台所ぼかし

かすかべ思春期食堂~おむすびの隠し味~【Page19】

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三、奥多摩で ⓻

 金曜日の朝食の時、陽子が

「昨日、春日部のハルさんから電話があって、ありさちゃんの姉のみちるちゃんも就職が決まってやっと落ち着いたからそちらに伺いたいけど、日曜はどうですかっていうから、もちろんお待ちしてます!って伝えておいたわよ。ぜひ昼ごはんまでに来てくださいって言っておいたの。お祝いの食事、何がいいかしら」

「そんな、お姉ちゃんのお祝いなんて……気を遣わないでください」

 姉と喧嘩して家を飛び出して以来、電話もメールもしていないありさは姉との再会にちょっと気まずいのでした。

 そしてミズキはハルとみちるがありさを連れて帰ってしまうのではないかという懸念が頭をかすめました。もちろん、ありさと姉が仲直りするのは望んでいましたが、自分にできた姉のようなありさが急にいなくなるのは悲しかったのです。

 ありさもミズキも心がまとまらないまま、その時は来ました。

「まあ、いらっしゃい!遠いところすみません。こんな田舎まで。」

「いえいえ、ここも東京なんですよね。いいところですね!」

「あの、私、ありさの姉のみちるです。このたびはありさを助けていただいて、ありがとうございます。お世話になりました!ご挨拶遅くなってすみません」

「みちるさん、いらっしゃい!」と駆け寄るミズキ。

「さあ、二人とも上がって上がって」

 後方でうつむき加減に立っているありさにハルは近づき

「ありさ、本当によかったね、無事で。元気そうで何より。ミズキちゃんのお父さんお母さんのおかげだね」

 ありさはこくんとうなずきましたが、姉に向かってはまだ言葉らしい言葉をかけられません。

「今日のお昼は手巻きずしにしたんです。ありさちゃんがすし飯やネタを作るの手伝ってくれたんですよ。すごく手際のいい子ですね。家事もいろいろ手伝ってくれて。それから昼間は診療所で小さい子やお年寄りの面倒を見てくれて、こっちこそ助かっちゃってます」

 ハルとみちるにお茶を出しながら陽子はいつもよりテンション高くしゃべります。

「あっ!いけない。えんどうさんにワサビ頼んであったの。あれがないとね。ミズキちゃん、受け取ってきてくれない?」

「はい。あそうだ、ありさちゃんもみちるさんもいっしょに行きませんか?」

 ミズキはこれまでほとんど外に出なかったありさと、ありさと言葉を交わせていないみちるを誘って外に出ました。ミズキにとっては普段通りなれた通学の道でしたが、ありさとみちるには平野のど真ん中の春日部の景色とは違う奥多摩の自然の景色が珍しく、きょろきょろしながらついていきます。

 一方、家ではお茶を飲みながらミズキの父と母がハルにこれまでのありさのことや心療内科の先生からの話などを聞かせ、ハルは高校に出向いたときの話を一通り話しているのでした。

 「おや、ミズキちゃん、いらっしゃい!ワサビ、新鮮なの届いているよ。ほおら、このままでも香りが来るんだから」といってえんどうのおばちゃんが差し出した採りたてのまだ泥の付いた根ワサビをミズキは自分の鼻に近づけ

「あっ、ほんとだ。ツンとする匂い!ねえ、嗅いでみて!」と二人に差し出すと、ありさについでみちるは匂いを嗅いで

「この香り成分はアリルイソチオシアネートっていうんですよね」

「へえ、ずいぶんよく知っているんだねえ」とおばちゃん。

「おばちゃん、みちるさんは栄養士の資格を持ってるんです。そしてこちらは妹のありささん。二人とも埼玉の春日部から来たんです」

「おやまあ、そうかい。どおりでよく似てる。奥多摩のワサビは天下一品だよ。水がきれいだからね。これで手巻き寿司したら最高!最高!」

「川って多摩川?川崎のほうの多摩川には行ったことあるけど……。ここはその上流よね。そういえばありさが転んで助けてもらったところって、このそばなの?」とみちるが言うと

「あたしもその場所行ってみたい」とありさ。

「ありさちゃん、大丈夫ですか?ここから歩いて行けます。じゃあ、行ってみましょう」

 三人は川沿いに歩いていきました。このあたりだというところに来ると、

「ここじゃないですか?草が折れてへこんでます。ここで転んだんですよきっと」

「へえ、あたしの跡がついてるんだ。あはは……。昼間だったらなんでもないところなのに。むしろ景色のいいところなのに。あの時は怖くて暗くて、この世の終わりみたいな気がしてた……」

「だれだって知らないところで真っ暗だったら怖いですよ。ねえ、みちるさん」と言いながらミズキがみちるのほうに振り返ると、みちるは何も答えず、川を見て遠い目をして何か考え事をしているようでした。

「ここと同じ景色を見た気がする……。すごく似てる、あの日の景色と……」

「えっ?どこ?あたしも行ったことあるとこ?」

 みちるのつぶやきに反応して、この日初めてありさはみちるに話しかけました。

「そう、うちらふたりとパパとママ、4人で。前に住んでたところの近くの川にお弁当持ってピクニックに行ったの。土手でいっぱい遊んで帰ろうとしたら、ありさが疲れてぐずって、おんぶおんぶって……。パパがありさをおんぶして、あたしはママと手をつないで。川から吹く風が気持ちよかったから、ありさ、パパの背中ですぐ寝ちゃって……。家についてもありさは起きないからそのまま布団に寝かせて……。そしたらパパの会社から電話ですぐ来てくれって……。急ぎだからママが車で送っていくことになって、ママすぐ帰ってくるからありさを頼むわねって……、あたしは平気だよ、ありさのことは見てるから、いってらっしゃいって……う、う、う……でも、でも、いくら待っても待ってもママ帰ってこなくて……あうっ、あうっ……知らなかった……ああう……そのときは……ああ~ん……あん、あ~あ~、事故なんて……わあ~あ~あ~」

 みちるは体の中から吐き出すように大きく口を開けて泣き出し、しゃがみ込みました。ありさは初めて聞いた話に呆然としながらも、しゃがんで嗚咽するみちるの背中をさすりました。さすりながら

「それ、パパとママが交通事故で亡くなった時の話?」

「うう、うう……いつまでたっても帰ってこないから、あたしもいつの間にかうたた寝してて……そしたら夜中に目が覚めたありさが……ママー、ママーって泣いて……うう、うっ……だからピクニックで残ったお菓子食べさせて……食べ終わったらまた泣いて……おんぶおんぶって泣くから、おんぶして……う、う、う……」

(今だってこんなに華奢な背中なのに、まだ小学生なのにあたしをおんぶしてくれたなんて)

「ごめんね、お姉ちゃん、いつもダダこねて、ごめん、お姉ちゃん、ありがとう。つらかったよね……悲しかったことあたしに話してくれればよかったのに」

「ずっと思い出さずに来たの……う、う、う……あたしがありさを見るってママに約束したから……」

 背中をさすりながら、ありさも涙がにじんできました。ふと横を見ると、ミズキもまた実母の亡くなった日のことが重なって、しゃがんで顔を押さえて泣いているのでした。

 ありさは右手でみちるの背中、左手でミズキの背中をさすっていました。3人の女の子がしゃがんで泣いている様子が異様だったのか、犬の散歩をさせていた女性が駆け寄って

「どうしたの?何かあった?大丈夫?」

 ありさは振り返ると

「大丈夫です。失くしたものを探してただけ」

「あらまあ、泣くほど大事なものなのね、それで、見つかったの?」

「はい、見つかりました」

 3人は立ち上がり、歩き出しました。歩きながら

「ねえ、お姉ちゃん、トントントントン、ひげじいさん♪の歌、お姉ちゃんが歌ってくれたんだよね」

「そう。ありさそれ大好きで、何度も何度もやってやってって……」

「ただいまー!」

「あら、ずいぶん時間がかかったわね。あら?どうしたの?3人とも目が赤いけど……」と陽子に言われ、ありさが照れくさそうににっこりと

「わさびでツーンとなっちゃって……」

  四、ありさの決断① に続く






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