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散歩を構成する要素 2022年5月29日週次投稿

週のはじめの記述のストレッチ、週次投稿でございます。
今日は散歩という行為を構成する要素のことを考えてみたいと思います。



以前書いた散歩の固有性の話の続きになるかもしれません。

この記事では、散歩の充実感みたいなものがあるとして、それを散歩の固有性に由来するものとして考えてみたいという方針を仮に設定してみました。

散歩という行為では、歩いて、その過程で得られる眺めがあって、あるときには聴いている音楽があって、考えていることがあって、というようにいくつか並行しうるプロセスがあり、そのそれぞれに固有の充実感(運動や鑑賞、思考の充実感)があるように思います。
ではそれらと区別される散歩の充実感があるとしたら、それはどういうものだろう、という問いです。それを考えるためには散歩という行為自体の何か固有性というものを考える必要がありそうだ、という流れでした。

さて、そんな流れで散歩を辞書で調べたらどんな説明だろう、ということも確認してみました。

(行く先・道順などを特に決めることなく)気分転換・健康維持や軽い探索などのつもりで戸外に出て歩くこと。
新明解国語辞典 第七版 散歩

前回の記事では、この説明の中にある”つもりで”という言葉に着目して、達成されるかどうかわからない目的ということを書いてみました。
(同時に、散歩を特定の目的意識とだけに結びつけるのは自分の実感と隔たりがある、という素朴な疑問も呈しています。)

この達成されるかどうかわからない目的というのを、期待という言葉で言い表せるかもしれません。上の辞書の説明にならうなら散歩には気分転換、健康維持、軽い探索、という期待があるということです。

書いていて気づいたことですが、気分転換や健康維持と軽い探索では結構印象が違いますね。前者は特定の目的意識と結びついているように思え、後者はそれが前提になっていないか、もしくは希薄に思えます。
(軽い探索=探索ともいえないような探索、という感じでしょうか。こちらは自分の普段の習慣の散歩の実感に少し近いかもしれません。)

仮に目的意識の強さのグラデーションで期待を考えるとして、何も期待しない散歩があるか、というのは難しい問いかけです。
私もこの話題を考え始めたときは自分はそうかもと思っていましたが、仕事の同僚にこの話をしたときに、まったく何も期待してないってわけではないんじゃないの、と言われて、確かにそれは言い過ぎかもしれない、と考えを緩めました。たしかに期待するともない期待がある気がする、と。
一旦期待のない散歩のことは保留にして先にすすみます。

さて、散歩の要素としてまず期待というものを設定してみましたが、もちろん散歩は期待しているだけでははじまりません。
散歩がはじまるためには、歩行しはじめる必要があります。(別の形もありますが、一旦は歩行とさせてください。)

この歩行は特定の場所と結びつく必要のない歩行です。
はじめる場所おわる場所は家であっても、そうでなくてもいいですね。
散歩していたら興が乗ってきて普段の生活圏からかけ離れて途方に暮れて、帰りの体力に自信がなくなって、GoogleMapで近くの駅を検索して、最寄りの駅まで電車で移動することになるかもしれないわけです。
最寄りの駅から家まではとても散歩とはいえない状態でしょう。ここまでくると散歩ではなく彷徨や徘徊といえるかもしれません。

出先でたまたま空いた時間を利用して、その後の予定に差し支えがない程度にぶらぶら歩くのも散歩といえるでしょう。

それらから読み取れるのは単に移動をしているということです。
少し踏み込むなら何かしらのタイミングでの移動の開始と延長だけがあるという書き方ができるでしょうか。

期待と延長、と書くと何だか別のニュアンスが出てきてしまうような気もするので、期待と(歩行の)迂回にしておけば収まりが良さそうです。

と、この2つの要素が散歩を構成している、と今のところはそんな感じで考えています。散歩の固有を構成する不可欠な要素、期待と迂回。
この2つの要素にかなり大きい影響を与える要素として習慣があるように思いますが、今回は一旦これも取り上げません。習慣は期待と迂回それぞれに異なった影響を及ぼしているでしょう。

そんなこんなでスタート地点に戻ります。
散歩の充実感を考えるためにその固有性として、期待と歩行の迂回という2つの要素を含むシステムを想定してみました。
では散歩の充実感はこの文脈でどういうかたちで考えられるかといえば、期待系と迂回系のそれぞれが互いに活気づけるようなことが起これば散歩固有の充実感と言えるのではないでしょうか。

軽い探索に出かけて、こんな道があったっけ、と気づいてそこに這入ってみる。その道のりに従って歩いているうちに、ふと、思ってもいなかった場所があることに気づく。いいかげんですが、例えばそんなシチュエーションが想像できます。

ここから次に書いてみたいことをあげてみるなら例えば以下のような内容がありそうです。

・期待と宙吊り
・迂回にベットされるパターンの分類

すこし疲れたのでこんなところで今日はこんなところで。



前にみつけた作品が解体されていた。
とはいえ解体ではないのかも。作者がそうしたのか。
1ヶ月くらいは以前の形態が維持されていた。

2022年5月29日


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