正しい夜明け/樹海の車窓から-11 #崖っぷちロックバンドHAUSNAILS
ライブの準備は、思いの外つつがなく進んだ。
幸い弊レーベルには百戦錬磨のライブバンドがいるので、大義名分を掲げて当然のように配信用の機材を流用させてもらい、動員やっとこ二ケタのマイナーインディーズバンドとしては最上級レベルの演奏環境を整えた。とはいえ我々はセンパイ方のようにイベント会社やそれなりにそれなりのエージェントとのお付き合いがあるわけでは決してないしそこまでは流石にパイセンを頼るわけにはいかない野良のロックバンドなので、チケット制の有料配信とかにはせず、あくまで動画配信サイトでのイマドキ流行りの生配信として無料公開し、サイトに元々実装されている投げ銭機能でお代を頂戴するという方法を選んだ。発案した張本人である九野ちゃん曰く、「オンラインフリーライブ(投げ銭あり)」だと。随分と最先端な感じがするな、横文字で言うと。
かくして我々HAUSNAILSの初配信ワンマンライブは、音質だけは無駄にハイクオリティな固定カメラ一台定点観測的パフォーマンスという、実にインディーズバンドらしい潔さと相成った(流石に撮影機材までは先輩方から拝借するわけにはいかなかったのである。無念。)。
当日までの涙ぐましいSNSプロモーションの甲斐もあってか最終的に開演の段階で50人以上の集客に成功していたし、途中謎の外国人が迷い込んできてコメントでのやり取りを行ったりといったレアイベントも発生したので、ライブとしては成功だったと言って差し支えないだろう。よく考えたら初ワンマンだったのだし(会場はいつものレコーディングスタジオだったわけだが……)、普段のライブの倍以上の集客に繋がったのは、メンバーの士気を高めるには充分すぎる結果だったと思う。
当初決まっていたリアルライブ――オンラインライブに対応する言い回しとしてはこれが適切かと思ったがどうなんだ――の会場で、物販に並べようと思っていた今配信中のミニアルバムをCDに焼く作業も順調に進んだ。ライブの後から通販を開始したのだが、とりあえずいつも見に来てくれる常連客(主に九野ちゃんとキヨスミの追っかけ)は買ってくれたようだった。ボーナストラックになるはずだった例の新曲は結局爆誕する事はなかったが、とある別の曲をレコーディングしてボーナストラックとして収録する事にした。CD音源としてはバンド史上初めての、カバー楽曲になった。
本番では新譜に収録した新曲達や活休前までのライブで定番になっていたMVの再生数が割と多いお気に入り楽曲(キラーチューンだなんて豪勢な言い回し、流石にまだ使えない)などのオリジナル曲をはじめ、初見のお客さんウケがすこぶる良いKEYTALKやKing Gnu、バックドロップシンデレラやキュウソネコカミのカバー、ピンクレディーや狩人のバンドアレンジなどを演奏した。コメントの盛り上がりこそそれ程なかったが、閲覧者が減る事はまずなく、最終的に百人余りは集まってくれたように記憶している。
開始は夜九時。知名度ほぼゼロの知らねえバンドのライブ映像をそんなに長い時間観せられ続けるのもつらかろうと検討し、本編の長さは三十分と決めていた。見えないオーディエンス相手にフッちゃんがいつものようにお得意の陽気なMCをぶちかましても閲覧者数が減る様子がなかったために、中盤で何故か我々HAUSNAILSの結成の経緯などを語り出すといったアクシデントもあり、最後の一曲を披露したのは当初決めていた時間枠よりもややオーバー気味の三十五分が経過した頃となった。
当然だがもう巨大なオウムの姿をしてはいないリーダーは、この日のために見繕ったという下北沢シェルターの床みたいな柄のTシャツと袴のようなデニムパンツ姿で、スニーカーと揃いのナイキのキャップの金色のつばを人差し指で押し上げながら、喋りすぎたMCの言い訳をするように申し訳なさそうな顔でまとめの挨拶に入った。
「えーここでね、そろそろ次が最後の曲になります! ボクらずっとライブハウスで活動してるんすけど、こういう形でのライブは初めてだったのでね、お客さんの表情が見えないので不安でいっぱいでした! でもね、えー、思ってた以上にたくさんお客さんが来てくれたのでね、安心してちょっと喋りすぎちゃいましたね」
そこそこ営業で人気のお笑い芸人がレギュラーの、ローカル局のテレビ番組MCみたいな流暢な調子で言いながら照れくさそうに笑ったフッちゃんは、おれ達メンバーひとりずつに最後の挨拶を促した。九野ちゃん、キヨスミと回っておれの番が来たので最後に回してもらい、フッちゃんも当たり障りのない、でも素朴な言葉で挨拶をまとめる。何故おれが最後にしてもらったかと言うと、今夜こういう場で言いたいと思って温めていたとある言葉があったからだ。
他メンバーの挨拶をそこそこに聞き流しながら、手にした赤いピックをセミアコの弦に挟む。演奏し始めてしまうと気づかないが、手のひらが汗でぬるぬるに湿っていた。対して口の中はパサパサに乾いている。足元に置いているスポドリをひと口含んでも回復する気配はない。上下の唇が乾燥して貼り付いてしまうが、もうおれの番だ。喋るしかない。
映像チェック用のPCの画面に映ったおれはシュプリームの一張羅とダボダボのダメージデニムで、いかにも売れないバンドマン、といった佇まいでヌボッと立っていた。決して良い事言いそうではない。もしかしたらおれが喋ってる間に客が何割かは離脱しちゃうかも。そんな恐怖に一瞬苛まれかけたが、深呼吸ひとつで吹っ飛ばした。どうせ普段のライブだって集客十人二十人いりゃ良い方で、バーカウンターのある会場なんかじゃ背中向けて酒飲まれるなんてザラだ。カメラの向こうの何処かの誰かが何をしているのかわからん分、寧ろかえってやりやすかったかもしれない。
どうせ誰も聴いてないかもしれないのなら、好きな事言ってやろう。おれはマイクの位置を直して、ゆっくりとまばたきをした後口を開いた。
「大変な世界になってしまいましたね。おれ達や、あなた達はもしかしたら、特に、もうその、災厄の足音を、感じ取ってしまっているかもしれません。今この瞬間にも、知らない誰かが、命を落として、おれ達の愛するライブハウスも、存続の危機に晒されています」
ここまで言った段階で、勘の良いフッちゃんが静かにギターをつま弾いてBGMをかけてくれる。なんとなく、次にやる曲の気配を感じるアンニュイでセンチメンタルなメロディだ。下手側をちら、と見ると、真顔のキヨスミと目が合った。黒地にやたら躍動感のある虎の絵が配されたテロテロのシャツと黒スキニーで、プレべのペグを回しながら何かを察したように目を伏せて微笑む。当然ながら、もう青い顔はしていないし女のコの姿でもない。念のため背後も確認する。由緒正しいご家系のお坊ちゃんのくせにユニクロの化身みたいな九野ちゃん――こちらも勿論、愛らしい仔犬の姿ではなくなっている――が、不二家ミルキーのペコちゃん柄のTシャツ姿でウインドチャイムとハイハットをシャラシャラと鳴らした。「あ、こいつ、なんか打ち合わせで言ってなかった良い事言おうとしてんな」の機運である。大正解だよ、ご協力有難う。おれは前を向き直して言葉を続ける。
「えっと、それでも、おれ達は、多分、生きる意味があるんだと思います。モルヒネを打ってでも」聡明な読者諸兄諸氏はもうお気づきかもしれないが、そう、おれは先日強制鑑賞会で観た、ジル社長のMCをそっくりそのままパク……コピーしたのだった。勿論、おれなりの解釈で、おれなりの言い方で。あれをあのまま真似しようったって、流石にサマになるはずがないのだ。キヨスミじゃあるまいし。
「残酷かもしれないけど……でも、おれ達の音楽は、あなた達の、モルヒネのような存在になりたいです。いつか直接、あなた達のロックも、聴きに行きます。絶対に」
結局最後まで途切れ途切れの、たどたどしい喋りになってしまった。そもそもおれはMCが苦手で、おれ達を知るバンド仲間やリスナーの間では「ギタリストにMCを頼りすぎのギタボ」なんて言われていたりもする程だ。そんな口下手のギタボが、カッコよくMCをまとめるなんて到底出来るはずもなかったのだ。しかも内容だって結局、自分の言葉でもなんでもない。どんだけ空洞なのだと我ながら思う。でも、今はそれでも良いと思った。今はまだ借りた言葉だって良い。せめて、借りた言葉に全力で責任を持ちたかった。おれなりの解釈で、拙くても、おれが共感した他人の言葉を体現したかった。
「ライブハウスで待っててください。HAUSNAILSでした!」
やけっぱちに叩きつけたおれの最後の言葉を合図に、単音のエレキがイントロをなぞる。
静謐なドラムンベースの上でエレキが奏でるのは、シンプルなのに何処かねじれたような、心臓を雑巾絞りにされたような狂おしさに満ちたメロディだ。言葉にならない涙声に音階がついたのなら、もしかしたらこんなメロディになるのかもしれない。おれはその悲しみの旋律を生かすために、和音でバッキングをする。
短いイントロが明ければ歌が始まる。BPMは丁度歩く速度ぐらい。社長に頼み込んで通販用の音源にも収録させてもらった、ザ・キャットテイルの代表曲のひとつ、『樹海の車窓から』だ。もう八年も前のアルバムの最後に収録されている、彼等の曲の中では珍しい程静かでもの哀しいロックバラード。ファンの間でも根強い人気を集める、隠れた名曲と言うやつだ。
≪車窓から見える星空は キャメルの煙と水槽の壁
殴りつける奴 気づかないふりする奴 何れにしても何処にも行けないのにな≫
とりあえずパート分けはしてある。キヨスミがおれのボーカルに、正確な音階でコーラスをのせていく。次のパートは主旋律とコーラスが入れ替わる。
≪車窓から見える星空は エクセルで引いた縦横の線
ゼロを入れても1を入れても 数式はずっとエラーのまま≫
歌いながらおれは絶望していた。おれ、全く上手く歌えていない。語尾は震え、ロングトーンは伸びきらず、今にも裏返りそうな声だった。ジル猫実の、“ロックバンドのボーカル”の声には程遠かった。
寧ろキヨスミの方が、この曲に込められた彼の想いを汲み取れているようにすら感じた。ここんところ一気にハスキーになったヤツの声は胸の奥に噛み潰したザクロの実が詰め込まれたような甘酸っぱさと苦さがあって、 「感情のない人形みたいだ」とすら言われていた頃が嘘のように熱く湿っている。おれより高いし、細くて安定感だってなかったはずなのに。一瞬、汗で湿って束になった金髪の前髪に半ば隠されているキヨスミの横顔に、ジル猫実の殺人的に整ったEラインがダブって見えた気がした。
≪埃に飾られた地下室で脈絡なく叫ぶ声を音楽と呼ぶなら
嗚呼今手元で蠢く心臓がロックンロールだ≫
この曲は、社長が十年ぐらい前に経験した失恋がきっかけとなって生まれたものらしい。基本的には女のコの方が好きらしいが「恋愛対象の性別にあまりこだわりがない」と公言している社長は、当時二十五歳にしてその時親しくしていた女性からも男性からも、同時にプロポーズを受けたのだという。どちらの相手も憎からず思っていた社長は、自分の正体を明かした。勿論それは、自分の文字通りのルーツがこの地球上ではない、という事を明かすことを意味する。
既に二年交際し、バンド活動も陰ながら支えてくれていたという女性は、静かに彼の話に耳を傾けていたかと思うと、徐に携帯電話を取り出して精神科に受診の予約を入れようとしたらしい。気違い扱いされて頭に血が上った社長は自宅にある彼女の荷物を下着から化粧品、歯ブラシまで丁寧にまとめ、それらを詰めた彼女の鞄を窓から放り投げたのだという。中原中也かよ。
加えて元々音楽仲間だったと言う男性の方も社長の気が狂ったのだと勘違いし、錯乱してカレシの白皙の頬を一発殴って逃げていったのだと。社長は逃げていく相手の背中を八尺八寸の脚で追いかけ、見事な飛び蹴りを食らわせたのだそうだ。白昼堂々、下北沢クラブキューの前のパチンコ屋の店先での出来事で、その場に居合わせた音楽仲間曰く「惑星の機動よりも美しい放物線を描く飛び蹴りだった」のだとか。
この曲をカバーしたい、と言った時、社長はこの話をひと通りおれに語り、でも今は感謝してんだ、と続けた。アイツらに裏切られて知った感情もある、そのお陰でこの歌を俺は歌えるようになったから、と。
≪車は水槽の壁すら見えない場所へ沈む 草いきれの匂いに顔をしかめる≫
満員のライブハウスで汗まみれのぐしゃぐしゃの姿になってこの曲を歌う社長の姿には、確かに愛も、狂気もあるように見えた。
大サビを迎える前に、ギターソロに入った。フッちゃんは高校時代から同人より一目を置かれるギタリストだったが、この曲のギソロには苦戦したようだった。自分ではどうしようもない、生まれを理由に拒絶されたニンゲンの悲しみを表現するのは、小手先のテクニックだけじゃ難しいに決まっている。この音を作り上げたキャットテイルのリードギターの春原さんはどう考えても只者じゃないし、それをほぼ完璧に再現したうえで自分の個性も出してくるフッちゃんもやっぱり凄い。
そうだ。小手先のテクニックで表現出来るようなものではないのだ。そもそも、おれはこの曲を上手く歌うために選んだんじゃない。自分なりの“愛と狂気”を歌うために選んだんだった。
おれは空も自由に飛び回れない、ちょっぴり瞬間移動が出来たり、数十センチ浮き上がれたりする程度の能力しかないポンコツエスパーだ。フッちゃんも、九野ちゃんも、キヨスミですら空を飛べる。正直羨ましいが、アイツらだって最初から飛べたわけじゃないだろう。多分、アイツらにはあっておれにはないものがあって、それは、たとえ飛び降り損ねても、片足折れたとしても、めげずにまた飛び上がるだけの覚悟なんじゃないか。
焦って上手く歌おうとしたって仕方がないのだ、おれはしっかり助走を取るように、地面を両足で踏みしめるように歌った。言葉のひとつひとつを噛み締めるように、全ての責任を背負うように、まるで自分の言葉のように。
キヨスミが、聴いた事もない程よじれた声でユニゾンしてくる。お前そんな声出たんだな。
≪3分間の壮大な懺悔を喚き砕け散る僕を見ててよ
夢の島みたいな板の上から君が見つけられなくなっても 嗚呼
今手元で蠢く心臓はロックンロールだ≫
汗が鼻筋を伝ってメガネが下がる。狭いスタジオはすぐに熱気でいっぱいになって、レンズが曇って前が見えなくなった。どうせ目の前には誰もいない。おれの隣と後ろには仲間がいる。
いや、多分いるのだ、この曇ったレンズの向こうに、PC画面の向こうに、聴いてくれてるのかそうでないのか、今週一週間の生きる糧だったのかそれともベッドサイドのBGMなのかわからんが、無数のまだ見ぬオーディエンスが。彼等といつか出会うためにおれは、“彼女”との想い出を糧にしてロックンロールをしないといけない。
だって、折角見た事があるのだおれ達は、あの景色を。たとえ十人二十人だったとしても、おれ達の音楽に直接耳を傾け、目を輝かせてくれるひと達が集まったあの景色を。もっともっと、もっとたくさんのひと達がいるあの景色が見てみたいと、ずっと夢見ている。それなのに、もう二度と見られないなんて事が万が一にもあったなら、悲しすぎてこの世界を呪い滅ぼす怨霊になってしまう。
世界を呪うぐらいなら今のうちに祈っておきたいと思った。得体の知らねえ異星の神様でも良かった。こんな熱いロックを歌えるバンドボーカルが生まれた星の神なら、信じても良いような気がしていた。――どっちのボーカルを指すのかは、各自のご想像にお任せするとして。
≪――持って帰るよ≫
社長はその時、本気で死のうとして車で樹海に入ったらしい。道半ばでエンストし、首吊りの腐乱死体に遭遇して立ち往生、ああ俺の死に場所はここじゃないと悟り森を出たのだとか。樹海の夜は空気が澄んでいて、木々の梢の隙間から覗くコバルトブルーの空に、信じられない程無数の星が輝いていたらしい。
アウトロのキヨスミのフェイクは、樹海の夜の風に声があったらこんな声なのかもしれない、なんて柄にもなく思ってしまうような質感をしていて、その狂おしさが悔しくて、おれもありったけの声で叫んだ。伏せられた濃いまつ毛と、歪んだ唇と、首に走った青筋が視界の端に焼き付いて離れない。
キヨミちゃん、おれ、本当に好きだった。君のお陰でおれは気づけたんだ、当たり前に隣にいた仲間が、完璧超人だと思い込んでいた仲間が、人並みに悩んで苦悩して生きているのだと。やっとその事、思い出せたよ。
地面を踏みしめ、ゆっくりと、でも着実に助走をつけた果てに飛び出す空の向こうには、虹色の羽根の生えた魔法少女と式神を操る霊媒師と、グロテスクな接続ケーブルみたいな触手を背負った宇宙人が自由に飛び回っているのかもしれない。
有難うキヨミちゃん、君のお陰で、おれはやっと、アイツらと一緒に空を飛べる。
極限まで無駄を排除した、ドラムとエレキだけの短いアウトロが終わり、公演は終了した。
何らかの手応えを感じたのか、ハイタッチし合いながらはしゃぐ楽器隊を横目にギターを片付けていると、キヨスミがぼそっと、独り言のように言うのが聞こえた。
「組長、歌、凄かったね」
おれはまたいつもの如くディスられたのかと思い、思わず顔を上げて臨戦態勢を取った。配信用のPCを片付けながらガラの悪いおれを振り返りフフ、と笑ったキヨスミは、屈託のない、と言う言葉を辞書で引いたら挿絵に載ってそうな笑顔で肩越しに言った。
「今までで一番良かった」
2018年設立、架空のインディーズレコードレーベル「偏光レコード」です。サポート頂けましたら弊社所属アーティストの活動に活用致します。一緒に明日を夢見るミュージシャンの未来をつくりましょう!