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感想...なのか?

みなさん、こんばんは。深夜3時帰りの夜行バスより失礼します。まずはその夜行バスの話を少ししようと思います。ぼくが住んでいるところから、東京に遊びに来るには大体飛行機か夜行バスのどちらかを使うことになります。新幹線は実は1番高いので基本使いません。今回は予約が出発日まで1月を切っていたため、バスの方が安くこうして一晩車にゆられている訳ですが、夜行バスを前回使ったのは、1月13、14日の代々木決戦の時でした。その時も今回と全く同じバスタ新宿というところから帰ったのですが、今回も帰りのバスのためにバスタ新宿に来て、たくさんのバス待ちのお客さんを見るとなぜか誰かと別れるような、何かが終わってしまうような、とても寂しい気持ちになるのです。ぼくはあの決戦以降、終わりが常に頭にあります。それは今まで当然のように花譜さんはピンク頭のあの見た目だけだったのが、廻花としてまた別の姿に変わったように、何事にも永遠などはなく、常に移り変わるのだという実感を得たからだろうと思います。あの日、ぼくは新たな出会いを祝う気持ちと同時に、花譜さんが花譜さんではなくなる日がいずれ来ることに気づいてしまったのです。その時の感情がバスタ新宿であの日と同じようにバスを待っていると、じんわりと思い起こされるのです。
 さて、それはそれとして花譜展の話に参りましょう。ぼくの花譜展の感想はただ1つです。それは
「1人で来るもんじゃねぇな」
これに尽きます。これはぼくの感性が終わっているのかもしれないですが、1人でウロウロと展示を見ているだけだと絶妙に何の感情も湧いてこないのです。こんなことを言ってしまってはいけないのですが、別に花譜さんについて新たな発見があるわけでもないので、何か絶妙に興奮しきらないような感じでした。怪花の写真の展示を見てぼくは花譜さんの声無しではあんまり何も思わないんだなと気づきました。そもそもたった2月前のことを懐かしく思うにはぼくは少し若過ぎたのかもしれませんが。1番印象に残っているのがラプラスに書かれたネ祜が目の前で消されていく、悲しい瞬間でした。

この絵マジで上手いですよね。消えてしまったのが本当に残念でなりません。しかし永遠と残り続けるものなどないのですから、これも当然のことと言えるかもしれません。(これでバスの件と繋げるのは無理がある)まぁ、またそのうち誰かが描くでしょう。次はゴミダス説を密かに推していこうと思います。
 ラプラスの上のネ祜や花譜さんの活動やその他もろもろにもいずれ終わりは来るわけです。それは予兆がある時もあれば、突然訪れることもあります。でも時が経てばまた、姿は違えど巡り合うことができるかもしれません。その時はまた、はじめましてって言うのでしょう。そんな感じのニュアンスの詩のような何かでも貼っておきます。

 白紙

あなたが今を捨てるというなら
ぼくに止める権利はどこにもない
何もかもやめてまた種から
花を育ててみるのもいい

最後になっても最後じゃない
きっとあなたはどこかで咲いている
進む道いずれ分かれても
どこかでまた再び交わるから

全部白紙になっても構わない
何もかも忘れたって気にしない
ぼくらまた必ず巡り会うから
姿は違えど見つけ出すから
もし再び出会えたのなら
あなたにまたはじめましてを言うよ

あなたは次は海かもしれない
あなたは次は鳥かもしれない
あなたは次は宇宙かもしれない
それでもきっと僕ら出会える
だってあなたがそう言っていたから

あなたが好きだ、それ以外いらない
いつか泥になるんだ僕ら
それでもまだあなたに狂っていたい
あなたの足が前を向くなら
僕らの春は終わらないように

全部白紙になっても構わない
何もかも忘れても気にしない
ぼくらまた必ず巡り会うから
姿は違えど見つけ出すから
もし再び出会えたのなら
あなたにまたはじめましてを言うよ
何度目だってあなたに
はじめましてって言わせて

ここまで読んでくれて皆さんにが、これからも良い出会いと別れに巡り合うことを願いながら、
「ありがとうございます」


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