正しい夜明け/樹海の車窓から-4 #崖っぷちロックバンドHAUSNAILS
フッちゃんが「独特な人」と縦書き白抜きでプリントされた黒いTシャツ姿でスマホカメラを構える。変則的なフォルムの黒いサルエルパンツとあまりにもしっくり来すぎていたので「なんかそう言うお洒落なブランドの斬新なやつ」だと思ってしまい、川谷絵音のプロデュースするなんかプロジェクト的なやつのグッズTだと気がつくまでに三分程時間がかかった。
そのフッちゃんの構えるスマホの向こうには、九野ちゃんのドラムを普段置いているはずの場所を勝手に乗っ取ったKORGのキーボード。そして、その前にはキヨスミがどっかと腰を下ろしている。最近キヨスミはライブでもベースを手放しキーボード演奏に手を出したりシンセベースに手を出したりと手を変え品を変えやらかしているわけだが、今日もどうやらその一環として何やら企んでいるようだった。
でかい錠前の絵がプリントされたヴィヴィアンウエストウッドのTシャツのゆるい袖口から伸びるアスパラガスビスケットのような腕が上がり、指先から歪みエフェクトのかかった電子音を鳴らす。いつものソファに並んで腰を下ろしたおれと九野ちゃんが不本意ながら息を潜めて見守るなか、キヨスミは完璧なピッチと音階で鍵盤を叩きながらKing Gnuの『Vinyl』をワンコーラス歌い切った。
一番サビから大サビ手前までを端折って一番メロと大サビをがっちゃんこしたSNSアップ用短縮版Vinylを気持ちよさげに歌い上げたキヨスミは、細長い首を晒して普段の七割ぐらいのパワーのフェイクをChillでILLな感じに響かせる。器用に鍵盤を滑る指がかろうじて目視出来る程度の距離感からひと通り録画を終えたフッちゃんが、動画の最後にわざと声が入るようにしてウェーイ! と声を上げた。イイねえキヨスミ、やるねぇ~と続ける。キヨスミは小さく息をつき、フッちゃんの歓声にダブルピースで応える。
「オオッもう十イイネついてんじゃ~ん流石やなHAUSNAILSのセクシー担当めが」
公式アカウントにアップした動画をチェックしたフッちゃんがご機嫌でスマホを天に掲げる。キヨスミは「とーぜんヨ」と嬉しそうに嘯きながらも、開け放した窓とヤニで汚れたカーテンを流れるような所作で閉めた。おれ達の座るソファの背にかかった革ジャンを肩にかける。
時間はまだ肌寒さの残る午後八時。土曜日の夜。我々HAUSNAILSにとって初の試みとなる配信ライブまで、あと一週間。忙しい社会人でもある我々にとっては貴重な休日を無駄に過ごすわけにはいかず、今日は陽の高いうちから演奏のリハは勿論、PCの画面上ではどんなふうに見えるのか、音はどのように聴こえるのかなど様々な調整を進めていた。
機材厨でライブハウス務めのフッちゃんにアドバイスしてもらいながら諸々の確認事項を進めていったおれ達はいよいよ実践のイメージを掴めるようになり、今みたいなインディーズバンドあるある的な遊びに興じる余裕も生まれてきたわけだが、とは言えおれはと言うと、今でも二週間前に社長に告げられた言葉が脳裡から離れず、キヨスミの渾身のKing Gnuも馬耳東風と言う感じだった。
我を忘れる程の恋。おれは“あれ”を、果たして恋と呼んでも良いのだろうか。
オンボロのソファに深く身を沈めシミだらけの天井を見上げると、左に座った九野ちゃんがやおら立ち上がりおれはバランスを崩して遂に座面に倒れ込んでしまった。揺らいだ視界の中で九野ちゃんが「お腹すいた、ガスト行こ!」と言うのが聞こえる。曲がった眼鏡を直しながら起き上がると、九野ちゃんは何故か言葉通りにスタジオを出る気配なく、唐突にソファの肘置きに放り出していたノースフェイスのリュックから何やらデカめの模造紙のようなものを取り出し、床に敷き始めた。
呆気に取られて見ていると、訳知り顔のフッちゃんがスマホをサルエルのポケットにしまいながらおれの隣に腰掛け、アレ? と言ったふうに奇行を繰り出す九野ちゃんを親指でさし示す。うなずくおれにフッちゃんは「魔方陣だと」と簡潔に返した。
「俺達全員瞬間移動出来ンだろ? 九野ちゃん自分だけ出来ないから悔しいらしくて」
瞬間移動魔法を使えるようになるべく魔方陣を書く練習を始めたのだと言う。言い忘れていたが、フッちゃんの実家は古い霊能者の血筋を受け継ぐ家系で、そのもとをただすと陰陽師の一族の血を引いているのだとか。そんでもって、九野ちゃんは代々女系一族、第一子が魔女の力を受け継ぐとされており、男子の九野ちゃんがうっかり長男だったために魔法少女に変身出来る力を身に着けてしまったらしい。なので実は、我々はほとんど、瞬間移動はもとよりサイコキネシスみたいな術も、日常茶飯事に使う事が出来る。なんとも中二病じみた話だが、中二の妄想だったらもう真っ只中から十年近く経過しているわけなのだからそろそろ消滅してくれよ、と言う気分だ。
ともかく、そんな魔法少女の九野ちゃん(二十一歳男性・南千住在住)は、どうやら駅前のガストまで覚えたての瞬間移動魔法を使ってショートカットに挑戦するつもりらしい。
「でも九野チャン、俺だって式神使わんと移動出来ないよ? お前さんだってホーキで空飛べんだから充分じゃん」フッちゃんがヨーロッパのジャパニーズスクールにいそうな整った顔を上げ、九野ちゃんに声をかける。つられて顔を上げるとそこにいたのは既にザ・フーのバンTと白黒ストライプ柄のスキニーを着たピンクマッシュのバンドマンではなく、どう考えてもヴィレヴァンのコスプレ衣装みたいな緑色の襟をひらめかせたセーラー服姿の立派な魔法少女だった。
音もなく変身した魔法少女クノヒロは、白いエナメルのニーハイブーツのかかとを鳴らしてくるりと可憐に一回転、おれ達の方を振り返ると小学生の頃からの幼馴染であるギタリストに人差し指を突き立て、ピンクの花のコサージュが飾られた推定Eカップ……もとい、胸元をぐっと反らせて言い放った。
「どーせやるなら一番になりたいジャン!? せめてフジマルにだけでも勝ちたい!」
「オッやんのかこんちくしょうめ」魔法少女の喧嘩を買いに行くフッちゃんはいつもより五センチ程低い位置にあるピンクの頭頂部を百七十七センチの長身で威圧するも、流石幼馴染の魔法少女は物怖じせずにツインテールを揺らしてフン、と鼻息荒く対峙する。上等だオモテ出やがれああやってやろうじゃねェかと今にも仲直りのキス芸でも始めんじゃねえかと言う勢いで威嚇し合う不思議なツーショットの頭上に、さっきまで意気揚々とKing Gnuを歌っていたスイートなハスキーボイスが鋭く飛んだ。
「ビーフシチューオムライス食べたいんだけどォ」
ビーフシチューオムライスのためだけに瞬間移動するのも馬鹿馬鹿しい事この上ないが、多分ここで欲を出して渋谷まで! とか言ったところで、うっかり失敗して新代田とかに放り出されたり、なんて可能性もゼロではないのだろう。おれ達は九野ちゃんに促されるがまま、魔方陣の書き込まれた模造紙の上に立った。真っ赤な極太のサインペンで書かれたそれは精密な直線を組み合わせた曼荼羅のような幾何学模様で、一見するとホラーでしかなかったがその使い道はバンドマン四人分のメシである。そしてその作成者は今、目の前で何やら背中を丸めてスマホの画面を覗いている、緑色の魔法少女だ。
華奢な背中越しに覗き込んだヤツのスマホはストリートビューを開いている。いわゆるアレだ、ネット上の地図で、指定した場所の景色を三百六十度見渡せるやつだ。どうやらそれを指針として魔方陣を起動するらしい。イマドキは魔法もハイテクやなあ、なんてジイサマじみた事を考えていると、目的地を定めた魔法少女の鶴のひと声が響く。
「みんな、オレに掴まって! 振り落とされるかもしれないから!」
言われるがままにおれは九野ちゃんのセーラーワンピースの肩に両手を置く。そのおれの肩にフッちゃんが掴まり、フッちゃんの肩にキヨスミが掴まった。いわゆる電車ごっこスタイル。四号車までしっかり連結したのを見届けた九野ちゃんは、意を決したようにしてスマホを目の前に真っ直ぐ掲げ、ライブでも打ち上げでも聞いた事のないようなクソデカ声を張り上げた。「行くよぉぉぉぉぉぉ!!!!!!」
ウォルァァァァアアアアアア!!!!!! とでも表記すべきか否かと迷う大声で九野ちゃんが叫ぶや否や、足元から強烈なステージライトで照らされるような光が迫ってくるのを感じた。思わずおれもウワァと叫ぶが背中のフッちゃんはとっても楽しそうに「これはアニメとかでよくあるやつゥ~~~!!!!!!」と笑い出す。フッちゃんの笑い声と共に光に飲み込まれたおれの視界からは、ものの三十秒もしないうちに魔法少女の緑色のセーラー襟すら見えなくなってしまった。