アトピーと私①
幼少の頃からアトピーっ子。
私の人生にマイナスの影響を与えてきたであろう、この体質とは一生付き合っていかなくてはいけない。
人生折り返し、ここにきてようやく私なりに良い塩梅で付き合えるようになった。
向き合ったり、逃避してみたり、泣いたり、笑ったり。
良い状態を維持できている今、自分の肌の状態の良し悪しが、いかにメンタルに大きく影響を受けるのかを思い知る。
アトピーはいつも私と共にいて、私の人格形成や、人生設計にまで大きな影響を与えてきたように思う。
人生において切っても切り離せない、アトピーと私のこれまでの過程を振り返っておこうと思った。
物心ついた頃にはいつも手を掻いて、指の関節がいつも赤切れ。
私が子供の頃、今みたいに標準治療も確立されていなかったし、ステロイドは悪みたいな風潮もあった。(子どもなりの記憶ですが。とりあえず親は正しい治療方法とはなんぞや、知っちゃいない。正しく指導できる医者も周囲にいなかった。
おじいちゃんは近くの海に私を連れて行き、海に入るようによく言ってきたのを覚えている。
私は海水が赤切れにしみて痛いので泣いて嫌がったものだ。
いろんな民間療法があって、親の信じる治療を受けてきた。言われるがままに。
私より親が真剣。私はテキトー。だって手があかぎれてたり、痒いのが当たり前に過ごしてきたから、辛い時も確かにあるのだけど、それが私にとっては通常運転だった。
高校時代、大学病院で標準治療なるものにも踏み入れたが、通院が距離的に困難で継続できず、セルフケアが確立できなかった。
私は基本はズボラ。
そして日常的に手荒れだったので、手荒れの辛さにもある程度慣れてしまっている。むしろ掻いた方が楽。
きちんとしたセルフケアの指導を受けた記憶もなかった。親は聞いていたかな?ステロイドに恐怖心をもっていたみたいだったから、適量ではなかったかもしれない。食事や温泉や、民間療法の方に力を注いでいた感じがする。
それでも多感な青春時代は、首から上に症状が強く出ていたので、おしゃれもできない、恋もできない。諦めていた。辛い気持ちは蓋をしてやり過ごしていた。
あの頃の写真は酷い。赤黒い肌で佇む自分の写真を見返したいとは思わない。
それでも友人には恵まれていたと思う。掻きむしると皮膚片が散らばり不潔にも見えてしまうし、時には出血で触れたものを汚してしまうこともある。私なりに細心の注意を払いながら過ごしていたものの、不快に感じた人もいたかもしれない。
しかし、殊更に同情されるわけでもなく、干渉されるわけでもなく、嫌がらせを受けるわけでもなく過ごすことができた。
ただ友達とのお泊まり会には参加しなかったり、付き合いは悪い方だったと思う。
人は人、私は私。そういう薄情さがあるかもしれない。または特に意識はしていなかったが、アトピーによる煩わしさ、色々なところに気を配り、配慮しなければいけないことの煩わしさから、人付き合いを遠ざけていたかもしれない。
それが私なりの自己防衛とでもいえるのか。
大人になってから。
部位や範囲が変遷しながら症状は常にあるし、顔や首がひどいと、メンタルも落ちる。
仕事のストレスも影響しながら、それでもなんとかやり過ごす日々。
住んでいた土地それぞれで、お薬を処方してもらうために、それなりに選びながらお医者さんにもかかったけど、経験豊かな雰囲気のおじいちゃん先生に、「大人になったら自然に良くなるよ」「おばあさんやおじいさんでアトピーの人、みないでしょ」とか、当然のように言われることもあった。
いやいや、今のおじいさん、おばあさんは、アトピーなんてない時代生きてきてるからじゃないの?なんて思った。これからはアトピーのおじいさん、おばあさんも増えるだろうと。それが今から20年ほど前か。
現実、今となっては高齢者のアトピーも普通に存在する。
次回
時はコロナ禍への始まり
脱ステロイドの挑戦について。
つづく