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007那由多 第一章 「ドブネズミ」

主な登場キャラクター

那由多

Manifold マーケットプレイス

目次

第一章 「ドブネズミ」
第二章 「狐面」
第三章「怪物」
第四章「You Complete Me」
第五章「Tangsten Lycoris」

※注意:この物語には暴力描写が含まれます。

プロローグ

 真っ赤に染まる無数の彼岸花。
「綺麗…」
 夜露に濡れた花びらは月明かりと川の向こう岸にそびえ立つ摩天楼の光に照らされて宝石のように輝いていた。
「ね、そう思わない?那由多…」
 寂しそうに微笑みながら彼女は振り返ったーー

 20XX年、ブロックチェーン技術を基盤としたCBDCが各国で相次いで発行され暗号資産が爆発的に普及。
 更に、ほぼ全てのIDや個人情報は政府管理下のブロックチェーン上で管理評価されるようになった。
 通貨やIDのデジタル化及び電脳化についていける人とついていけない人で二極化が進み貧富の差が拡大していった。
 それから半世紀ーー

第一章 「ドブネズミ」

 那由多は貧困層の娼婦の娘として生まれた。
 父親は不明。
 母親は那由多を商売の邪魔だと言って最低限の世話をする程度で愛情を注ぐ事はなかった。
 昼夜問わず客引きを行い、那由多が室内にいても構わず行為を行った。
 その為那由多はアパートの外で寝る事が多かった。
 母親は稼いだ金は片っ端から男や薬物に使う為、生活は苦しく毎日の食もままならなかった。
 小学校へは何とか入学させて貰えたものの、娼婦の娘として虐げられ、家ではネグレクトされ、学校にも家にも居場所はなかった。
 学校には教科書が配られる日以外行く事は無くなった。

 那由多と母親が暮らすボロアパートから1km程離れた所に誰も寄り付かない廃公園があった。
 メガストラクチャーと呼ばれる超高層ビルの隙間。
 雑居ビルの廃墟や貧困層の住宅街が広がっている。
 その更に狭間にある小さな公園。
 資材置き場にされてたらしく、鉄骨やら土管やら大量に積み重ねられいい具合に部屋っぽくなっていた。
 小学5年生頃から那由多はここでほとんどの時間を費やしていた。

 周りには那由多と同じような生活をしている子供達が沢山いた。
 共同生活をした事もあったが、集団でいると見つかりやすいと言うデメリットもあった。
 臓器密売人に連れ去られたり、多く稼ごうとして重犯罪に巻き込まれた子供達も沢山いた。
 常に反社会的勢力から逃げ続けなければならい生活に疲れた那由多は結局1人でいる事を選んだ。
 サバイバル能力は自然と身についた。
 悪漢に襲われた事もあったが持ち前の身軽さで何とか逃げのびた。
 拾ったり盗んだりしてナイフや拳銃を手に入れ、護身術を身につけた。
 小学校はほとんど行っていなかったが教科書は持って帰ってきていたので、ボロボロになるまで読んで勉強した。
 廃墟になった本屋を見つけ片っ端から本や雑誌を読み漁った。
 何故自分はこんな状況なのかーー
 それを把握する為に特に経済や政治に関する雑誌や本を読み込んだ。
 ブロックチェーン技術やCBDCといったデジタル経済関連の基本的な知識や、FloatingBits、MoonBit、CryptoCurrentと言う3大取引所が世界経済を牛耳っているという社会的情勢もある程度理解した。
 気がつけば2年が経っていた。

「こんにちは」
 ある夕暮れ時。
 ふと挨拶された。
 今まで挨拶された事がなかったため那由多は最初自分に対して発せられた言葉だと気づかなかった。
「あの、こんにちは」
 ようやく自分に対して発せられた言葉と理解したが何て答えていいか分からずただ相手を見ていた。
 声の主は20才位?下手したら10代かもしれない女性。
 背中まで伸びたサラサラの焦茶ストレートヘアーが印象的だった。
 FloatingBits社の制服を着ている。
 世界一の中央集権型暗号資産取引所だ。本で読んで知っていた。
 非常に攻撃的な取引所で巨大なサイボーグ部隊を持っている。
 法にそぐわない反社会的勢力や敵対企業を全て力で捩じ伏せる企業だ。
 一方、巨大な資金力を元に慈善事業なども活発に行っていた。
 その超一流?企業の制服を着た女が、一体浮浪児に何の用なのか。
「う〜んと、その、えとね…」
 スーパーの帰りだろうか。
 彼女は色んな野菜が入ったビニール袋を持っていた。
「私…FloatingBits…って知ってる?知らないかな(汗) …の慈善事業部で働いてる洛叉(らくしゃ)って言うんだけど」
 ドギマギしながら彼女は那由多に話しかけてきた。
「なに?」
「ひっ!?」
 返事を返すと、洛叉と名乗った女は短く叫んでビニール袋を落とした。
「あ、ごごごめんごめん!
 ちょっとびっくりしただけ!大丈夫大丈夫!」
 イライラする。
 こう言う普通に育って何不自由無く大人になれた奴は那由多の嫉妬対象だった。
「いつも1人ここにいるでしょ?
 ご両親いないのかなーって思って」
「知らない」
「…ふぅ〜ん…」
 那由多の適当な答えに対する洛叉の反応は肯定でも否定でも無かった。
「…そっか。
 ごめんね、急に話しかけちゃって…今日はもう帰るね」
 そう言って洛叉は落としたビニール袋を拾って歩き出した。
「そうだ。
 あなた、お名前は?」
 振り返ってにっこりと微笑んだ。
 何の悪意も無い普通の笑顔。
 久しく見ていない、人間の笑顔。
「…な、那由多…」
  あまりに無防備な笑顔にけおされて、思わず名前が口をついて出てしまった。
「那由多ちゃん!
 カワイイお名前ね!」
 洛叉は目をキラキラさそう答えた。
「またね、那由多ちゃん!」
 手を振りながら小走りに彼女は去って行った。
「…」
 暫く動けなかった。
 またね、と彼女は言った。
 それは今後も会いに来るという事だ。
 何で??
 何でまた会いに来るのか。
 利用しようとしている?臓器密売人?奴隷商人?
 そんな様子はカケラも見受けられなかった。
 一般人の気まぐれか…
 どうせすぐ忘れるだろう。
 自分は何者でも無いのだから。

 次の日の夕方。
 同じ時間帯にまた洛叉が通りかかった。
 公園を通り過ぎる際、那由多を確認すると笑顔でぶんぶんと手を振っていた。
 那由多は反射的に手を上げてしまったが、我に返って手を引っ込めた。
 洛叉が何か言っていたが聞こえないふりをした。

 更に次の日の夕方。
 ゴミ漁りから帰って来ると洛叉が公園の土管に座っていた。
 組んだ足をぷらぷらさせている。
「なに…してんの…?」
 那由多に気づいた洛叉はこちらに振り向いて微笑んだ。
「おかえり!
 え、那由多ちゃん待ってたに決まってるじゃない」
「なん…で…」
「だって、今日お菓子パーティーしようって言ったでしょ?」
「??」
 昨日何か言ってたのはこの事か…
 訳が分からない。
 何で自分に構うのか…
 那由多が返信に困っていると洛叉は鼻歌混じりにビニール袋からチョコレートやポテチ等駄菓子を幾つか取り出した。
「ジャン!
 那由多ちゃんが好きなお菓子わかんなかったから色々買ってきたの。
 食べよっ!」
 いうが早いか洛叉はチョコレートの小箱を開けると中身を2つ取って片方を那由多に渡し、もう片方の包みを開けると自分の口に放り込んだ。
 更にモゴモゴしながらポテチを取り出し袋をパーティー開けし始めた。
「…何の真似?
 こんな事して何になるの?」
 チョコを持ったまま那由多は洛叉に言った。
「…」
 大きな目をぱちくりさせて、相変わらず口はモゴモゴさせたまま洛叉は那由多を見た。
 那由多はイライラしていた。
 なんなんだこれは?
 何の茶番に付き合っているのか…
 他人と会う事は1人でいる那由多にとってリスク意外の何物でも無い。
 頼むからほっといてくれ。
「…実はね、私も昔は浮浪児だったんだ」
「…え?」
 洛叉の唐突な切り出しに那由多は驚いた。
 どこからどうみても彼女は普通の女性だ。
 むしろ良いとこ出のふんわりとしたお嬢様だと思っていた。
「…嘘…」
 那由多が立ちすくしていると洛叉はちょっと寂しそうに苦笑した。
「ほんとだよ。
 正確には私と妹の阿伽羅(あから)。
 今から5年くらい前。
 私が14歳で阿伽羅が8歳の時…」
 そう言った瞬間彼女は一瞬目を潤ませると、深いため息をついて膝を抱え頭を埋めた。
 5年前8歳だとしたら妹と那由多は同い年…
「は〜…
 阿伽羅は生きていれば今の那由多ちゃんと同じ位かな…
 だから那由多ちゃん偶然見つけた時気になって気になって…
 ダメね、こんなの…
 余計なお世話だってわかってる…
 私も多分当時だったらそう思った。」
 彼女は顔を上げると涙を拭って苦笑した。
「母子家庭だったんだけど、母親が自殺したのがキッカケ…
 浮浪児になって最初は10人位で集団生活をしてた。
 でも行方不明になったり、犯罪に巻き込まれたり、徐々に人数は減っていったわ。
 ある時、人身売買のヤクザに見つかってみんな捕まって…」
 話、長くなるからと、洛叉は那由多に座るよう促した。
 那由多は彼女とは対面側にある土管に腰を下ろした。
「運よくFloatingBits社…ってわかるかな?
 めっちゃ大きい会社でサイボーグ部隊を持ってるんだけど、偶然通りかかってね。助けてくれたの。
 他の子は一目散に逃げて行ったんだけど、私だけその場を離れなかった。」
「…私だけ?
 妹はどうしたの?」
「…その時の戦闘に巻き込まれて死んじゃったわ…
 流れ弾が頭に当たって即死…」
 そう言って洛叉は寂しそうに苦笑した。
「…」
「私はね、あの時ただひたすら貧困が嫌だった…
 常にお腹を空かせて、大人に乱暴され、臓器を持っていかれ、冬は寒さで眠れない。
 しまいには意味もなく殺される…
 そんな生活から逃げたかった」
 少し声を大きくして吐き出すように洛叉はそう言った。
「私はFloatingBitsの研究所に行くか、地域の孤児院に行くか選択肢を与えられて、FBに行くことにしたの。」
 そう言って洛叉は那由多に視線を移した。
 夕暮れ時、彼女の目は陽の光を反射して異様に輝いていた。
「研究室に入る条件は脳以外の生身の売却。
 売却された臓器はNFTとして公的なオークションにかけられ、資金が教育費にあてられる」
「最っ低」
 人身売買から逃げてきたのに、逃げた先でも結局臓器を持ってかれるのか。
「そう?
 地域の孤児院は生きるのに最低限の事しかやってくれない。
 これから先、電脳化無しでは社会に適応できず、浮浪者に逆戻りする確率が高い。
 一方、FloatingBitsは衣食住付き、教育、将来の職場とその為の訓練、そして最先端の電脳化技術とメンテナンスを提供してくれるのよ?」
 狂ってる…?
 否。
 洛叉の事を完全に否定することはできない。
 浮浪児なら誰だって極限状態だ。
 こんなドブネズミのような生活から逃れたいと思っている。
 那由多も例外ではない。
 今の時代電脳化は人間らしく暮らす上で必須。
「…」
 那由多は洛叉の首筋を見た。
 QRコードが烙印されていた。
 彼女がサイボーグである証拠。
 サイボーグは識別コードの開示が義務付けられている。
 車のナンバープレートと同じようなものだ。
 那由多の視線から察したのか、洛叉は那由多の隣にきて腰を下ろした。
「私ね、ちょっと前から実は那由多ちゃんの事見てたんだ」
「え…?」
「生への執着。
 サバイバル能力。
 理解力。
 適応力。
 どれも同年代の子を卓越してる」
「何をいきなり…」
 そう言ってポテチを咥えると洛叉は立ち上がった。
 辺りはすっかり暗くなっていた。
 青白い公園の街灯が辺りを照らしている。
「またね、那由多ちゃん」
 いつもの笑顔でそういうと洛叉は帰っていった。

 それから洛叉はことある毎に那由多に会いにきた。
 今日は仕事がうまくいかなかっただの、慈善事業部なのになんで射撃訓練があるのかだの、本当に他愛もない話をしに那由多のところに立ち寄った。
 洛叉はいつも明るく優しかった。
 19歳。
 那由多の6歳年上。
 同い年の妹を亡くした事もあり、距離はとりつつも那由多の事は妹の様にかわいがってくれた。
 二人が出会ってから2ヶ月。
 初めて洛叉のアパートに呼ばれて昼飯を食べた。
 美味かった。
 亡くなった妹阿伽羅に食べさせる、そういう思いでいつも料理をしているらしい。
 那由多が美味いと言った時、洛叉は嬉し泣きをしていた。
 那由多は動揺した。
 自分が、人を、嬉し泣きさせた。
 生まれて初めての経験。
 消し炭のように真っ黒だった那由多の心の中に、ほんの僅かにが光が差した…そんな感じがした。
 那由多はそれから、自分の身なりを多少気にするようになった。
 服や体をちゃんと定期的に洗い、ボサボサだった髪を梳かした。

 それから更に一ヶ月たったある日ーー

 その日はどんよりと曇り、一日中シトシトと雨が降っていた。
 湿気が肌にまとわり付いて居心地が悪い。
 那由多はいつもと変わらず起床し、本を読み、武器の手入れをし、飯を漁りに出かけた。
 午後3時ごろ、いつもよりかなり早く仕事を上がった洛叉が会いに来た。
「那由多ちゃんあのね、那由多ちゃんさえ良ければなんだけど…」
 洛叉は遠慮がちにそう切り出した。
「明日、私んちにお泊まりに来ない?」
「…え?」
「ごごごごめん、別に強制じゃないのよ?
 那由多ちゃんにも予定があるだろうしぃ…」
 チラチラと那由多の方をみる洛叉。
 洛叉はいつもよりかなり早く仕事を上がっている。
 彼女のことだ。これから帰って明日の準備を一生懸命するのだろう。
 料理をして、掃除洗濯をして、明日のプランを練って。
 私の為に。
「…うん、行く…」
 断る理由があるだろうか。
 小さい声で那由多はそう返事をした。
「ほ、ほんと??
 いいの?」
 洛叉は目をキラキラさせて那由多の手を取ってそう呟いた。
 洛叉の反応があまりに初々しくて那由多は赤面した。
 こくりと無言で頷いた。
「やった〜!
 よかった〜!
 内心断られたらどうしようかと思ってたのよ〜!」
 頬を赤らめて少し涙目になって洛叉はそう苦笑した。
 お呼ばれされる事よりも、洛叉の喜ぶ姿が那由多は嬉しかった。
 生まれて初めて、人が喜ぶ姿が嬉しいと思った。
 洛叉の存在が那由多の中で大きくなっていた。
「じゃ、帰って気合い入れて準備するねっ!」
「…うん」
「明日、朝迎えに来るから!」
「うん」
 握っていた那由多の両手を名残惜しそうに離すと洛叉は急いで帰って行った。

 洛叉と別れた後暫くドキドキがおさまらなかった。
 いいのだろうか?
 こんな浮浪児の私が彼女の家に泊まりに行って。
 迷惑ではないだろうか?
 臭くならないだろうか?
 一番綺麗そうな服を引っ張り出したり、匂いを確認したり、那由多なりに明日の準備っぽい何かを行なった。
 ふと気がつくと夕日が大分傾いていた。
 こんなことで悩むなんて…
 那由多は苦笑すると引っ張り出した服の上に座って夕飯を漁り始めた。
 その時、近くで土を踏みしめる音がした。
「洛叉…?」
 忘れ物でもしたのだろうか?
 外の様子をみようと部屋を出た瞬間ーー
「!!!」
 1人の大柄な男とばったりと出会った。
 異臭がする。
 浮浪者。
 見たことがある。
 以前那由多に乱暴しようと襲ってきたやつだ。
 その時那由多が咄嗟に振るったナイフが顔に当たり、左の頬から鼻にかけて切り傷ができている。
「みつけたぜぇクソガキ」
 ニタァと不気味に笑うと男はゲッゲッゲと人外の笑い声を発した。
「あの女について来て正解だったなぁ」
 那由多は丸腰。
 洛叉から万が一の為に預かった緊急連絡用の携帯ストラップ、銃とナイフは部屋の中だ。
 部屋は土管と廃材で作られており筒抜け構造。
 追いかけられても反対側から逃げ出せる。
 咄嗟に那由多は部屋の中に駆け込んだ。
「待てゴラァ!」
 予想通り傷の浮浪者は追いかけてきた。
 棚の上に置いてある武器一式とストラップをかっ攫って部屋の反対側から逃げ出した。
 瞬間ーー
 激しい衝撃が左脇腹を襲った。
 ベキベキと嫌な音を立てながら体が宙を舞い、地面に叩きつけられた。
 その衝撃で武器とストラップを手放してしまった。
 二人いた!?
 肋が何本か折れた。
 痛みで地面に踞っていると強制的に仰向けにされ、馬乗りされた。
 両腕と片目が機械…サイボーグだ。
 那由多の両腕を片手で地面に抑え込み、もう片方の手で那由多の顎を鷲掴みした。
「おぅ、テメェの言った通りよく見るとなかなかの上玉じゃねぇか」
 物凄い力だ。
 必死で暴れてもびくともしない。
 半サイボーグ化している方は浮浪者ではなさそうだがまともでない。
 臓器密売者か奴隷商人。
 なおも暴れていると鉄の腕で顔を殴られた。
 意識が飛びそうになる。
 力が抜けた。
 浮浪者が戻ってきて落ちていたナイフを拾い上げた。
 サイボーグから那由多の両腕を受け取ると、彼女の頭上で両の手のひらを重ねて、ナイフを思いっきり振り下ろした。
 25cm程ある刀身は那由多の両手を貫き、柄のところまで地面に突き刺さった。
「あぁぁあぁぁあ!!」
 今まで出した事ない叫びを発した。
 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!!
「てめぇ、商品にキズつけんじゃねぇよ」
「あ?
 バラして臓器売った方が儲かるだろ」
 サイボーグは両手が自由になると那由多の服を乱暴に引きちぎった。
 まだ幼さの残る那由多の体に舌を這わせて、気持ちの悪い笑みを浮かべた。
 更に左脇腹の肋が折れたあたりを鉄の拳で殴った。
「あぁあ!」
 那由多が痛みで体をくねらせるのを見てサイボーグは息を荒げた。
「キズもんにしてんのはテメェじゃねぇか」
 浮浪者の言葉は届いていないようだった。
 サイボーグは乱暴に行為を開始した。
 更なる激痛が下半身を襲う。
 意識が何度も飛んだ。
 その度に両手、下半身、脇腹の痛みで強制的に覚醒させられた。
 朝からの雨は止んではいたが地面には所々水溜りが残っていた。
 その水溜まりに那由多の血が混じり、辺り一面血の池が出来ていた。
 何十分経っただろう。
 ようやくサイボーグの行為が終わったようだ。
 ずるりと那由多の上から体をどけた。
 朦朧とする意識の中、左の足先を見ると携帯ストラップが落ちていた。
 ボタンを押せば洛叉に繋がる。
 浮浪者が馬乗りになってきた。
 足を持ち上げられたらボタンは押せない。
 手の痛みをこらえて体を少し下にさげた。
 浮浪者はボロボロの那由多を見て安心しきっているようだ。
 直ぐには行為をせず、上半身に舌を這わせ悠長に嬲り始めた。
 少しずつ、左足を使いボタンが押せる位置にストラップを移動させた。
 まだ足は持ち上げられていない。
 今しかない!
 必死の思いで左足をあげると、渾身の力を込めてストラップに叩き下ろした。
 一瞬びくつきはしたものの、浮浪者は那由多が何をしたか気づかかったようだ。
 何も音はならなかった。
 足を持ち上げられた。
 行為が始まった。
 何も起こらない。
 やっぱりちゃんとボタンを押さないといけなかったのかな…
 頭が回らなくなってきた。
 手の感覚がない。
 体中が寒い。
 最早那由多には指一本動かす余力は残されていなかった。
 急速に視界が暗くなっていった。
「お?
 急に締まりが緩くなったな。
 テメェのせいでぶっ壊れたんじゃねぇのかコラァ!」
 浮浪者は土管に座って休んでいるサイボーグに向かって文句を言った。
 彼はニヤニヤと笑いながら両手を宙に上げただけだった。
「サッサと締めやがれ!」
 舌打ちすると浮浪者は那由多に向かって殴りかかった。
 その拳が那由多の頬に届こうとした瞬間ーー

 ぐしゃり

 まるでひき肉の様に彼の拳が潰れた。

「何…やってんの…」

 そこには氷のように冷たい表情を浮かべた『彼女』がいたーー

第一章 「ドブネズミ」
第二章 「狐面」
第三章「怪物」
第四章「You Complete Me」
第五章「Tangsten Lycoris」


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