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砂時計を見ながら考えたこと
昨夜、羽田から秋田に飛んできた。秋田駅まではバスで移動。
ようやくホテルに着いたらルームキーの磁気登録不良で11階と1階のフロントを往復させられ何だかすっかり疲れてしまい、そのままベッドで寝落ち。
5時過ぎに目が覚めて朝サウナに向かう。
ドーミーイン秋田のサウナ室にはTVも12分計もなく、砂時計(5分)がひとつあるだけ。
砂時計をひっくり返すと、細い一筋になって上から下へと砂が落ちてくる。
半分くらいまでは上のガラスの中が中々減らない気がするが、下のガラスにはサラサラと砂が積もっていて、最後の1分くらいは、加速したのか?と思うくらいあっという間に砂が落ちる。
時間を計る砂の流れるスピードは全く同じなのに、たったの5分間でも最初と真ん中あたりと最後では随分と感じ方が違うものだ。
日野原重明先生の「命とは時間」の話を思いだした。
この砂時計の砂の様に、命の時間はサラサラと流れている。その時間は同じスピードの筈だが感じ方はその時で遅かったり速かったり…
終わりはあっけなく吸い込まれるように落ちる。
人の命が砂時計と違うのはひっくり返すことができないこと。
剛者(つわもの)どもの夢のあと 21世紀のこの荒野に
愛と喜びの花を咲かせましょう 神様俺は今人生のどのあたり