのあと恵美さん、裕太君を預けてちょっと出てくるって言って夜になっても戻ってこないしケータイも切ってるから、僕ら、もしかしたら捨て子?って思って、警察に行きましょうってハルさんに言ったら、ハルさんは、絶対に戻ってくるからって……」
 長島が口をはさんだ。
 「あはは、心配かけてごめんね。家に帰って自分たちの荷物、詰めるだけ詰めて、離婚届に自分のサインしたのをテーブルに置いて、実家とか知り合いに全部連絡した後で、ケータイの電源切って、ダンナが帰る前に家を出てここに戻ってきたのは夜遅くなっちゃって。そのあとはハルさんの息子さんの知り合いの弁護士さんに相談して、落ち着いたけど……あのとき、おむすびもらってなかったら、あたし、裕太道連れに……なんて……マジで危なかった。あれがなかったら、ここに住んで、整体師の資格取って、整体ルーム開くこともなかったんだわ」
 「へえ……おむすびって、なんかすごい……」
 「あはは、すごいのはハルさんの勘かな?あと、地域のつながり。昨日情報館から周さん一家到着の電話の時に、ミズキちゃんのこと、ちらっと聞いたんじゃないのかな、ハルさん」
 (あ~、それで、あたしに話しかけて連れてきたのか……)
玄関掃除はみちると一緒だった。
 「みちるさん、就活ってたいへんそうですね」
 「あ、うん。職種にもよるけどね。面接のときに家庭の事情とか質問されるとね、それが落とされる原因なのかなって、ちょっと思ったりして……でもあきらめることはないって、絶対大丈夫って、ハルさん、言ってくれるし……せっかく奨学金でなんとか大学辞めずに続けてきたんだから、あきらめたらもったいないよね。あたしの知り合いの中には家の都合で退学した人もいるから。あと、夜のバイトして疲れて授業に出られなくて単位落として留年っていう人もいるし。あたしはここで働いて、寮費と食費引いて、少しお小遣いが残る程度だけど、それでも楽なほう……みんなけっこう苦労してる」
 「そうなんですか。大学生もたいへんなんですね」
 掃除が終わってみちるといっしょにハルに報告にいくと、
 「はい、ミズキちゃん、これ水。迷ったり困ったことがあったらメールしてね。それからこれかぶって!」
 ハルはペットボトルの水を手渡し、麦わら帽子をミズキにかぶせた。
 「よく似合うじゃない。かわいいよ。春日部の特産品なんだからね。はい、それではいってらっしゃい!」

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   九、

 マップでは川をさかのぼって行くと梅若塚のある満願寺に出るのだった。明るい川べりは昨夜とは全く違って見えた。なんだかピクニックみたいでうきうきした。途中で川が分かれるところは地図通り、左の方へ。
 「そうか、こっちの細い川が古隅田川っていうのか……」

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 草が生い茂る細い川に添って歩いていたミズキがはたと立ち止まった。
 「川がない……」
 川が途切れているのだ。しかし、そのあたりにお寺など見当たらない。人も見当たらないので道を聞けない。

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 (どうしよう……そうだ、ハルさんに聞いてみよう)
 ハルにメールすると、すぐに返事が来た。
 「封筒の中にある番号に電話して」
 (え?封筒って?昨日陽子さんから渡されたのしかないけど、そういえば、電話番号を書いたって言ってた。でもなんでそれをハルさんが……)
 混乱しているところに、電話の着信。とりあえず、出てみると
 「ミズキちゃん?今どこ?おばさん、迎えに行きますから」
 「あの……すみません。どなたですか?私を知ってるんですか?」
 「あはは、ごめんなさい。初めてよね。私、小田文子です。ミズキちゃん、暗きょのところ?目の前に緑道があるでしょ。それを左に行くと東屋があるからそこで待ってて。すぐに行きます」
 ミズキには何が何だかわからなかったが、電話で言われたほうに行くと、休憩できる東屋があった。腰かけて待つとまもなく
 「あー、ミズキちゃん!来てくれてよかったー!」花束を持った文子がにこやかに近づいてきた。
 みずきは立ってぎこちなく会釈して
 「あの、私のこと知ってるんですか?」
 「知ってるよ。ちょくちょく写真見せてもらったもの。小さいころから節目節目にね、豊さんが手紙と写真送ってきたのを美千代さんがね、見せてくれたから」
 「美千代さん?」
 「そう、由香里さんのお母さん」
 「え?ママにお母さんいたんですか?知らなかった。」
 「そうだね、由香里さん、美千代さんと喧嘩別れして家出してからこちらに来ることも連絡も一切なかったから」
 「え?喧嘩……?家出……?こちらって?」
 いつも明るく笑っていた母が家出していたとは。しかもここが母の故郷だったとは、にわかには信じられない思いだった。
 「美千代さんは土地持ちのご主人を持って生活には困らなかったけれど、そのご主人が心臓の病気で、それも遺伝性の。由香里さんの次に生まれた男の子はその病気で五歳の時に亡くなって。まもなくご主人も亡くなって。美千代さん、由香里さんだけは病気に取られたくなかっと思う。厳しいくらいに過保護に育てたんだけど、由香里さん、それが窮屈でよく喧嘩してたらしいの。年頃になると美千代さんに結婚相手まで決められそうになって、大喧嘩して、もう家には戻らない、探さないでほしいって書置きして家出してしまったの」
 「あの……美千代さんはママを探さなかったんですか?」
 「そりゃあ、探したわよ。さんざん捜し歩いて……でも見つからない。もしかしたらどこかで亡くなってやしないかって思ったころにね、豊さんから手紙と生まれたばかりのミズキちゃんの写真が届いたの。由香里さんに内緒で豊さんが連絡をしてくれたの。豊さんがお医者さんで優しい人で子どもも授かって由香里さんが幸せなのを知って、美千代さん、ようやく踏ん切りがついたの。それで跡取りとして美千代さんの甥を養子にとって。それが私の主人」
 「美千代さんは今は?」
 「それがね……ちょうど由香里さんが亡くなってすぐ、脳内出血で亡くなったの。今日はその三回忌。それから私も驚いたんだけど、由香里さん、豊さんの籍に入ってなくて、内縁の妻でいたんだって。それで、三回忌を機会に実家のお墓に入るの。その納骨が今日なのよ。さあ、そろそろ法事が始まるから行きましょ」
 促されて農家の敷地のような細い道をミズキはぼんやりと歩いた。道は急に開けて、お寺の前に出た。
 黒い服を着た人たちの中から陽子が駆け寄ってきて
「ミズキちゃん、よく来られたわね。あ~よかった!」次いで豊も出てきて「さあ、中に入って。もう始まるから」

   十、

 ミズキは言われるままに本堂に座り、読経や焼香の間もぼんやりしていた。その後、お墓に移動すると、そこで墓石の作業している男性に「おや、また会いましたな、無事に梅若塚に来られたんですな」と声をかけられ、我に返ったミズキ。
 「あっ、昨日助けてくれた……石屋さん。梅若塚ってここなんですか?納骨って、ママのだったんですか……」
 「それでは家の方で簡単な食事を用意していますから、皆さんどうぞ」
 文子に促され、みな動き出した。境内にはこんもりと土盛りされたところに石碑があり、梅若塚と書かれていた。傍らには、ここが梅若伝説の地だという立札があった。

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(墨田区にあるって、先生、言ってたのに……春日部にあるなんて……梅若とお母さんはここに来たの?ということはさっきの川……古隅田川というのがほんとの隅田川?……なんだかよくわかんない……この法事も……わかんないことだらけ……)
 歩いて二、三分のところにある家に着き
 「ここがミズキちゃんのお母さんの実家よ。立派でしょ?」と陽子。
 広間のような部屋の大きなテーブルに料理が並び、奥に由香里と美千代の遺影が並んで置かれ、お坊さんの「献杯」の声で食事が始まった。
そこへ、豊が何か四角いものを抱えて持ってきて、包んでいた風呂敷をはずした。
 (それは……あっ!)
 ミズキは驚いて息をのんだ。
 「皆さん、今日は由香里を故郷に迎えてくださりありがとうございます」
 一同に頭を下げた豊は遺影に向いて、持っていたものを見せ
 「お母さん、これはあなたの孫、ミズキが描いて賞を取った絵です。由香里が無事に子供を産み、育てていけたのはあなたが由香里を大切に育ててくれたおかげです。ありがとうございました。由香里は本当はミズキを連れてあなたに会いに来たかったはずです。今日になってしまい、すみません。由香里は実島の籍に入らず、最後まであなたの娘でいました」
 会食の人の中から涙をすする音がした。
 「そして、由香里。自分の病を知りながらミズキを産んで育ててくれてありがとう。この絵は君が心待ちにしていたミズキの十二歳の誕生日を描いた絵だ。ミズキは今も元気だ。僕と陽子は君の思いを受け継いでいくから安心してくれ」
 それを聞いていたミズキはずっと胸に閉じ込めてきた思いが堰を切ったように一気にあふれ出した。
 「ごめんなさい、ごめんなさい!お父さん、ママを死なせたのは私です!ごめんなさい!」
 「う~うっ!うっ!う~~」両手を床についておえつした。
 「あの日、授賞式の日、入院してるママに挨拶していこうとしたら、ママ、いつもより息が荒くて、声も弱々しくて、気になったんだけど、ママが早く授賞式に行きなさい、早く!って言うから、あたし、看護師さんに連絡するの忘れて、そのまま会場に行っちゃって……あたしが行かなければ、あたしがちゃんと伝えていれば、ママ助かったかもしれないのに!うううっ……あたしのせいなんです!ごめんなさい!うううっ……うううっ……賞状を一番先にママに見せようと思って、病院に行ったら、あんなことになってて……それからはもう……何も覚えてなくて……そのあとも何も言えなくて……ずっとずっと……ごめんなさい!ごめんなさい!ううう、わあ~~~」
 ミズキは声をあげて泣きじゃくった。
 「違うのよ、そうじゃないのよ……」
 泣きじゃくるミズキを陽子がしっかりと抱え背中をさすり
 「ミズキちゃん、違うのよ。ごめんなさい。辛かったでしょうね」自分も涙で顔をぬらした。

  十一、

 豊もミズキの前に座り
 「ミズキ、今まで本当のことを話してやれなくてすまなかった。本当はミズキの十二歳の誕生日にすべて話そうと、由香里と陽子と三人で決めていたんだ。ミズキが無事に十二歳の誕生日を迎えられるということは病気の遺伝がないという証。それを祝おうと思っていた。由香里は自分の病を知っていた。美千代さんがどうしてあんなに自分に厳しくするかも。それでも、思い通りに生きることを選んで家を出てミズキを産んで、短くとも幸せな毎日だったと思う。ミズキの描く絵をいつも楽しみにしていた。由香里はミズキの誕生日を迎える前の死を覚悟していた。それでも授賞式まではどうしても生きたかった。ミズキを送り出してからすぐに由香里はナースコールしたんだ。だからミズキのせいじゃない!あの日以来口を閉ざしたミズキは由香里の死のショックから立ち直れないのだろうと、時間が心をいやすのを待っていたんだ」
 陽子もミズキに話しかけた。
「ミズキちゃん、ほんとにごめんなさい。ずっと話したかった。豊さんが妊娠した由香里さんを連れて診療所に来た時から、看護師だった私を由香里さんは家族同然にしてくれて。無事にミズキちゃんが生まれたとき由香里さん、私に『陽子さん、私の死んだあとはこの子の母親になってね。私は籍を入れないから、あなたが実島の籍に入ってね』って。子どもを産んだ日にそんなこと言うのやめてって言ったんだけど、それからも度々ミズキちゃんの母親、豊さんの奥さんになって欲しいって、本気でお願いされて……。入退院するようになってからは三人で話し合ったの。由香里さんが命ある限りは豊さんの妻として、ミズキちゃんのママとして存分に生きてもらおうって。その後のことは豊さんと私の二人で由香里さんの思いを引き継いでいこうって」
 ありったけの涙を出し尽くしてしまったミズキは顔をあげて
 「陽子さん、あたし、陽子さんのこと好きだし、ずっと頼りにしてました。ママの入院中も陽子さんがいたから寂しくなかった。でも、今の話聞いてもなんかはっきりしない。陽子さん、お父さんのこと好きなの?私のためだけじゃなくて。それならいいの。お父さんも、陽子さんのこと好きなの?素直に言って!」
 これには陽子も豊も顔を赤らめた。黙って聞いていたお坊さんが
 「ははは、これは娘に一本取られましたな。人間、素直が一番!はははは」
 一同に笑いが起こり、和やかな会食になった。お坊さんと親戚が引き上げると、おばさんが位牌と遺影を安置し、ミズキたちを仏間に招いた。
 仏間に入ったミズキは鴨居の写真を見て、あっ!と声をあげた。
 「あの写真の子は……誰ですか?」
 ミズキが指さす写真を見ておばさんは言った。
 「ああ、あれ、美千代さんの長男で、五歳で亡くなった新太郎ちゃん。かわいい盛りだったわねえ……」
 その写真に写っていたのは昨日ミズキを春日部駅から連れ出した、あの麦わら帽子の男の子だったのだ。
 (新太郎ちゃん……ママの弟……)
 これまでの奇妙な出来事のすべてがつながり、ミズキの頬に温かいものが流れ落ちてきた。それをぬぐうことなく、ミズキは仏壇に手を合わせた。

   十二、

 「ここはミズキちゃんの実家だと思って、いつでもおいで」
 「はい、また来ます。そうだ、あの……業平橋ってこの近くですか?」
 「ああ、業平橋ね。近くにあるよ。小さい橋だから見落とさないようにね」
 帰途は豊の運転する車だった。乗り込むと陽子が
 「ゲストハウスのハルさんにお礼を言って帰りましょう」
 「え?どうしてハルさんのこと知ってるんですか?ハルさんからのメールで封筒を見てって……おかしいと思ったんです」
 「あのね、昨日何度もミズキちゃんに電話しても出なくて、何度目かの時に女の人が出て『置き忘れてるケータイに何度も着信で、まま母って表示されてるから何かわけありかと思って出ました』って。場所を聞いてびっくりしちゃった。春日部にいるなんて。由香里さんがミズキちゃんをここに呼んだのかもしれないわねえ……」
 (ハルさん、わかっていて黙ってあたしを送り出したんだ)
 「あ、お父さん、ちょっと止まって。あ、これ業平橋」

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ゆっくりとその橋を渡り、市街地へ入って行く間、豊が話した。
 「由香里から以前聞いたことがあったんだ。実家の近くに古隅田川と業平橋と梅若塚があるって。梅若伝説って人さらいにさらわれた子の話でしょ?ぼくがお母さんに知らせなかったら、人さらいと同じになるからいやだと思って」
 車がゲストハウスに着き、駐車場に出ていたハルに豊と陽子が頭を下げ、お礼を言った。
ミズキもお礼を言おうと、ありがとうの他に何か言いたいのだけれど、うまく言葉にできない。そのとき、ハルは「ちょっと待って!」と言い、中から何かの紙をもって出てきた。
 「これ、ミズキちゃん、自分のキャラクターを描いたんでしょ?でも女剣士はあんたには合わないね。次に来るときは違うの描いてきて。昨日ここに来た時の顔とね、今の顔は違って見えるよ。あはは、いい意味でね」
 それは昨日みゆのお手本に描いた女剣士の絵だった。

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「はい、また必ず来ます。自分にぴったりなのを描いてきます」
 ミズキはハルの目をしっかりと見て言った。本当はハルが何か見透かしていながら黙って受け入れたり、送り出したり、キャラを変更するよう言ったり……ちょっと悔しいけど、感謝していることを言葉で表したかった。そしてこの旅で誰にも告げていない不思議な出来事の数々をハルには話してみたかった。でも、父と陽子が待っていたので、今はとりあえず、青梅に帰り、またここに必ず来て、その時にはきっと話そうと心に決めた。
 三人は春日部をあとにした。

 その後、あの声はもうすっかり聞こえなくなってしまったが、時折、何かがものを言わずに語りかけてくるように感じるとき、ミズキはスケッチブックを開いて描くようになっていた。
 夏休みには、麦わら帽子をかぶり、スケッチブックを持ち歩くミズキの姿が青梅にはあった。

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 夏休み前の移動教室?もちろんミズキは参加して、降りる駅も間違えなかった。
 

    おしまい

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