校則の思い出(わりとのんき)
こんにちは、返却期限です。
世の中で校則の話題が出ると、「モヤモヤした」「腹が立った」「ビックリした」というような話が多い気がします。「変わった」という話はあまり聞きませんね。
高校三年生のころ、校則が変わりました。生徒会長(まだ一年生の女子だったと思います)が公約を守ってくれたのです。
私が通っていた高校は、今はどうだかわかりませんが、生徒の自立心や個性を尊重する校風でした。そんなわけで、もともと校則はゆるかったのですが、これはぜひ変えて欲しい、と優等生からギャルまで口を揃える項目がありました。
それが、「カーディガンの着用禁止」です。
冬服のジャケットを着るわけにはいかず、かといって合服(あいふく)の長袖だけではクシャミが出ちゃう。なんならお腹も壊しちゃう。そんな時期、我々に許されていたのはベストの着用のみでした。肩も腕も寒い寒い!廊下側の席のすきま風を、先生たちはご存じないのでしょうか。
なぜこんな無意味な校則があるのか。ベストの色と同じ色で許可してくれたっていいじゃない。先輩たちは口を尖らせ、我々も尖らせ、口元が数字の3みたいになっていましたが、この校則は変わりませんでした。歴代生徒会長(私が在校していたときはみんな女子でした)も頑張ってくれたと思うのですが。
しかし、ついに若い世代がやってくれた。受験もありますから我々の在校期間は残りわずかというときでしたが、大切な時期を温かく過ごせます。中に着込んだっていいのです。ありがたやありがたや。
ちなみに、「なぜカーディガンは着用禁止なのですか」という問いには、「特に意味はない」とのことだったそうです。へりくつこねなかった先生も良いですね。
敏腕生徒会長は他にもやってくれました。優等生でさえ誰も守る気がさらさらない無意味な校則が、いくつも正式に削除されることとなったのです。すごい!えらい!
私たちはお昼休み(放課後だったかな?)、校内放送を聴きながら生徒手帳を一斉に開きました。そして、指示があるページを開き、その中の項目に二重線を、もしくはページ丸ごと全部にバッテンを引いていきました。時代劇のクライマックスのようにバッサバッサと痛快に斬られていったその悪しき項目たちは、例えば「映画館などに行くときは必ず保護者同伴」「男女交際は保護者の了承を得て」「男は男らしく、女は女らしく」のような時代錯誤なものでした。
特に、前2つは無視もできますが、最後の1つはどうでしょう。読むだけで心が痛みますね。
この校則を思い出すたび、「こんなん、Xちゃん(仮名)困るやんなあ」と言ったり思ったりしていたことが、つられて出てきます。
Xちゃんは一学年下の子で、私の友人が部長をやっていた、わりと大所帯の部活の部員でした。女子の制服に混じって男子の制服が見えます。これがXちゃんです。声に特徴のあるXちゃんはよく目立つので、他の学年の間でも有名でした。Xちゃんが輪の中心にいる集団はいつもキャッキャと楽しそうで、見つけるとなんだかほっこりするのでした。
その集団が固定メンバーだったのかはよくわかりません。部活で私の友人たちとキャッキャと楽しく練習しているところも見ました。明るくて一生懸命で、先輩たちに可愛がられているようでした。
あの校則の廃止は、どの人をどのくらい救ったのかはわかりません。自覚はなくとも、全校生徒が救われたんじゃないかな。
そういえば、おもしろい校則もありました。「昼休みは食事をとるために校門から外へ出ても良い」というもの。昔は寮があったからだったかなあ、古い時代の慣習が残っていたのです。私が通っていたころには学食でアイスも売っているくらい便利でしたし、5時間目の遅刻のことを考えると、めったに外食する者はいませんでした。たまにコンビニに走る子はいたような。
染髪禁止の校則は入学から卒業まで続いていましたが、高校デビューなのか、金髪でキメてきたギャルもいました。その子とは三年間ずっと同じクラス。彼女の方が根は真面目なんだろうなという感じでしたね。
そんな彼女とは、一年生の時は苗字が前後だったので、日直や班が同じでした。
ある日、なんだったか、掃除の件か何かで、体育教官室でお説教を受けていたところ、何かがおかしいということに先生が気がつきました。先生が彼女のブレザーに光る、銀色の校章を睨みます。彼女がパッと両手で隠す。「見せなさい!」そっと手が除く。先生、「なんやこれ!?」彼女は恥ずかしそうに顔を赤くしながら、「赤十字のバッジです……」。校章をなくしたから、代わりにつけていたんですね。怒っていた方も、怒られていた方も、思わず笑ってしまったのでした。
校則も、赤十字の精神を参考に見直されるといいかもしれません。人道的にね!