正しい夜明け/樹海の車窓から-10 #崖っぷちロックバンドHAUSNAILS
ひとつお前達に話し忘れてた事があってだな、と話し始めたジル猫実社長は、未だ自分が置かれている状況を完全には理解しきれずにいるおれに、情報過多な新事実を初対面の相手に出身地を告げるようなテンションで言い放った。
「俺ね、実は、キヨスミと同じなの。ゾルタクスゼイアン星で作られた人工生物の血が流れてる」
勿論、おれは腰かけたベンチから三十センチぐらいは飛び上がったんじゃねえかと言う勢いで驚いた。「コントのような驚きっぷり有難う」と優雅に微笑む社長は、「俺の場合はキヨスミと違って、母親がゾルタクスゼイアン人で父親がニンゲンなんだけどね~」と続ける。
いずこへと消滅したメンバーの身を案ずるおれに社長は「アイツらなら元の世界に戻したよ」と応えると、「盂蘭盆会」と書かれたTシャツの上に羽織った革ジャンのポケットからアメスピとライターを取り出し喫って良いかと律儀にひと言、流れるような所作で一本取り出した煙草に火をつけ、形の良い唇に挟んだ。
「お前達ここ、ストリートビューの中だと思ってんだろ?」
「違うんすか、」
「うん、ここね、俺が作った仮想空間なんだよね。ARってヤツ?」
今さらっとまたとんでもねえ新事実ぶちまけやがったなこのひと。
どうやらデジタル社会の宇宙人ハーフはドチャクソリアルな仮想空間さえ作る事が出来るらしい。九野ちゃんを貶める策略によるものだと思い込まされていたおれは一瞬社長の正体があの磯の匂いのしそうな謎ネーミング悪役なのかと本気で思いかけたが、口に出す前に「いやそれは流石に勝手に名前借りただけだから」と社長本人からツッコミを賜ったので一瞬で彼の言う事を信じる方に思考の舵を取り直した。何故なら、キヨスミがその人智を逸した能力でおれの思考をハックする時と完全に同じ現象だったからだ。
罪のないバンドマンを奇妙な異世界に送り込んだ犯人は「やろうと思えばなんでも出来んのよね、なんたってこの頭蓋骨の中にはスーパーコンピュータの百倍の処理速度を誇る脳味噌が詰まってるわけだし」とドヤ顔すら見せずに右手人差し指でこめかみをトントンと叩く仕草を見せ、その手で煙草をつまんで紫煙を頭上に吐き出した。
「つまり、ここの世界の神は俺って事さ」
ベンチに背を預け、嫌に不敵に吊り上げられた口角がMVのワンシーンのようだ。そのひと言を耳にした瞬間、おれの脳裡にはつい数時間前――この空間に連れてこられる前に小耳に挟んだ、キヨスミとフッちゃんの会話が過った。
「だからさフッちゃん、ツイッターでよく見る“○○しないと出られない部屋”ってヤツ、あれってちょっと培養槽っぽいなぁと思うワケよ俺は」「そもそもなんのためにその部屋は設けられてんだって話ジャン? 誰がなんのためにその部屋用意してんの?」
「うーん、そら作者じゃん?」
「だしょ!? 作者という“神”なのヨ、GOD」
ーーーーならばここは、一体“何をしないと出られない部屋”なのだ? エロ同人でよくあるやつとは明らかに様相が違っているのは確かだが。その疑問をそのまま本人にぶつけると、「Wow! 随分大胆な事言うじゃないの」と帰国子女風に茶化された。因みに念のため書いておくが、社長は音楽と経営の勉強のために大学時代にイギリスはケンブリッジ大学に一年間留学に……行っていた事実などは一切ない。
「ていうか組長さ、気づいてんでしょ?」ふざけている間に、また思考を読まれた。おれは意を決し、ずっと胸に秘めてきた気付きを白状する事にした。
「……新曲の提出っすか、締め切りもうすぐだし」
「そ。わかってんじゃんやっぱ」
やっぱりか。締め切りお化け面目躍如である。
でもそんなら普通に口頭でもLINEででも言ってくれりゃあ良かったのだ。わざわざこんな異空間作り上げてメンバーまで巻き込まんでも、充分実のある結果にはつながったはずだ。仮想空間を作り出すのだって決して楽じゃないはずだし。涼宮ハルヒじゃなかろうに、そう簡単に閉鎖空間生み出されてたまるかよ。
しかし社長は少しの間の後、「う~ん、荒療治っての? ショック療法になるかな~と思って」と応え、唇の端に煙草を引っかけて狼狽えるおれの目を覗き込んできた。
「だって結構根深そうだったから」
違う? と小首を傾げる社長の目はおどけた調子の口ぶりとは反して、まるですべてを見透かしているかのような静かな色をしていた。一体何処まで知っているんだろうか、このひとは。
観念して思った事をしっかりと噛み砕いた言葉で伝えると、「なんも知らんでも様子見てりゃわかるっしょ、組長が失恋引き摺ってる事ぐらいさ」とオトナの余裕をかましてくる社長。
「そんでラブソングの類が作れなくなっちゃってんだな~って事ぐらいは豊富な人生経験により想像出来るけど。でも今のうちに色々白状してくれちゃった方が良いと思うな、ちょちょっと検索すりゃあ色々わかっちゃうから、俺」
なんたってこの頭蓋骨の中には以下略。それもうキメ台詞っすか? 無駄口を叩きたくなるのを堪えておれは、その言葉通り観念して大人しく洗い浚い白状した。己の失恋がどれ程特殊なものだったのか、特殊そのもののような正体を隠し持っていたこの男なら理解してくれるのではないかと思ったのだ。
一昨年の夏の、あの日の出来事をひと通り話し終えると、整った顔面にクソ真面目な表情を浮かべておれの話にずっと耳を傾けていた社長は少しずつ頬を綻ばせ、最終的に陽気な悪魔のような声で爆発的に笑い出した。やめてくれ。
「いや傑作だわ~!」煙草を右の指先に挟んで酔っ払ったような舌の回らない調子で言う三十五歳現役バンドマンは、十歳以上も歳下のバンドマンの恨めし気な眼差しに気づいて少し表情を引き締めると、ごめんごめんと口の中で笑いを噛み潰した。
「ごめんだけどやっぱ傑作、イイね、愚直で。俺もお前ぐらいの年頃に戻りてぇわ」
そんな青春を振り返るキラキラの瞳で見つめられても困る。おれはアンタみたいな生まれ持っての国宝級イケメンじゃない。そのご面相なら、きっとガラスの十代も花ざかりの君たちだった事だろう。
嫉妬半分、“現象”としてのあの日の出来事は理解してはもらえても、結局は煌めく青春の一ページだと思われてしまった事への口惜しさ半分でおれの機嫌はまた底を尽く。泣く子も黙るロックスター“ザ・キャットテイル”のジル猫実も、結局は人並みのオッサンだったという事か。あーあーあーわかりましたよ。やさぐれた心の声とは裏腹に口を突く言葉は尻すぼみだ。
「でもおれは己の愚直さが愛せません。あれをどうしたって恋だったなんて呼べない。好きな女のコの正体も見破れないなんて、どんだけおれの気持ちが……独り善がりだったか……相手とどんだけ向き合ってなかったのか……」
「でも俺はキヨスミの意見に一票」どんどん弱気になっていくおれの声を社長がギロチンを落とすように切る。「イイじゃねえの、そん時本気だったんだもん。キヨスミのやらかした事はなかなかエグイかもだけど、終わっちまったモンは宝石箱に入れてやれよ。いずれにせよゴミ箱には入れらんねえんだからさ」
社長は不意に遠い目になって、ヴィレヴァンの窓越しの朝陽で作られた足元の影を、ゴージャスなまつ毛の隙間から見た。「元来恋愛ってヤツは独り善がりなモンなんよ、結局はさ、自分の中にある“理想”を相手に押し着せて、似合った相手とくっつくんさね」
キヨスミも、同じような事を言っていた。自分の過去の、愛や恋のようなものを、恋だと認めてやるために曲を作っている、と。いつか大勢の誰かとその想いを共有出来たなら、その感情も報われるかもしれないと思うのだと。
フラッドの佐々木亮介は「散った青春も飯の種にして(『花』)」と歌ったが、正直おれにはまだその覚悟はない。自分でも整理の出来ない、名状も出来ちゃいない感情をそのまま歌に出来る程の技術も自信も今のおれにはない。そんな「作文が書けない事」をテーマにした作文を先生に提出するような真似、社長曰く愚直なおれには到底無理だった。ノートに何度書き出してみても無理だった。夜明けの陽射しが目に染みる。「夜明けが隠した孤独を照らしても」って、何の曲のワンフレーズだったっけ?
「どうしてアイツは、あんなに音楽にこだわれんだろう。今でももう、新曲のデモが三十曲あるって言うんですよ、アイツ。いつまた今まで通りライブ出来っかもわからんのに。社長だって、MCで、どうしてあんな強い言葉が言えたんですか? “必ず”なんて言って良いんすか? もうなんもわからんです、可愛い女のコひとりまともに好きでいられなかったおれには」
思い出した。「正しい夜明けが隠した孤独を照らしても」、だ。ビレッジマンズストアの『正しい夜明け』の、確かサビ。
ちょっとの不安で周りが見えなくなる、勝手に孤独に陥りたがる己の脆弱な精神が嫌すぎた。今となってはアイツらだって、人並み以上に不安だった事ぐらい察せられる。いつも通りのアイツらの笑顔だって、「苦しくたって 悲しくたって コートの中では 平気なの」だ。アタックNo.1だ。スポコンだ。
結局はおれは、自分の一世一代の恋にも、一世一代の夢にも、自信がないのだ。
視界が滲む。
明け方の刺すような陽射しが作る影から目を逸らさなかった社長は、もう半分ぐらいまで減ってしまった煙草を唇から外して灰皿に押し付けると、ゆっくりと、目を閉じた。
「ひとつめの質問の回答」微睡むような表情で、社長は少し俯く。長めの髪が左の横顔を隠した。
「我々の星では音楽は宗教と同等の意味を持っている。たったの30年、俺が生まれてから急速に発達したゾルタクスゼイアンの音楽文化では、その音、その言葉ひとつひとつに神が宿ると言われてんだ。多分キヨスミもそれをわかってんだろ、だから音楽を信じられる。半ば妄信的に」
少し言葉を切った後、考えるような間を作ってから社長は言葉を続ける。おれはその間、息を止めるようにしてその浮世離れして現実味の薄い言葉に大人しく耳を傾けていた。
「自分自身だけじゃなく、いろんな大事なモンを守ろうとしてんだよ、音楽を使って。いろんな恐ろしいモンから。俺達がいざって時に心のよりどころに出来んのは、音楽しかねえからな」
「……宇宙人同士の勘ッスか」思わず聞くと、社長は「勘じゃねェよ、電波」と少し顔を上げて笑った。
新しい煙草を懐から取り出した社長は、唇の端にくわえたまま大きな溜め息を吐いた。密度の高い煙が辺りをもうもうと包んでプリズムのように朝陽をぼやかせ、社長の輪郭までぼやかしてカメラアプリのフィルターでもかけたような幻想的な雰囲気を作り出す。
「ふたつめの質問にも通じるな、これは。俺も同じ。俺の言葉に神が宿る。だから胸を張って発さないといけない。俺達の音に神が宿る」最後の言葉は独り言のようだった。自分に言い聞かせるようにして社長は言うと、美肌フィルターの向こう側からこちらに話しかけてきた。
「お前等もだよ? お前等の歌に、お前等の音に、お前等の言葉に、神が宿ンだ」
社長は、続けて今はお前等にとって正念場だ、と言うような事を言った。珍しく、妙に経営者らしい物言いだった。半年の活休が明けて、このタイミングでの音楽業界への打撃は、お前達にとっても不幸としか言えない、と何故か申し訳なさそうに言った。別に、社長が悪いわけじゃないのに。
「でもな、組長。ひとつだけ言わせて」輪郭がぼやけたままの社長は、寝起きで駆け付けたような曲線を描く黒髪の隙間から、静かな目でおれを見た。雨上がりの湖の水面のような、ついさっき何処かで見たような目だった。
「下だけは向かないでくれ」
随分と、自他共に認める尊大な天邪鬼の社長らしくない言い回しだと思った。それに気づいてか、慌てたように言葉が付け加えられる。
「おれは根性論ってヤツがこの世で二番目に嫌いだが、今回ばかりは言わせてもらう。下だけは向くな。何故なら、音楽は、文化は、どんな凄惨な戦禍の中でも、死ななかったからだ」クソ真面目なまでのその言葉には圧倒的な説得力があった。低く湿り気があり、少ししゃがれた男の声だ。今のおれにはない――なんならキヨスミにだってない、“ロックバンドのボーカル”の声。第一線で戦い続け、今も尚身を引く気など毛程もないであろう男の声だった。
「かたちはそりゃ変わるだろう。でも、死にはしなかった。俺のこの脳味噌は世界中のネットワークにアクセス出来る。国や地域によっては多分に情報統制されていたりもする。だけど、どんな国にもどんな世界にも、どんな時代にだって、音楽は、存在していた」
強く言い切るその語尾は少し掠れ、語調は強い。しかし、感情を押し付けるような威圧感は決してなかった。精製済み純正百パーセントの説得力ってこんな質感なんだなあ、と思わされる物言いだった。
すっかり気圧されたおれが黙りこくっていると、社長は急に我に返ったような顔になって困ったように眦を下げた。「ごめんなぁ、こんな具体性のない事しか言ってやれなくて」そう言うと立ち上がり、自販機でコーヒーを買ってくれた。手渡された黒い缶の成分表示を見ると、砂糖が入ってない。ブラックコーヒーとふきのとうが世界一苦手なお子ちゃまマウスのおれにはとてもじゃないが飲めない。申し訳ないが異議を唱えようと顔を上げると、ぼさぼさの髪を掻き上げながら爽やかすぎる笑みを満面に浮かべた社長が、架空の下北沢の朝陽を一身に浴びてこちらを見下ろしていた。「俺達もたとえバイトしてだって、これからもバンドやり続けっからさ!」
まるで音楽誌のグラビア写真でも見ないようなハイクオリティなワンカット。首に巻いた革のチョーカーの金具がチカチカと反射する。「この街は俺のもの」とでも言いたげなその姿に、おれは思わず眼鏡を上げて目を細めた。そろそろ回答を示さないといけない気がする。金属的な音を立てて開くプルタブを寝かせ、飲めないブラックコーヒーのお礼を言うように、カサカサに乾いて血の味がする唇を開いた。
「おれ、まだ社長の言う“愛と狂気”、よくわかんねえまんまです。でも、歌いたい曲は見つかりました。だから、社長にひとつだけ、頼みがあります」