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ダイヤモンド婚式も超えた二人

10月16日は、我が父母の結婚記念日である。1959年のことなので、今年で62回目。結婚60年のダイヤモンド婚式も超えた二人である。

結婚式当日、母は父の住む瀬戸内海の小さな島、六口島からの迎え船に乗り込んだそうだ。

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写真に走り書かれている当日22歳の乙女であった母のコメントが微笑ましい。

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正に「瀬戸の花嫁」である。
小柳ルミ子の名曲、「瀬戸の花嫁」は1972年なので母はいつも「私の方が先なのよ」と自慢する。

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母22歳、父25歳。当時としては一般的な適齢期であろう。この二人、恋愛結婚である。昔のことといえあの小さな島に嫁ぐのはかなりの覚悟がいっただろうに。否、そんなことも考えられないくらい若い二人には勢いがあったんだろうな…。

♪若いと誰もが心配したけれど、愛があるから大丈夫なの〜

62年前の結婚以来、ずっと一緒に暮らしてきた二人だが、8月末より父は入院生活となったため初めて1ヶ月以上も別々に暮らすことになった。そして、このご時世である。何とか個室が取れたので辛うじて週に3回30分、母だけが父の面会を許されてきた。

せっかくの結婚記念日である。写真をみながら記念日のひとときを過ごして欲しいとアルバムを病院に持参してもらった。

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父、87歳。既往症は多種多様、認知症ももれなく進んできている。まだ「あんただれ?」と言われることが無いのが家族にとっては救いである。

私はいつもガラス越しに車椅子に括られた父の姿を眺めるだけだったのだが、ここの所の感染者数の減少で、この日は特別に病室に入れることになった。

病院生活では、家族でもないのに看護師からは「お父さん」「おじいちゃん」と呼ばれるようになる。見舞いに行った母も「お母さん」「おばあちゃん」である。

悪気は無いのだろうが「お母さんが来たよ」と見舞いに訪れた母のことを父に伝える看護師につられて「お母さんが来た」と言った父の言葉に、母はひどくショックを受けていた。62年間ずっと名前で呼ばれてきたからである。

花婿の写真を指して、これは誰?と問うと

「これは私」と答える父。

花嫁の写真をさして、これは誰?と問うと

「これは彼女」と答える。

もう一度、花婿の写真を指して、これは誰?と問うと

「これは私」

花嫁の写真を指して「彼女は誰?」と問うと

「これは◯◯◯←母の名前」

62回目の結婚記念日に、父から名前で呼ばれたことは、母には両手いっぱいの花束よりも嬉しかったことだろう。

人生は放物線。

87歳と84歳。

病める時も健やかなる時も…

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