本当に理解されないのは
愛は深ければ深いほど他者から理解されなくなっていく。
子どもが親に叱られて、その愛に気づけず反発するように、愛は深ければ深いほど見えない世界の話になっていく。
見えないから気づかないし、理解もされにくくなる。
誰からも理解されない、分かってもらえないと嘆くのは簡単だ。
しかし、本当に理解されないのは愛する側である。
どれだけ愛したとしても、その愛の裏にどれだけの苦悩や葛藤、苦しみがあるのかは愛される側には到底分からない。
そして、愛する側は愛するしか選択肢がなくなるが故に、理解されようとすること自体が愛ではなくなる。
それはある意味、孤独なことでもある。
だって、愛を人質にされてるようなものだから。
とはいえ、どれだけ理解されなくても、現実(天)は見ていてくれる。
現実だけは私を分かってくれるし、愛してくれている。
いや、それが分かっているからこそ、安心して誰かを愛せる。
本当に理解されず、孤独で苦しいのは実は愛する側である。
しかし、愛が深ければ深いほど他者から理解が得られない分、現実からは恵まれる。
現実からの恩恵は計り知れなくなる。現実から愛される。
だから、本当に孤独なのは愛に気づかないことだと想う。
既にある愛、既に与えられている愛に気づかないことほど孤独なことはない。
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