正しい夜明け/樹海の車窓から-3 #崖っぷちロックバンドHAUSNAILS
一言で言うと、今、おれはスランプである。
スランプだなんて偉そうな事言えるのは大物だけだ、なんてエラそうなどっかの誰かが言っていたが、実際何も生み出す事ができないのだから仕方がない。HAUSNAILSのフロントマンにして作詞が大の苦手でお馴染みのおれだが、曲作りだけは少なくとも誰よりも負けないように、数だけでも増やそうと日々努力してきた。仕事帰りに夜道を歩きながらスマホのレコーダーに鼻歌を吹き込んだりなんかは日常茶飯事で、それをもとにして生まれた曲も少なくない。バンドの活動休止期間だって、自分でなんとなくインスト曲を作ったり、なんて遊び程度のものなら欠かさなかった。
そりゃおれだってまだ二十二だ、発想の泉は枯渇するはずもなく生みの苦しみなんてものとは無縁であってもおかしくない頃だけれど、ここ三ヶ月一切新曲が生み出せないのだから致し方ない。なんたってそれが事実だ。どんな偉いんだかエラそうなんだか知らん自称クリエイターに何を言われようが言われなかろうが、曲が書けない、その事実は隠しようがない。
アルバムを最近一枚仕上げたばかりなのに何故おれがここまでスランプに頭を抱えているのかと言われれば、月末に予定されていたイベント出演に備えて新曲を作り、サプライズで披露する予定があったからだと回答する。おれ達は新譜のプロモーションがてら、社長のバンドが出演予定だった下北沢シェルターでのイベントにオープニングアクトとして出演するはずだった。その時に、アルバムには入れていない新曲を一曲披露しようと言う流れになり、メンバー間での公正なるジャンケンの結果おれは栄えあるメインコンポーザーの座を手に入れてしまったのだった。全く、どうしようもない時だけ勝負運が強い人生である。
アルバム制作はそれまで地道に愚直にストックし続けてきた鼻歌の結晶を活かしてなんとか乗り切る事が出来たわけだが、今回はそうはいかなかった。何故なら、前もって社長からテーマが提示されていたからだ。
「恋と狂気」。
源壱将齢二十二歳、恥ずかしながら、これまでの人生でほぼ縁のない言葉達である。しかしあの、「寝る時にはシャネルの五番を纏ってベッドへ入ります」といった顔をしてモンキースパナを振りかざすタイプのバンドマン社長は「ロックンローラーたるもの避けて通るのは愚行そのものと言うテーマ」と言い張り、まだまだ人生経験浅めのうら若きおれ達を事務所の窓際へ追い込み、さあやるならやるやらぬなら今すぐこのバンドマンの伏魔殿下北沢から出て行けと言う電波を飛ばし始めたので仕方なく請ける事となったのである。あのままおれが抵抗をしていたらうっかり社長が手下である下北沢のゆるキャラ・しもっきーを召喚しておれを自宅のある江戸川区は西瑞江まで追いかけさせたに違いないしこのテーマ普通に女性経験豊富そうなキヨスミとかの方が向いとるんやないか?
冗談はともかくとして、ともあれおれだって二十二だ、今まで恋と狂気に一切縁がなかったわけではない。寧ろ一昨年の今頃――いや、真夏の最中だったっけか――おれは人生最大の失恋を経験したのだった。
事の顛末を全てここに書いておくにはあまりに長くなりすぎて本題が迷子になってしまうので大幅に端折るが、稀代のエスパーバンドマンであるおれは、エスパーであるにも関わらず、好きになったオンナの性別を見誤ってしまった。いや、正確には見誤ったわけじゃないしおれの方が騙されていたわけだが……つまり、好きになったオンナの正体が……今、おれの耳元でからかうようなイヤラシイ笑みを浮かべているベースボーカル、そいつだったのである。
めんどくさい話はこの際しないが、地球からウン万光年離れた恒星“ゾルタクスゼイアン星”で生まれた人工知能由来の地球外生命体を父親に持ち、埼玉出身のごくごく一般的な出版社勤務のちょっと美人なおばさんを母親に持つキヨスミは、地球人としては不安定な肉体をしているために月に一度だけオンナの身体になる。おれはその姿を勝手に可愛い女のコだと思い込み、彼奴はおれの純情を利用してカップルごっこを楽しんでいたのだった。“カノジョ”の名はキヨミちゃん。約半年間のごくごく真面目なお付き合いの中で、キヨミちゃんとおれは好きな音楽や本の話を沢山したし、おれは結婚だって意識した。
何が腹立たしかったかって、別に好きになった相手がオトコだった事じゃない。万一あの可愛いキヨミちゃんがオトコだったって、“カノジョ”が望むならおれは愛する自信があった。何よりもそのオトコがほぼ毎日学校やスタジオで顔を合わせていたバンドメンバーだった事、そして心底愛していたはずのキヨミちゃんが、実在しない人間だった事が一番腹立たしい。実在しない人を夏に見て寒くなるまで知らないで愛してしまうのは椎名林檎だけで充分だ。
受話器越しに泣かれもせずに終わったおれの一世一代の恋。それが、今のおれを襲う人生最大と言っても過言ではないスランプの根本的な理由である事は否定出来ない。
と、思い出したくない事をまざまざと思い出してしまったおれは隣の宇宙人にメンチを切る。おれがこんだけ悩んどるのはテメェのせいや平清澄。マジのガチで月末のイベントだけは飛んでくれた方が有難かった。この流れは間違いなく、配信ライブまでの間に一曲仕上げなあかんやつ。おれの海老蔵もびっくりの見栄切りにビビった……わけではなさそうなキヨスミが唇を突き出して軽く睨み返し、そのままそ知らぬふりで目線をモニターに戻してしまうのを見届けて、俺も鼻にシワを寄せパイセンの雄姿で気を紛らわせる事に意識を集中させた。
鑑賞会はつつがなく進行し、喋り尽くして満足した社長はスタジオから出ていく。おれはそのメンズノンノみたいな後ろ姿を追いかけ、階段の手前で呼び止めた。
「社長!」
「あ?」バブルを知らないおれ達が想像するバブル期のトレンディドラマに出てくるオトコのような所作で振り返った百七十九・五センチは、パンツのポケットに両手を入れたポーズのまま軽快なステップでくるりとこちらを向いた。キムタクか、と心の中でツッコミを入れつつ、思い切り良く本題に入る。
「あの……ラブソングって、どうやって書いてますか……?」
百戦錬磨の二十年選手、しかもオトコマエのフロントマンとあらばラブソングなんかお茶の子さいさい、現にザ・キャットテイルのライブでのキラーチューンには『強く儚い俺たち』『このまま君だけを奪い去れない』などといったラブソングが多数あり、タイトルこそふざけくさっているが(ここは社長にはオフレコでよろしく)ちゃんとしたどころではなくちゃんとしすぎたラブソングなので、これはもうこのひとしか今のおれには頼みの綱はねえ、と考えた次第である。そもそも金もコネもない、駆け出しのインディーズバンドマンにとって、一番身近にいる先輩バンドマンがたったひとりならそのひとを頼るほか道はない。
しかし、希望の星の二十年選手の答えはきらめく若い瞳で縋る可愛い弟分にとって、非常に想定外のものだった。
ジル社長はおれの言葉に若干戸惑ったような表情を浮かべ、生娘のような仕草で頬に手を当ててちょっと目を逸らして見せる。
「えっマジで……? 実はさ、俺もラブソングが一番書くの苦手なのよ」
こっ恥ずかしくてさ、ハハハと笑う社長。さっきまでのマネキン顔が嘘のように破顔し、吊り上がった眉毛が情けなく八の字に下がる。んな馬鹿な。おれは頼みの綱をモンキースパナで殴り切られた気分で十センチ程頭上にある八の字眉毛を見上げるほかない。
「嘘や、エロ魔人のくせに」所属レーベル社長に対して思わず罵倒も飛び出す。だからエロ魔人はやめんかツインボーカル揃って言いやがって、と真顔で咎められるも、衆人環視のなか手袋くわえてフロアの女子失神させてるオトコがエロ魔人でないはずがないのだ。あんなこっ恥ずかしいスタンドプレイを発明したバンドマンがラブソング苦手だと? 笑止千万ふざけるな。ましてや理由に「こっ恥ずかしい」だと???? こちとらこっ恥ずかしいのを必死で堪えて聞くは一時の恥と心得やっとこさ問いかけたのだ、世田谷区築浅1LDKデザイナーズマンションの自宅にしもっきー差し向けんぞコラ。
とキレ散らかすわけにもいかないので怒りを飲み込む。流石に社会人も数か月やっているとちょっぴりアンガーマネジメントが得意になってきた気すらしてくるが、十分の一ぐらいは口の端から零れ落ちてしまうのがなんとも口惜しい。
「いいよなあエロ魔人は!!!! なんもせんでも女のコが寄ってきてこっ恥ずかし~ラブソングなんてこれっぽっちも悩まんでも書けるもんな!!!!」我ながら拗ねた五歳児の仕草で頬っぺた膨らまして腕を組む。もう諦めて戻るか、と言う頃合いになって、「まあそうなァ、組長は色気ねえもんな、バンドボーカルとして組長に唯一全くないものが色気だもんな、マジで皆無」などとおれのガラスのハートにアイスピックでオーバーキルぶちかましていた社長が遂に折れた。
「まあそうへそ曲げんなや、組長は好青年なのよ目つきだけは軽く十人は殺してそうなくせして」
「余計なお世話ッス」
「組長さ、我を忘れる程酔った事ってある?」
形の良い下唇を突き出して見下ろしてくる社長。突然の問いかけに一瞬脳味噌がフリーズしたが、コンマ数秒間の沈黙ののちなんとか問いに応じた。
「……ないです、おれ酒強いですし、酔っ払う前に胃腸がやられます」
「じゃあ、我を忘れる程セックスした事は……ないな」
「勝手に決めつけんといてくださいよ!」
畳みかけるように問いかけてケラケラと高笑いした色男は、腰に手を当てて肩を軽く竦め、口角を45度の角度で上げて見せた。
「色気ってのはさ、狂気と紙一重なのよ。ステージの上で狂ってるロックスターはエロいだろ?」
……確かに。今まで憧れてきた様々なロックミュージシャンのライブステージでの姿が海馬を過る。椎名林檎もポルノグラフィティも、HYDEも沢田研二にも、総じて言語化しがたい特有の色気があるような気がする。ヤンジャンの表紙のセクシー水着の内田理央とはまた違う、腹の底から湧き上がってくる畏怖にも近いエロさがそこにはあるし、目の前の革ジャンおじさんにも確かにそれがある、さっきライブ映像強制鑑賞会の最中に改めて思い知らされた。
ぐうの音も出ないおれはそうかもしれんですね、とだけ呟いてポンプフューリーのつま先を見る。青菜に塩のおれにエロ魔人はトドメをぶちかましにかかった。「それがないのよ組長には。キヨスミにはある。アイツは色々ヤッてる、あの歳で。おお怖」
いよいよ頬っぺた膨らませすぎて風船みてえに飛んでくんじゃねえかって頃に、妙に真面目なトーンで社長は言った。「でも組長にもさ、あんだろ? 我を忘れる程恋した事ぐらいは」
「こっ恥ずかしかろうが何だろうがさ、そこに向き合うのよ。狂気が欲しけりゃ本気の恋するか、はちゃめちゃに爛れたセックスするかしかねぇのサ」
おれはこの後二週間、社長のその言葉を呪いのように前頭葉の中で反芻しながら過ごす羽目になる。酔っ払ったバンドマンと大学生がわんさか乗り込む帰路の井の頭線の中でも、職場でPCと見つめ合っている時も、風呂の中でも、洗面台の前で阿呆面晒して歯を磨いている時も、自室で天井に貼った栗山千明におやすみを言う時も、PC画面の中のセクシー女優のおっぱいに見惚れている間でさえも。