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ファンタジー

 「そういえばあいつはどこに行ったのだろう」窓の外を眺めながら、ふとそんなことを思う。平日の昼下がり、大阪方面野洲行きの新快速は多少寝転がっても大丈夫な程に空いている。ただ今日はギターが一緒なので席には座らず、ドアの端に立っていた。
 “あいつ”とは、車窓に流れる景色の中を颯爽と飛び回る男のことである。忍者なのか何なのかは分からないが、彼がかなりの超人である事は確かである。かつて親の車の後部座席に乗り遠出をする時にはほぼ毎回その存在を観測していたのだが、最近ではめっきり見なくなった。どこに行ったのだろう。

 それから暫く経ってからのある日、僕は久しぶりに”あいつ”を見つけた。友人数人が集まった呑みの場で、誰かと誰かの会話をぼーっと聞いているようで聞いていなかった時である。店内の壁の模様を目でなぞっていると、壁をよじ登る彼がいたのだ。最後に見た時から10年以上は経っているはずだが、相変わらず若々しくその超人ぶりは健在であった。彼が天井まで到達した頃、飲みかけのグラスに僕の肘が当たった。思い出したかのように少し残ったビールを飲み干し、再び壁に目をやると彼はいなくなっていた。
 何がきっかけで彼は姿を見せたのだろう。お酒を飲んで気持ち良くなっていたからか、はたまた彼の気まぐれか。でもこの日ひとつ確信したことがある。今の僕が生きている世界は、あの頃僕が生きていた世界と同じ世界なのだということである。子どもの頃僕が見ていた空想世界は消えてなくなった訳ではなく、今も近くに存在していたのだ。

 その日からこの文章を書いている現在まで彼は一度も姿を見せていない。でも僕は知っている。彼はまた現れる。行き詰まってにっちもさっちも行かない様な時かもしれないし、旧友と会い不思議なふわふわした気持ちの時かもしれない。その気になればいつだって想像することで彼に会えるではないかと言う気もするが、おそらくそれではダメなのだ。無意識下で姿を見せる彼だからこそ良いのだ。久しぶりに姿を見せた彼は今の僕を全て肯定してくれている、そんな気がしたのだ。これからも彼とは定期的に会いたい。

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