スウィングしなけりゃ意味がない@東京芸術劇場シアターウエスト
サルメカンパニー5周年記念公演
スウィングしなけりゃ意味がない
演劇を観に、東京芸術劇場へ足を運んだ。
モーパッサンと共に。
「スウィングは終わらないんだな」
先日、新宿文化センターで行われた春のジャズ祭りに足を運んだとき、
老いも若きも演者たちが館内の至る所でライブを繰り広げている様子を目の当たりにして、ふと浮かんだ言葉だった。
その言葉を頼りに、
「スウィングしなけりゃ意味がない」
という演劇が翌週に行われることを知った。
ライブは好きだが演劇は観たこともなく、今まで興味も無かった。
ただ、宣伝の画像に惹きつけられるものがあった。
劇の内容は、第二次世界大戦中、ナチス占領下に置かれたチェコで、大英帝国軍の若者たちによるナチス軍No.3幹部を暗殺する計画(類人猿作戦)を描くというものだが、
歴史の詳細も理解していないし、劇団のことも当然知らなかった。
思考に浮かんだ「スウィング」というフレーズと、公演日のタイミング、そして今の自分の状況、それらが偶然重なっていた。
半ば「ジャケ買い」のような心持ちで、まだ空席の残っている公演日のチケットを買った。
劇場で、演劇を観るというのは初めてのことだった。
幕が上がり、鍛錬を積んだ生身の演者たちが発する声、表情、仕草、身振り。
それらが束になってぶつかり合うときに生じる感情。
私よりも若い世代が発している「メッセージ」を存分に受け取った。
絶望的な状況の中でも、死の間際まで未来と希望を見出そうとしていた若者たちの、
ほとばしるエネルギーが、私に問いかけてくるようだった。
「未来と希望はそこら中に転がっている。溢れ出ている。
見るも見ないも、拾うも捨てるも自分次第なんだ」と。
劇の途中に幾度も入る生演奏は迫力があって素晴らしかった。
10分間の休憩時間と舞台転換中、トイレに席を立とうとしたら休む間もなく演奏が始まるものだから、おちおち休憩もしていられない。サービス精神旺盛な演出も好きであった。
途中いくつか台詞の内容や時代背景の理解が追いつかなかったこともあり、台本も買ってしまった。
これを機に、歴史を少しでも学び直したいし、また機会があれば、彼らの劇に足を運びたい。
戦時下において、スウィングジャズは抵抗の象徴だった。
政府によって禁止されても、若者たちは歌い踊ることで抵抗を続けていたという。
3歳になる私の子どもは、イヤイヤ期真っ盛りだ。決して自分の意思を曲げようとはしない。彼はまさに「スウィング」している。
さて、私は今、「スウィング」しているのだろうか?
そして私にとっての「スウィング」とは、一体何だろうか?