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静養日記 -2024/12/25
・9:27。目が覚める。そこまで体の熱感はないが、体温を測ると38.9度だった。
・すぐに、今日検査ができる近くの内科を探す。しかし、昨日の懸念のとおり、そもそも水曜休みの病院が多く、難航する。
・やっと水曜営業の内科が見つかったと思っても、WEB予約しか受け付けておらず、今日の予約はもれなく埋まっている。
昨日無理をおしてでもweb予約をすればよかった、と後悔するが仕方ない。やむを得ず、明日、検査の予約をとった。
・体の熱感も、倦怠感も、その他諸々の症状が随分と昨日より和らいでいた。こりゃ明日にゃハイパー快気で、検査すら受ける必要がないかもね、とも思ったが、明日受ける予定だった目の検診の予定を念のためリスケする。病み上がりの状態で新宿まで行くのはリスクが高い。今はとにかく無事に年末を迎えることだけに注力したい。
・というわけで、それなりに目も頭も使えそうだったので、布団の中で違国日記を読むことにした。友達に薦められて気になっていたので、先日のDMMブックスセールにて購入したのだった。
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・いや〜、面白かった。これは、人生で読めてよかった作品で賞受賞。面白かったし、いっぱい泣いた。出てくる言葉の含蓄が深いのなんの。
・病み上がり(上がってもない)状態で一気読みしたのでうまく言語化できるほど物語が浸透していないが、以下、初見の感想としてつらつら書き連ねていこうと思う。
※以降、ネタバレ配慮なく感想を語っています。ネタバレに抵抗がある人は📕〜📕まで飛ばしてください!
📕
・いろんな命題が込められた作品だったと感じる。その中でも一際強く感じたのは、他者と自分それぞれを尊重した生き方と、他人に寄り添うことを両立する難しさだ。
・自分と他人の線引きと寄り添い。他者へ干渉することの難しさ。自分にしろ相手にしろ、各々が抱える孤独とどう向き合うか。読み切った後も、自分ごととして考え続けさせてくれる、とてもいい作品だったと思う。
・主人公の朝(あさ)は中3の冬に両親を交通事故で亡くし、母の妹=叔母の槙生(まきお)に引き取られる。
槙生は児童小説作家で、朝の母=姉の実里(みのり)と仲がとても悪かったのだが、そんな姉の子を成り行きで引き取ってしまう。複雑な心境の中、明るく素直な朝と、偏屈で繊細な槙生の二人で奇妙な共同生活がはじまる。
・槙生は、雑に言うと「不器用」な人間で、集団での協調性に乏しく、人との関わりも不得手なタイプだ。注意欠陥で部屋も汚く、電話にも出れない、一般に「社会不適合者」とされる彼女だが、物語上ではとても魅力的に映る。
・それは、彼女の言葉の深さにある。彼女は小説家であるので、言葉をとても慎重に選び、伝える。そして彼女は、とても正直で、真摯な人間だ。
・彼女の性格上、忌憚のない冷淡な物言いになってしまうこともしばしばあるのだが、それは朝を子供ではなく対等な人間として扱っているゆえなのだ。わたしは、子供だからと言って見くびらない、彼女の誠実な態度をとても好ましく思った。
・だが、朝にとってはどうだろうか。槙生のよく言えば誠実な、悪く言えば容赦のない線引きに、朝はよく苛立っていた。それはそうだと思う。
・今まで朝は、干渉気味の母親の愛を、ごく自然に受けて育っていた。いいことも、悪いことも、彼女にとって干渉自体が「親」という存在の証明だったのだ。それが、突然親が死んで、引き取ってくれた唯一のよすがである叔母は、干渉どころか「あなたと私は他人で、互いの痛みを本当に理解しあえることはない」とか「私の意向はあなたに関係がない。あなたのことはあなた自身が決めるべき」とか言ってくる。(台詞うろ覚えです)
・いや、正しいけど、冷て~~~~~~~!!!もうちょっとは甘えさせて、寄りかからせてくれよ~~~~~~~~~!!!!!とはなるだろう。外から見ている成人済のわたしでもなる。
・槙生の「子供ではなく対等な人間として扱う」というのはすなわち、「子ども扱いしていない」ということだ。つまり、朝は、子供として槙生に接することはできない。(作品を見るとその限りではないが)これは、突然親を亡くした未成年にはあまりに酷だろう。
・干渉しない、対等に接する態度が槙生の優しさであり誠意だが、その時の朝にとっては、干渉して子ども扱いして寄り添ってくれるほうが優しさだったのかもしれない。この塩梅って人それぞれだから、難しいよな〜〜〜。
・槙生の「誰もが他人のことは真に理解できない」という思想は、朝を苦しめもするし、現実への折り合いをつけるための一歩にもなっていく。
・あと、親しい人を突然亡くした人間の受容の過程としても、とても丁寧に描かれていた作品だった。
・親を唐突に亡くして、自分の足元が揺らぐ恐怖、終わりのない孤独、勝手に死んで自分を取り残していった両親と、痛みを理解してくれない周囲への怒り、そして絶望……
・序盤の朝が割と元気なのは、その事実を真に理解できていないからで、現実に起きた衝撃を受け止めきれずに心が麻痺しているのだ。
・それから、卒業式、実家の遺品整理、学校行事、友人との他愛のない会話などの日常の中で、徐々に朝は「両親が死んだ」事実を実感していく。
最初はいい子だった朝が、取り乱したり、過眠が酷くなったり、精神が不安定になっていく様がとても痛々しく、何度も泣いた。こちらも苦しくなる。
・「おとうさんとおかあさん、死んじゃった…」が5巻の最後に出てきたとき、一番泣いた。だって5巻。5巻でようやくですよ。
・この間にも季節は巡り、いろんなことがあった。なのに、彼女の中で両親の死を真に実感するまでに、5巻分もかかっている。長い間凍らせてきた心の痛みを解凍した瞬間の朝の苦しさを思うと、これを書いている今でも泣きそうになってしまうよ。
・あと、作中を通しての槙生の心情の変化も良かった。一貫して「別の生き物と暮らすのは苦痛」「あなたと私は他人」「あなたは姉の子供だから愛せない(自分には愛す資格がない)」というスタンスを取っていた彼女だが、朝と暮らすようになり、徐々に心境に変化が訪れる。
・朝だけではなく、以前より親交があった槙生の友人たち、朝に関連して新たにできた人間関係に刺激され、槙生自身も大きく変容していく。
・この過程は、けっこう共感できる部分や励まされる部分があり、大人になっても自分の人生のスタンスを変えようとすることはできるんだなあと思った。
・というかこの漫画に出てくる大人がみんないい。ちゃんと「大人」をしているし、パーソナル部分では幼さ、というか人間としての余白も持ち合わせている。
みんなと友達になりたいな。大人になってもこういう付き合いができるって素敵やん。
・違国日記で一番好きなシーンだが,作中、ついぞ朝に「愛してる」とは言わなかった槙生が、その言葉よりもずっとずっと深い愛を感じさせるシーンが登場する。
・槙生は、大嫌いな姉が愛していた子供を、自分も愛してもいいのか、という葛藤をずっと抱えていた。「愛」という言葉が孕む責任や暴力性に怯え、ずっと朝に線を引いていた槙生がついに発した、彼女なりの「あいしてる」。これ、マジで本当に泣ける。今も涙目で文字を打っている。
・思えば、愛とは相手のことを大切に想う気持ちであって、そこには大なり小なり干渉は不可欠だ。自他の線引きを徹底する槙生は、人を愛する/愛されるという干渉をずっと恐れていたのかもしれない。
・それでも、朝への愛を自覚することで、槙生は、他人に少し干渉するようになったし、朝は、自分の人生の孤独を自分で抱えていく覚悟を決めた。
・二人は双方歩み寄りの姿勢でうまく落ち着いたが、実際現実ではもっともっとむずかしいだろう。だって世の中にはいろんな人間がいる。
・干渉は支配か優しさか、線引きは冷淡か尊重か、それぞれの感じる割合が違うんだな~と思うと、コミュニケーションって超難しいね!
・とまあ、さらっと一周しただけなのでまだまだ浅くてとっ散らかった内容だが、とりあえずこの辺で。年末の間にもう一周くらいできそう。いい作品だった~。
・あとどうしてもこれだけは言いたい。
・あの笹町信吾に愛される槙生、羨ますぎンだろって!
📕
・スクロールしてきた皆さん、お疲れさまでした。私もここまで書けるとは思わず、驚いている。
流石にそろそろ座っているのが辛くなってきたので、刀ピークリスマスに向けて静養しようかな。
・それにしても一夜でかなり元気になって驚いている。昼過ぎには36.2℃まで下がったので、ここぞとばかりに洗濯して干して米も炊いた。一人暮らしは、熱が出ようがなんだろうが洗濯も米炊きも己でせねばならないので、できるタイミングでするに限る。
・頭も冴えてるしもう余裕じゃん!と思ったが現時点での熱は37.8℃。寝過ぎたせいなのか症状が続いているのかは知らないが、主に腰や背中が痛む。
まだまだ油断はできないようだ。引き続き静養します。
刀ピークリスマス楽しみだなあ!!!!!!