老化と言い訳の関係性
私の実年齢は今年36歳になるが、感覚的なところで言えば50〜60代ぐらいの気分である。
つまり、それだけ濃い人生を過ごしてきたし、その自負があるし、何より私の心の感覚が、
マジか!!まだ36歳なのかよ!!ひゃほほーーーい!!
みたいな感覚である。
まだまだ人生楽しめるぜぃ!みたいな。
せっかくなので、ここで老化について考えてみたいと想う。
老化の本質は言い訳だ。
老いたらできることができなくなっていく。そしてそれを、人々は年齢のせいにできる。
老いたら病気にもなりやすくなるし、病気になったらさらにその病気を言い訳にできるようになる。周りからも、
「あの人はもう◯◯代だから仕方ないよね。」
と思われやすくなり、自身もその視線にかまけて堂々と言い訳しやすくなる。
つまり、自分への言い訳、人生への言い訳が人を急速に老化させるのだ。
若いうちから何かができない理由を若さのせいにする人は必ず歳を取ったら今度は老いのせいにしだす。
それぐらい年齢というのは格好の言い訳の材料なのだ。
だからこそ、人生から言い訳をなくせばなくすほど、老化は食い止められ、身体も健康になり見た目も若々しくなっていく。
恋する女性も美しく若々しくなるというが、それはそうなる必要性が出来たからそうなるわけで、そこに老いは関係ない。もちろん、全く関係ないとは言わないが。
私は20代から30代前半にかけて、どれだけお金があってもどれだけ地位があってもどれだけ権力があってもどれだけ時間があっても経験できないことをたくさんさせていただいた。
決してここには書ききれない、書いてはいけないこともたくさん。
時間とは平等に与えられているというが、実際は全然違う。
私にとっての時間はあくまでも私の体感覚だが、他の人の3倍以上は多い。1日1日がとても長いのだ。
ということは、日本人男性の平均寿命が80歳だとしたら、私は単純に240歳まで生きられるのだ!グハハハハ!!
えっ!?あれって、まだ1週間前のことなの!?まだそんだけしか経ってなかったっけ!?
というように、ちょっと前のことが遠い過去のように感じられる。
それは相対的に1日1日を丁寧に生きているから。他の人よりも圧倒的に無駄なことに時間を使ってないから。圧倒的に暇潰ししてないから。
だから私は相対的に若々しいと想う。そして同時に、実年齢よりも歳を重ねているようにも見えると想う。
決して傲っているのではなく、感謝をしている。日々に感謝。生きていることに感謝。これまで出逢ったすべての方々、これから出逢う方々に感謝。
私はいつまでもふざけた男だ。