如月新一「爆破ジャックと平凡ループ」#9-6周目 大事な話の途中だったから
バスの中に執念深い元警官が乗っているということはわかったが、交渉には向いていないようだった。
十二月の風に身震いしながら目を開くと、目の前にはあかいくつバスが停留していた。運転手の顔を見て、またか、と思いながら俺はバスに乗り込んだ。
これで、六周目のバスになる。
警察は頼りにならなかったから、やはり自分の力でバスジャック犯をどうにかするしかない。
乗り込み、運転手に「港の見える丘公園で急ブレーキを踏んでください」と頼む。わけがわからないという顔をされたが、これからバスジャックが起これば、俺の意図を汲んでくれるだろう。
次は菜々子嬢のそばに移動する。さすがにもう、菜々子嬢のコーヒーをよけることはできた。
「あなたたちは駆け落ちをしていますよね?」「どうして知ってるんですか?」「俺は城ヶ崎家に雇われた探偵です。見逃す代わりに、協力してほしいことがあります」「なんでしょう」「町山さん、港の見える丘公園で急ブレーキが踏まれるので、犯人を取り押さえてください」
「それってどういうことですか?」
と訊ねてくる町山に「時がくればわかります」とだけ説明する。
とにかく、時間がない。
次のバス停まで、二分あるかないか、なのだ。
俺は急いで、今度は咲子さんの隣に腰掛ける。
彼女はいつもと同じ顔で、俺を見て目を丸くした。
「森田くんじゃん、久しぶり。何年振り?」
「五年ぶりだよ。さっそくで悪いんだけど、ちょっと席を移動しないか?」
え? なになに? と困惑する咲子さんを誘導し、バスの後部座席に移動する。咲子さんにであれば、少し話をしてもいいだろう、と「これから、ここで事件が起こる。俺はそれをなんとかしようと思って、バスに乗り込んだんだ」と説明する。
「事件ってなに?」
半信半疑、というよりもほぼ信じていない声色で返される。
「バスジャックテロ事件」
「それって、ニューヨークみたいなやつ?」
「みたいなやつだよ。このままだとヤバいんだ」
と返事をして、俺は急いでバスの後部ドアへ移動しかける。
が、ここで、一つのアイデアが思い浮かんだ。
乗客全員を、運転席のそばに列を作らせて下ろそうとすると、理由を説明しなければならないし、渋滞が起こるだろう。犯人はしびれを切らして、誰かに危害を加えるかもしれない。
だが、せめて、咲子さん一人くらいならば、逃がせるのではないだろうか。
「咲子さん、やっぱりこっちに来て」
彼女の腕を掴み、運転席の隣に移動する。
『走行中の移動はご遠慮ください』
運転手から、俺たちをたしなめるアナウンスがかかり、咲子さんが恥ずかしそうにしているが、命あってのものだねだ。
運転席のそばまで移動する。
『次は、日本大通り、日本大通りでございます』
アナウンスがかかり、バスがゆっくりと次のバス停へと近づく。俺は咲子さんの肩を掴んで、「いいかい?」と呼びかける。
が、彼女は不機嫌を露わにした顔をしていた。
「森田くん、一体なんなの? いい加減、ちゃんと説明をしてよ」
「これから、事件が起こるんだ。だから、君だけは前のドアから降りてほしい」
俺には人質になるという役割がある。運転席のそばにいる咲子さんを置いて、後部ドアの前に陣取ろう、と考えを巡らせる。
「森田くんってさ、いつもそうだったよね」
咲子さんが、呆れた声をあげる。俺は、ぴくりと反応してしまい、足を止めてしまった。
「なんかよくわからないことを言い出してさ、俺は大丈夫だから、任せておけよとかって言うくせに、口先ばっかりで」
「ちょっと待ってくれよ、今はそういう話をしている場合じゃないんだ」
「オーディションのこと、知ってるんだから」
咲子さんはいつでも俺を打ち抜ける銃を持っていた。よりにもよって今、その銃を使いますか? という驚きと共に、心の傷口がぱっくりと開いたのを感じる。
「受けなかったんでしょ?」
「違うんだよ、あれは、そもそもバンドのオーディションじゃなくて」
「それでも、チャンスだったんじゃないの? ちゃんと説明もしてくれなくてさ」
「俺は頑張ってるぜ、なんて説明をしたら、ださいじゃないか」
「逃げる方がよっぽど格好悪いよ」
大学を卒業後、就職活動をせず、適当にフリーターをしながら俺はバンド活動を続けていた。その内、「君たちのサウンド良いねぇ」とか「大きいハコでやってみないか」と音楽事務所やらレーベルから声がかかるのではないか? と期待していたのだが、一向にかからなかった。
そんな中、咲子さんが「オーディションがあるらしいんだけど」と話をどこからか持って来てくれた。それは、ある女優がシングルデビューするというので、そのバックバンドを募集するものだった。
俺たちのバンドじゃなくてもいいし、俺たちがフィーチャーされるわけじゃない。
だけど、生活費と咲子さんからの信頼というものも重要だった。
俺は悩みに悩んだ末、こんなもの、俺たちの歌じゃないし、プライドが許さない、という結論を出した……
ことにした。
だが、本当は、咲子さんの言う通りだ。
俺は、偉い人たちに「君には才能がないし、代わりはいくらでもいる」と言われるのが怖くて、逃げたのだ。
咲子さんは、ずっとその弾丸を持っていたのだろう。
それにしたって、何故今、五年ぶりに再会してぶっ放してくれたんだよ、と恨めしくなる。ふらふらと歩きながら、後部ドアへ移動する。「ちょっと君」と横入りに対して四方山が文句を言ってきたが、無視する。さっきはよくも邪魔をしやがって、と睨みたいところだ。
空気が吐き出され、後部のドアが開く。
目出し帽の岡本が飛び乗ってくると、俺の背後に回り込み、ナイフを首に突き立てた。
「乗り込んだらこいつを殺す。おい! 運転手! 早くバスを出せ!」
いつものセリフだ。
バスの扉が閉まり、外にいるスーツ姿の男たちが、歯がゆそうに発車するバスを見送る。
俺は抵抗しませんよ、という意思表示のために軽く両手を上げながら、バスの前方へ視線を移した。
咲子さんだけ逃げてくれれば、今回は御の字だ。
と、思っていたのだが、俺は目を剥いた。
「なんで乗っているんだよ!」
思わず大声をあげてしまった。
咲子さんが、運転席のそばに立ち、人質になっている俺を見ている。さすがに、怒りのボルテージは下がっているようだったが、怯えた顔で立ちすくんでいる。
「大事な話の途中だったから」
大事な話の途中だったけどさあ、と肩を落とす。
「おいお前ら、なんの話をしてるんだ!」
犯人が苛立ち、声を荒げた。
=====つづく
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