「同じ女性としてどう思う?」と言われても、何も思えなかった話
最近のあれこれで心が沈んでなかなか浮上できなかったり、まだ上がり切れてないんですけど、それはとりあえずわきに置いて、全然関係ない話をします。
「同じ女性として、このことをどう思われますか」
って聞かれて、びっくりした話。
100年も前に活躍していた女性活動家について書かれた記事があって、それ自体はおもしろく拝読していたのだけれど。
そうしたらふいに、上の質問を投げられまして。
「同じ女性として」って、逆に「女」というただ一点しか共通点がないのに、そんなササヤカなつながりをベースに感想を求められたことに、ひどく驚いてしまった。
世界は男のものであるから、そこから一段下がった者から見てどう思う?という聞かれ方をしたのかな、とかそういう目線?とも考えてしまう。
「同じ人間としてどう思う?」って聞かれるのと変わらないんだよな。わかんないよそんなの。隣にいる人の感情すらわからないのに。
同じ日本人としてどう思う?
同郷出身者としてどう?
同年代的にはどう感じた?
っていうパターンもあるけど、
どうして「あなたはどう思う?」じゃいけないんだろう。
何かしら共通項を求めてしまうのかな。
質問した人としたら、何の気なしに出た言葉なんだろうけれど、
カテゴライズして枠にはめたがる、人の性がふと垣間見えた気がして、
なんだかなあと思っちゃった。
この何かしらのカテゴリに属するものとしての意見、という
主語のデカい代表者感にモヤモヤするし、
「○○として」っていう前提で聞かれる時点で、想定されている答えがあって、結局はその通りの回答を求められているだけであって、
そこから外れた答えを返せば、どうせ妙なレッテルを貼られるんだろうということも安易に予想ができるし。
「同じ女性」として?
きっと求められている答えは
「男性優位の社会の中、立ち上がって権利獲得のために活躍されたことを同じ女として尊敬しますし、彼女のような人たちのおかげで今の私たち女性の人権があるんですよね!すばらしいことです!」
とかそんな美辞麗句なんだろうけど、
実際な~んにも思わない。毎月生理があって腹が痛い日もあっただろうに偉いねえ、というくらいしか、私は「女」という括りの立場からは言えない。
めんどくさい女ですみませんね。
こういう話も「これだから女は」みたいなクソデカ主語で括られがちだけどね。
せめて目の前の相手に対してくらいは、分類じゃなくて個として向き合ってくれよと思うし、私も気を付けなくちゃなと思った出来事でした。
またね。