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どかーん
小学生の頃、友達からは「ゲーマーだ」と言われる程ゲームが好きで、得意だった。
中学に上がってからもそのゲーム好きは健在で、休みの日には早々とその日の宿題を終え、携帯ゲーム機一式が入った革製の黒いポーチをチャリのカゴに入れ、友達の家に飛んで行った。いつも大体同じメンバーで集まって陽が落ちるまでゲームをして遊んだ。
日によっては外で遊ぶこともあったが、基本的に集まる目的はゲームだった。
メンバーの中では僕が一番ゲームが上手かった。実際はどうだったかは分からないが、そう思っていた。今思い出してみても僕が一番だったような気がする。
その頃の僕といえば表面では「僕なんて…」といった具合であったが、心の中はいつも自信に満ち溢れていた。ゲームだけでなく、運動も勉強も人並みに出来た。本気になればもっと出来るとさえ思っていた。きっとこういう謎の自信の延長線上に「黒歴史」は刻まれるのだろう。実際今こうして振り返りながら文字を書いていると、恥ずかしいあれやこれが記憶として蘇ってくる。
今でもゲームは好きでたまにやったりするが、ゲーマーだと揶揄されるほどではない。そしてあの頃ほど自信満々でもない。自信を失ったというよりかは、「これは出来る、これは出来ない」というように今の自分が手を広げて届く範囲が何となくわかってきたということだろう。少し話は変わるが、最近お酒をよく飲む、多い時はほぼ毎晩飲む。お酒を飲んだ次の日は心なしか心身ともに元気になる。ついこの間までお酒は滅多に飲まなかった。絶望的にアルコールに弱いと思っていたからだ。アルコールはその頃の自分の中では「これは出来ない」の範囲にあったという事である。でも実際は酒豪とは程遠いが、人並みに楽しめる程度には飲めた。今自分の中で持っている「出来る」の範囲は経験と、推測が合わさって生成されていて、時にはその含有量のほとんどが推測の場合もあるという事だと思う。アルコールはその例の一つである。それによって自分の本当の力を見誤って、可能性を狭めてしまっているような気もしてきた。
今一度出来る事、出来ない事のボーダーラインを見つめ直す必要がありそうだ。
とは言いつつも一度出来ないと思ったことに対してやってみようと考える事は難しいとも思う。それならば、あの世間知らずのゲーマーから学べることもあるのだろうなんて思いながら、クローゼットの奥の奥に手を伸ばし引っ張り出す。革製の黒いポーチだ。
ちたへんりーの曲『どかーん』はこちらからお聴き頂けます。
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