Dancing Zombiez/加持祈祷-2 #崖っぷちロックバンドHAUSNAILS
走り出すと同時に背後にやべえ気配を感じ、うっかり振り返ると後ろからさっきのやべえ顔のやべえバンドマン仲間が追ってきていた。それどころかその後ろからフロアに詰めていた他の出演者やらその友達やらまで同じような般若面の形相で追ってきている事に気がついてしまい、思わず足をもつれさせて転びそうになる。しかしここですっ転ぶなどしたら完全に一貫の終わり、あの般若面集団に包囲されでもしたらおれはどうなってしまうのだ? 最早絵面はウォーキングデッド、絶対ゾンビ映画の最初に殺される間抜けな夏休み中の大学生とかだろう。ゾンビ映画じゃ童貞は殺されないなんて仮説が巷じゃまことしやかに語られているわけだが、そんなもんは結局仮説に過ぎないし誰が童貞じゃ。
おれが童貞かそうでないかは死ぬ程どうでもいいとして、とりあえずめちゃめちゃ逃げないといけない。半分以上バンドマンだらけのゾンビ集団の、ウェイトが少なそうなドロドロした足音がじわじわ近づいてくる。その中じゃあおれは比較的ウェイトがデカい方とは言え流石に真正面からゾンビとやり合う勇気はない。とにかく力の限りに走り、フロアの重い扉を力づくで閉めてスタッフひとりたりともいない狭いロビーを突っ切り、地上へ向かう階段を駆け上ろうとしたところでその片隅で煙草を吹かしている人影に気がつき、おれは思い切り飛び上がった。
「うわぁぁぁぁ!?」
「ハッ!? うるせんだけど!!!」
驚いたおれの大声にブチ切れたその人影は、薄暗がりの中から飛び出してきておれの胸を軽く殴りつける。そいつは悠然と腕を組み、「無駄にデケェ声出さないでくれる?」とやや潜めた声で言いながら上目遣いに睨みつけてきた。キヨスミだ。が……。
一体何だ、その組んだ腕の上に乗っかった慎ましやかな胸部は。
おれの引き攣った口元に気がついたのか、キヨスミは熊柄のシャツの襟元から控えめな谷間を覗かせながら煙草の煙を揺らして言った。「予定日ズレちゃったの、今日は来ねえと思ってたのに」
ヤツの“秘密”を知って以来この時までに一年以上が経過していたが、「女のコの日」には流石になかなか慣れなかった。
仕切り直そう。
外の風を少し浴びてフロアに戻ったキヨスミは、おれと同じく周囲の面々の様子がおかしい事に気づいて外に避難したようだった。おれのように追われてバタバタ逃げ出してきたわけではないのが悔しいが実にヤツらしい。もしやこいつ、何か知ってるんじゃねえか?
「知ってるわけないでしょ?何が起こってんのか俺にもさっぱりぽんよ」
今日は珍しくよく気が合う日やな。
シャツの胸ポケから取り出した銀色のコンパクトのような携帯用灰皿に、キヨスミは徐にまだ長い吸殻を仕舞った。いつもより五センチ以上は下にある頭頂部を苦々しく眺めていると、すぐ傍の階段から足音が聞こえてきた。思わずおれ達は顔を見合わせ、息を潜める。流石のキヨスミも瞼をいつもの倍以上に引き上げ、身を固くしていた。自分の唾を飲む音がやたら大きく聞こえる。異常にゆっくりと歩みを進める足音には、合わせて何かを引き摺るような、ズッ、ズッといった摩擦音が重なって聞こえた。その時のおれ達にはどうにもその音は化け物が捕えてきた獲物を引き摺ってやってくる音にしか聞こえず、ライブハウスの中に逃げて裏口やなんかを探す方が安全か、はたまた刺し違える覚悟で地上を目指すのが賢明かと働かない脳味噌を必死にストーミングするほかなかった。
勇気を出して足音の方を振り返る。これはもう刺し違えるしかない。すっかり小さくなってしまったキヨスミの身体を何となく庇いながら見上げた階段の半ば辺り――――
そこには、
「よォ、まだやってる?」
酔い潰れて液体のようになったピンクマッシュを担いで暢気な声を上げる、ギタリストの見慣れた顔があった。
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まだ飲めるよ〜と酒に弱いくせにわかりやすく呑んだくれな妄言を発する九野ちゃんに肩を貸したままノーガードで店内に戻ろうとするフッちゃんを慌てて引き止め、おれ達は現状を出来るだけわかりやすく説明した。百戦錬磨の陽気な霊能者でも流石にアメリカン・ゾンビ・ムービーの世界観には対応しきれなかろうと思ったのだが、フッちゃんは訳知り顔で二、三回程頷いて「やっぱりなあ」と呟く。
「九野ちゃん休ませて戻ってきた時さあ、クラブ・ビーの方から階段伝いに立ち上ってきてたんよ、すんげえ濃い〜真っ黒な瘴気が」
それはそれは煙みたいにヨ、焼き芋やってんじゃねえかと思った。暢気にそんな事を宣うフッちゃんは、いつも通りの軽薄そうなベシャリでありながらそのゲインはいつものクソデカボイスと比べて三分の一程度のヴォリュームに留まっており、更にその目には何処となく苦々しげな表情が浮かんでいるようだった。
「瘴気……?」ちょっと我に返った様子の九野ちゃんが、フッちゃんに肩を借りたまま半目で囁く。どうやら酔っ払いなりに今までのおれ達のやり取りに耳を傾けていたらしい。フッちゃんはその辺の階段の段差に九野ちゃんを座らせながら、「オゥ」と疑問に応じた。
「わかりやすく説明すんのムズイんだけど、まあ簡単に言うと呪いだとか、まじないだとかの気配みたいなもんさね」
呪いとは聞き捨てならねえ。学生時代には自分自身の持て余した激ショボエスパー能力にまつわる悩みをどうにか昇華したく、ホラーやオカルト系の小説や漫画ばかり読み漁った過去を持つおれはこう見えてちょっとしたオカルトマニアでもあるのだ。まさかあのフロアの中にいた奴等が何かしらのまじないにでもかけられて、あの般若面のゾンビ集団になってしまったとでも言うのか?
フッちゃんはキビキビとした様子でキヨスミに「フロアん中、何人いた?」と尋ねる。キヨスミはコンピュータに記録されたデータを読み上げるような調子で「観客と演者合わせて二十五人、スタッフは五人、と、俺達」と回答した。「多分、全員。帰った奴はいない」
俺の目、殆ど高性能AIカメラみたいなモンだから信用してくれていいよ。さらりと言い放つキヨスミは、京極堂気取りで背中を丸め、腕を組んで続ける。どっちかと言うと陰陽師はフッちゃんの方なんだがな。
「ちょっと気になってんのがさ、さっきのクスリ。俺が見てた限りだとみんな飲んでたんだよね……もしかしてフッちゃんの言う瘴気の正体ってさ、アレなんじゃねえの?」
「呪いのクスリでみんなラリってるってこと?」九野ちゃんが食いついた。まさか! それじゃ今度はZONE-00じゃねえか。まつ毛増やしてこないといけない。
しかしフッちゃんは九野ちゃんのその頓狂なひと言に対し、あながちなくはないかもしれねえと口の中で呟く。続けておれ達を見渡すように振り返り、いまより少し短かったド金髪のロン毛を掻き上げながら、眉間のシワを深くして話し始めた。
「みんなちょっとだけ、話聞いてくれねえか? 俺やべえ事知ってるかもしれねんだわ」
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「今日実は実家から連絡があって、」苦々しげな表情は変えずに話し出したフッちゃんの言うところをまとめると、以下のような事だった。
今から一年前、渋谷のライブハウスで凄惨な事件が起こった。それは今日のように色々なバンドが集まる対バンイベントで、打ち上げに参加した出演者や関係者が何故か互いに死に至る程の馬鹿力で殴り合い、同士討ちの状態で死亡していたというものだった。
その事件については当時大々的に報道されてもいたし、おれ達もよく知っていた。結構老舗のライブハウスだったのにその後数ヶ月営業休止を余儀なくされ、ひとり息子に過保護に干渉しがちなオカンにはライブをすると報告する度に過剰に心配された。
その事件について、フッちゃんは驚くべき事を言った。なんとこの事件の原因は、とある“呪い”を押し固めた薬をその場に集まっていた人間全員が口にした事により、脳味噌を仮死状態にされた事だというのだ。
更に、言わば“仮脳死”状態となった人間達を、その薬を飲ませた犯人が洗脳し、殴り合わせた事によってこの悲劇は起こったのだと言う。
実際警察の捜査でも遺体の中から悉くドラッグ服用の形跡が見つかったそうだが、まさかこの日ノ本ニッポンの警察が呪いだのなんだのなんてオカルト案件にマトモに向き合うはずもなく。当時は「ライブハウスでドラッグ蔓延! 恐ろしいアンダーグラウンドの若者達の倫理観!!!」なんてやたらセンセーショナルに報道しまくられたものだった。
「かーちゃん、なんとなく透視したらしいんだけど、なんか今日、その一年前の事件とよく似た事が起こるみてえな事言ってて。おれが今日ライブだって言ったらその事件に遭遇した時の対処法教えてくれるって言ってたんだけど」
まで言いかけてフッちゃんは口ごもる。その対処法ってのは何なんだ? 普通に生きていたら無縁に違いない、フィクションの世界でしか触れ合わないようなおぞましい言葉達を耳にしまくってすっかり怯えたおれは、フッちゃんに続きを問おうとしたが、その言葉を遮ってキヨスミが言う。
「ふうん、じゃあやっぱゾンビみてえなモンなんじゃん。だったら組長はきっと最後まで殺られないで済むね!」
余計なお世話じゃ。
「俺は経験豊富だから早々にやられちゃうな〜」
おれが化けて出ておめえのはらわた喰いちぎってやろうか????
「んで? みんなはもう助からないの?」
あわやツインボーカルで共食いかというところで、思いのほか冷静な九野ちゃんの声がおれ達のしょーもないやり取りを遮った。根が真面目な九野ちゃんはもうすっかり酔いが醒めてしまったようだった。
「いや、死んではいないからダイジョブ」フッちゃんの言葉に九野ちゃんはじめおれ達は胸を撫で下ろす。しかし、フッちゃんの表情は決して明るくなかった。
「死んでねえからこそややこしいんだ」ギタリストは慎重に、言葉の意味をひとつひとつ噛み締めるようにして言った。
「殺さないように、でも目を覚ましてやらねえといけない、そのためには的確に急所を狙わないと」
その時、ライブハウスの店外と店内を分かつ重いガラス戸が、耳を劈くような破裂音と共に飴細工のように弾け飛んだ。
扉を背に立っていたフッちゃんは弾かれたように振り返る。おれ達の視界には戦闘態勢のフッちゃんの肩越しに、見覚えのある顔をしたゾンビもどきがゆらりと現れた。
さっきおれの肩にぶつかった、イケメンのベーシストだ。
そいつはさっき目をくらまされた信じられない程尖った歯を剥き出し、死にかけたハイエナのような顔面になってバネのようにこっちへ飛んでくる。
やばい、ヤられる!
そう叫んだか叫んでないのかすら覚えていない程一瞬の隙に、そいつは何らかの力によって弾き返されて扉の方へすっ飛んでいった。思わず閉じた目を恐る恐る開けると、そこではフッちゃんが片手を突き出して仁王立ちをキメていた。
馬の尻尾を靡かせながら勇ましい様子で振り向くフッちゃん。その背後の床に転がるベーシスト。狼狽えた九野ちゃんが小さく悲鳴を上げる。「え!? ちょ、死!?」
「だいじょぶだいじょぶ、打ちどころさえ悪くなきゃ!」どうやらフッちゃんの倫理感の方が先に死んでいたようだった。
しかし倫理的にどうたらなんて、どうやら言ってはいられない状況のようだ。何故ならそこに転がったゾンビもどきのベーシストが、徐に立ち上がり再びこっちに向かってきたからだ。そいつはまるで脳天にピアノ線でもつけられて引っ張られたかのように立ち上がり、操り人形のような、全身の筋肉が弛緩した状態のまま大股に跳びかかってこようとする。やばい、今一回やられたやろ自分!!!! おれ達はとりあえず絶たれていない退路を選び、地上へと向かう階段を駆け上がる事にした。
「で? 急所って何処だよ!?」背後から猛烈な速度で近づいてくる敵の不規則な足音が背筋を不気味に這い上がる。焦れば足が縺れそうで、おれは大声でフッちゃんに聞きながら階段の一段一段をかかとからつま先と意識的に踏みしめて段差を上っていく。
おれのすぐ上を女のコ走りで駆け上る九野ちゃんの向こうから、フッちゃんのいつも通りなクソデカボイスが飛んだ。
「わからん!」
自信満々にいう事か!
天を見上げてケタケタ笑うフッちゃん。こんな現状でよく笑えるもんだ。立派な肝っ玉に感心するしかない。フッちゃんは笑いながら続けた。
「何故ならそん時断ったからな、実家帰るの。だってライブ出たかったんだもん。どうせ俺、跡継ぐ気ないから親の言う事なんか聞きたくねーし」
つまりは結果的に、フッちゃんマザーから敵への対処法を聞く事は出来なかったという事か。頭を抱えながら階段を上る。九野ちゃんが走りながら、股間をおさえる動作をするのが見えた。どうやらゾンビもどきの“急所”を予想しているらしい。ちらりと振り返ったフッちゃんが「九野ちゃん、そこは大概にしてやれ。あとオトコだけにしな!」と言い放つと、九野ちゃんは満足したのかコクン、と素直に頷いて股間から手を離した。
「とりま迷ったら狙っとけばいいポイントはある」息を切らしながらフッちゃんが言うには、奴等の弱点は「盆の窪」なのだとか。延髄に繋がっているからだとかなんだとか言っていたが、「なんか聞き覚えある」「Dグレってオレ達小学生の頃だったっけ?」と話すキヨスミと九野ちゃんの言葉がついついぐるぐる回って、黒髪長髪のサムライエクソシストの姿を脳内から追い出すのに随分と骨が折れた。
また違った意味で肝っ玉の立派なリズム隊をよそに、先頭を走るギタリストの檄が飛ぶ。
「脳爆ゾンビ共がかかってきたら盆の窪狙え、んでとりあえずアイツを探す!」
「アイツって?」
「ンなん決まってんだろ、水島空白だよ!」
ライブで客を煽る時よりも強い口調で言い放つフッちゃんの、ここ数ヶ月節約にために自炊するようになってから若干太……デカめになった背中を見上げながら、おれは密かに、少しだけ羨ましく思っていた。
……なんだか今日のフッちゃんは、“主人公”っぽい。
(続く)
2018年設立、架空のインディーズレコードレーベル「偏光レコード」です。サポート頂けましたら弊社所属アーティストの活動に活用致します。一緒に明日を夢見るミュージシャンの未来をつくりましょう!