Seesaw
今日は本当に寒かった。
昨日はなんだかあたたかくて、寒波なんて嘘なんじゃないかと思っていたけれど・・・やっぱり来た。
温暖だけが取り柄の里山にも、一日を通して小雪が風に舞い、手袋なしでは指が冷えて切れるかと思うほどの寒さだった。
(このぐらい寒くなると、家の周りに猪がやってくる。今日は4頭もの猪を見た。新記録だ。)
日付が変わってすぐに外に出てみたら、雪はすっかりやんでいた。
しん、と冷えた夜の空気に、グレープフルーツをくし形に切ったような月と、満天の星。
灯りが少ない場所で暮らしていると、こんな楽しみもある。
暖かな居間に戻って、石油ストーブに乗せた薬缶のお湯が沸く音を聴きながら、もう寝ようか、それとも少し本を読もうか考えあぐねた末に、これを書いている。
※いつかTwitterにテキスト形式で掲載した雑文の加筆訂正を含みます。
※音楽理論のこまごましたことは書かない。大好きすぎて書き始めると夜が明けてしまう。感じ方は決めつけず、人それぞれのほうがおもしろい。
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彼のことが大好きになってまだまもなくのころ、他のファンの方と同じように、この曲に心を撃ち抜かれた。
ランダムプレイリストからこの曲のイントロが流れると、何をしていても手が止まり、自分でもよくわからないほどすべての感性を傾けてこの曲を聴いた。(当初、この感覚を「サウダージ」と表現していたが、サウダージと呼ぶにはあまりにも平常心を失い、痛みを伴うので、いつしかそう呼ぶのをやめた。)
それなりに人生経験を積んだ女性であるという自負を、この一曲に覆され、揺らされ、搔き乱され、涙を流したことに狼狽えたわたしは、いったい何がそんなに切ないのか、自分なりに必死で解析を試みた。
実体験と重なる部分があるから?
彼の声がそうさせるの?
歌詞の美しさ?
メロディやコードの構成?
ラップメインではない曲だから?
ay女史と議論を重ね、「ソルフェジオ音階」という謎の仮説にまで手を出してみたけれど、これといった納得のゆく結論を出せないまま、時は過ぎた。
そして、いつしか、わたしはSeesawを取り乱さずに聴けるようになっていった。
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秋の中頃、遅ればせながら、名演と名高いウェンブリー公演を観た。
視聴後、心の中にいろんな想いを抱いたまま、ドライブに出かけたわたしは、その日、日没直前のものすごい夕焼けを見た。
その帰路の山道で、不意にSeesawがカーオーディオから流れたとき、夕陽の色が目の中によみがえって、今まで忘れていた鈍い痛みとともに心に閉じ込めてきたいろんなものが、一気に溢れ出してしまった。
そして、なんとなく、なんとなくだけれど、この切なさの正体がわかったような気がした。
わたしは彼の書く歌詞の内容も、テクスチャもとても大好き。
作品である以上、もちろん創作を含むことは承知しているけれど、「言葉」は、もともとその人の中にあるものからしか生まれてこない。
そして、それが普段言葉少ない人から発せられた時、お互いが思っている以上のインパクトを以て「Seesawを聴いたときの感情」を生み出しているような気がしてならない。
そして、もうひとつ。
この曲の歌詞の中には、わたしたちを含め、第三者が誰も登場しない。
彼の言葉は、「彼本人」と「彼から去った人」のみに向けられている。
例えば、先日愛しい末っ子くんがカバーした「Falling」は、同じ愛の喪失をうたった曲だけれど、どこかしらに第三者の介入を許してくれる隙間がある。歌い終わったあとのびしょ濡れの彼を乾いたタオルでくるんで、大丈夫だよ、また誰かと愛し合える日が来るよ、と言ってあげられる余白がある。
けれど、Seesawには、そういった余白は全く感じられない。
彼の眼はこちらを向いておらず、孤独に耐える彼に、手を差し伸べることも、そっと背中から抱きしめることも許してもらえない。
なぜならば、その場にわたしたちはいないのだから。
彼は、たった一人で物語を完結させ、痛みに耐え、オーディエンスとしてその場にいることさえも、最後の4小節でそっと拒絶される。
この絶望感と無力感が、嫉妬に似た切なさを伴って、彼のことを大好きな人々の心を揺らし続けているのではないかな、と思う。
いつか、彼が歌詞の中で「愛を失ってさみしい」と歌ってくれた日が来たとき、わたしたちの「Seesawの心の旅」は、一つの決着を見るような予感がしている。
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【monologue 1】
以前話し合った時、ay女史は彼の声、口蓋の形や言語についても言及していた。昨日は「かたいものが響く」という表現をしていた。骨に響く、とも。
一日経って、今思い返すと、とても美しい表現で、本能的に羨ましくて、彼の声を感じる距離についても、めらめら嫉妬してしまう。不毛である。
【monologue 2】
わたしにとって音楽は、心で感じて表現する以前に、一度数学的なロジックで解析してから、自分にフィードバックするものだった。
・・・彼らに出会うまでは。彼らはそれぐらいの衝撃だった。
【monologue 3】
たちの悪い風邪をひいて、今どうしているだろうか、と思う。
苦しい思いをしていないと良いし、暖かくして、たくさん眠ってほしい。
心をすり減らすようなことがなるべくないと良いと願っています。
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