世界の平和という虚構
お久しぶりです!
ちょっと不穏なタイトルの記事を最後に更新が途絶えてるとかよくないよね……すみません。元気です。暑いね。
うちにはテレビがないのでニュースなども見ないのですが、それでもネット記事などで流れてくる断片的な話や、SNSのハッシュタグ芸を見ていると、相変わらず偏向報道がすごいなあと思わされます。
いろいろな媒体から、異なった角度の意見を集めて「事実」を見極めなくてはなりません。
真実はひとつではなく、人の数だけあるものだと思っています。
その人にとって正しいことは、隣人にとっては悪かもしれない。
向かいに座っている人の正義が、あなたにとっては間違いかもしれない。
多くの人が平和を求めていたとしても、それぞれが「私の信じることだけが絶対で、あとは誤りであり、悪である」とした瞬間、そこには対立が生じ、諍いが生まれます。
「争いを起こすのはいつだって平和主義者だ」と言われた言葉が耳に残っています。
平和のために、正義のために、それに反する"敵"を傷つけ、滅する。
平等とは、「同じ」になるよう均すことではなく、違いを認めること。受け入れなくてもいいけれど、そういうものだと思うこと。
言葉ではわかっても、実践するのは難しいね。
戦争反対、武器を捨てよと安全なところから叫ぶだけなのも平和ボケ。
だけど、過剰な勇ましさもまた、平和ボケの一種です。
せめて人間はそういうものだということを、知ることから始められたらと思います。
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