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猫に助けられた人

私の人生は猫に助けられている。

私が「もう、人生終わりだ。」「このままでは、だめだ。」という事態になると、猫が現れる。そして、私は、救われる。

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第一の猫

子供のころ、祖父母の家に猫がいた。「みーけ」と呼ばれた三毛猫(♀)。それまで猫が好きというわけではなかったが、毛の柔らかさ、目の美しさ、肉球のぷにぷに感、完全に恋に落ちた。あまりに好きになりすぎ、「♪四六時中もねこ~といって~♪」と歌っていた。

この猫、母に言わせると「不細工」だそうだ。頭が小さく、全体が白っぽく、鳴き声も「にゃ~」ではく、「うぎゃ~」と鳴く。ネズミを捕ることはできたが、捕まえたネズミを「みてみて!」と見せにきたと思ったら、うっかり落として取り逃がしてしまう。人間は、「ぎゃー!ねずみ!」と、ドラえもんのような声を出してしまうのだった。

この猫と出会った頃、父は交通事故で入院していた。頭部損傷のため、2年以上入院している状況で、我が家には収入がなく、貯金を切り崩して生活していたのだと思う。そんな中、母の実家のそばに引っ越しをし、母が仕事をはじめ、少しずつ生活の質が向上した。おやつはそれまで「麦チョコ」だけだったが、このころ「チョコパイ」を初めて食べた。こんなおいしいものがあるのかと、度肝を抜いた。

そこで出会った猫。この時は私はまだ猫が私を救ったとは思っていなかったが、私が猫に恋することによって、つらかった生活に潤いができたといえると思う。

第二の猫

この猫は、私が拾ったブチ猫(♂)。名前は「ぶち」。友達数人と猫を拾って、「どうする?」と相談していた時に、「うちで聞いてみる!」とうっかり言って、預かってしまった。当時、まだ父は入院していて、生活するのに精いっぱいだったと思う。猫を見た母は、かなり困惑した様子で、「どうするの?うちでは飼えないよ。こんな小さいの拾って、死んじゃったらかわいそうじゃない。」と困りながら怒りながら、猫を撫でていた。

私は、「こりゃ、まずいな。」と思い、学校に「猫、いりませんか。」という内容のポスターを張り、里親募集をかけた。その間、猫は我が家でご飯を食べ、バッタがとるのが上手なぶちは、バッタをとって食べた。母は、「困ったねえ。猫がいると困るじゃない。」と言いながら、ご飯を用意し、トイレを用意し、膝にのせて読書し、寝るときには布団に入れていた。

里親が見つかった。里親に猫を渡すと決まったことを母に告げると、喜ぶと思ったのに、やけに元気がない。「そう…。」と言っただけでそれ以上の反応はなかった。猫を連れて行った日、母は寝込んでしまった。夕飯を作らず布団に入り、「ぶち…。」と言いながら涙していたようだった。そんなに落ち込むなら、里親なんか探さなきゃよかった!なんなんだ!と当時は憤っていたが、今大人になって、母の気持ちはちょっとわかる。

第三の猫

この猫は、本当に恩人だ。就職して2年目ぐらいだったと思う。職場に捨てられていた猫、「しろお」(♂)。

当時、中学校の英語の教師をしていた私。授業はうまくいかない、研究授業の指導案は書けない、部活は忙しい、教材研究の時間がない、ただただ学校にいる時間は長いのに仕事は進まないという毎日で、泣いたり笑ったり…ではなく、泣いたり泣いたりの毎日だった。

書けない指導案を書いていると、内線がなった。同僚の少しブッとんだ、でもどんな局面に立っても、ニコニコ笑顔のかわいいみさこ先生からだった。

「今ね、すごく素敵なものをみつけたの!見に来て!家研(家庭科研究室)にいるから!」

あーなんだろう?と思って行ってみると、給食の牛乳を何とか飲まそうと悪戦苦闘しながら小さな茶トラ猫と白猫の2匹と戦っているみさこ先生がいた。

「あ、みてみて!かわいいでしょ?物置小屋に捨てられてたの。なんか鳴き声がすると思ったら、猫だった!どうしよう!」

明らかに、どうしようという気持ちは見えない様子で猫に牛乳を飲まそうとするみさこ先生。猫はというと、とんでもなく汚く、目が目ヤニでぐちゃぐちゃで、耳の中は真っ黒で、納豆の腐ったにおいがする。それでも一生懸命鳴いて私たちに訴えかける姿に、

「じゃぁ、白いほう、もらう。」

と、少しだけ状態のよかった白猫を連れて帰ることにした。その晩、あまりに汚いので「死んじゃうかもしれないな」と思いながらお風呂に入れ、体をきれいにした。ミルクは、牛乳はだめだと思い、猫缶を買って、あげてみた。食べてくれたのをみて、あっという間に離乳完了とした。

翌日、みさこ先生の連れて帰った茶トラの猫と一緒に動物病院へ行った。受付で「猫ちゃんのお名前書いてください。」と言われ、「え、名前、考えてなかった。どうしよう。」と戸惑っていると、みさこ先生は、さっとペンを持ち、全然黒くない猫をみながら、「くろお」と書いていた。「え、黒くないのにくろお?」と聞くと、「いいの!」とのことだったので、仕方ない。うちのは白いからそれなら…「しろお」と、なった。

それから猫が心配で、仕事を早く終わらせて帰るようになった。学校のことで頭がいっぱいの私だったが、そこに猫が来たことで、頭の中に余裕ができた。今日は大丈夫かな。ちゃんとご飯食べてるかな。おしっこできてるかな。心配で心配で仕方なかった。あの時しろおに出会えなかったら、私は仕事を辞めていただろう。

しろおは、頭がよくて、臆病で、慣れた人にしかなつかない、怖い猫だった。私にはべったりなのに、知らない人や見たことのない生き物に出会うと「シャーー」と言って、威嚇する。雷や地震が起きると、部屋の隅でおしっこを漏らし、近づくと威嚇して噛みつく。噛みつき方も半端なく、貫通するのではないかという勢いで噛むので、恐ろしくて仕方なかった。それでも、私にはなついていて、膝に乗りたがり、一緒に寝たがり、帰ってくると玄関まで出迎えてくれた。私が結婚して妊娠、出産したのを機に、母がしろおを育て、やがてしろおは天寿を全うした。

第四の猫

現在進行形で我が家にいる猫、「あずき」(♀)。彼女は、これまでの猫と違い、なんと血統書付きのブリティッシュショートヘアーなのだ。とはいえ、血統書付きにこだわったわけではない。本当なら保護猫、捨て猫大歓迎なのだ。

長男が不登校になった。不登校が長引いてきて、私も心が苦しい毎日だった。夫とも意見が合わず、顔を合わせても口を利かないようにしていた。口を開くと、喧嘩になるし、そんなエネルギーも持ち合わせていなかった。息子が元気に、私が元気になるにはどうしたらいいか私は考えた。当時、引っ越しをして念願のマイホームを手に入れたばかり。新築一戸建てという、家に住み始めたのだ。この家に猫を迎えたいなんて話したら、夫は怒るだろう。でも、猫が欲しい。

まず、ペットショップの猫を抱かせてもらい、写真を撮った。かわいい。夫に写真を送る。

次に、猫を育てているブリーダーさんの猫の情報を送る。ブリーダーさんが、「おとなしくてやさしい」と言っている猫をピックアップ。「この猫なら、我が家でも大丈夫じゃない?」と少しずつプッシュ。

ブリーダーさんのところへ、「猫を見に行こう。」と誘う。「飼うわけじゃない」ことをアピールして、なんとか一緒に猫を見に行く。長男、次男も一緒に。

最後の作戦は、「かわいかった。」「猫が欲しい」と、泣く。息子たちにも「猫、いいね。」と言わせる。

そんな小細工をして、手に入れたあずき。しろおと違い、怖い思いをしたことがないせいか、全く何もこわがらないあずき。飼い始めてわかった衝撃の事実。膝にのるのがきらい。抱っこ嫌い。でも、そのツンデレ加減が私たち家族の心をくすぐる。よくわかってるのだ。

長男は学校へは行っていないが、少しずつ表情が明るくなってきた。何より私が元気になった。夫は床の傷や壁紙の汚れを気にしているが、私は知らんぷりすることにした。夫と話をしたくない状況が続いていたが、あずきが来てから会話をするようになった。それも、絶対必要な事柄ではなく、日常的な雑談もすることができるようになった。次男は、最初は体を自分で舐めている猫を見て、「汚い。」と言っていたが、今はメロメロ。寝る前に必ず「あ~ちゃ~ん!」と言って、すりすりしてから寝る。ちなみに現在中学2年生。

ありがとう、猫

私の人生に猫は必要不可欠なのだと思う。猫がいなかったら、生活苦を乗り越えることができなかったし、母の猫好きに気が付かなかったし、仕事を辞めていたかもしれないし、家庭内不和が長引いていたかもしれない。

そんな猫たちに感謝し、心を込めて言いたいと思う。

これからもよろしくね。

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