「なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない」(東畑開人) を読む
東畑開人の本は「居るのはつらいよ」と「心はどこへ消えた?」の二冊を読んでいた。
この本はそれら二作とは趣が異なり、物語形式で書かれている。読者が著者と共に「夜の航海」を進めるというストーリー。それは悩みと向き合って自分なりの生き方を見出していくための航海だ。さらに、臨床心理士としてのクライエントとのやり取りの様子が詳しく書かれていて、その具体的なエピソードと航海のストーリーが関わり合いながら話が進んでいく。
専門用語や難しい言葉は使われず、喩えが多用されている。著者は現代の社会の状況を「小舟化」と表現している。かつてあった親族や村落、会社といった共同体の力が弱まり、個人主義が進んだことで個々人が人生のリスクと責任を負わなければならなくなった状況をそう表現する。著者の考えでは、社会の小舟化は行き過ぎている。
特に納得したのは、小舟化によって私たちがリスク管理にリソースを取られ過ぎているという視点だ。小舟化する社会では、心が保守化していくことを指摘している。
この本では自分の悩みに向き合うための、考え方の「補助線」をいくつか提示している。その一つが「馬とジョッキー」というものだ。これは心が持っている二つの側面を表している。馬は欲求を実現しようとする衝動的な部分で、ジョッキーはそれを制御しようとする部分。馬が現実から離れようとする動きで、ジョッキーはそれを現実に引き戻す動きともいえる。この二つのパワーバランスによって心が成り立っているという考え方はわかりやすい。
そして小舟化する社会で心が保守的になる現象は、ジョッキーの部分が馬よりも優位になっているということだ。社会が自己コントロールのメッセージに溢れていることへの違和感が書かれている。
自分のことを振り返ってみても、ジョッキー優位なところは思い当たる。先日安部公房の小説「第四間氷期」を読んだ際、未来に対して保守的な考え方(日常と大きく違う未来を受け入れられない)を持つ主人公に、自分の考え方もそうかもしれないと思い、そのことに少しショックを受けた。これは自分の性格だけでなく、小舟化する社会という環境の要因もあるのかもしれない、などと思ってしまった。
馬の声を聞くことが必要だ、と著者はいっている。
以上は、まだまだ本の前半部分である。
この後にも、鋭い洞察が登場する。例えば働くことと愛することについて。
フロイトの考えによると、人生は「働くことと愛すること」の二つに分けられるという。そして現代は「働くこと」が小舟化し、「愛すること」を飲み込んでいるというのが著者の視点だ。どういうことか。
最後の言葉は、まさに今の状況を言い当てていると思う。
人間をシンプルにしていく圧力から、どのように逃れるか。
昨今話題のAI(人工知能)にしても、人間のような知能がAIによって実現されつつあるかのような話があるが、どうなのだろう。人間の知的活動の内、実現できつつあるのはかなり限定された範囲だと私は思う。それを知能全体の働きと誤解しているように見える。あるいは、人間の知能の側を単純化して捉えることでAIの側に近付けている。AI技術の進歩が盛り上がっている裏で、人間観のシンプル化・矮小化が進んでいるように思えて、それが気に掛かる。
小舟化した社会は、「ひどく孤独になりやすい社会」でもあると著者はいう。その中で「愛すること」が失われやすくなっている。
この本の後半は、「小舟化の時代に、いかに「愛すること」を回復するか」というテーマを語っている。
興味を持たれた方は、ぜひ本を読んでみていただければと思う。