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『張山光希は頭が悪い』第4話:デビューは徒労

第1話(末尾に全28話分のリンクあり)
(文字数:約5700文字)


第4話 デビューは徒労

 小石川の家に生まれたんだから、張山の家の、二階に住んでいる光希に茉莉花に、一階に住んでいるおっさんと光希のママ、普段おじいちゃんおばあちゃんって呼んでるけど、おっさんの祖父母だから本当は曽祖父母を、
 誰一人起こさずに、起き出して歯を磨いて高校の制服に着替えて、髪を整えて前の晩に準備しておいたカバンを持って、家を出るくらいは朝飯前、と思っていたのに、
「薫? おはよう」
 って廊下を玄関に降りる直前で、キッチンからおっさんの声がしやがった。
「どうしたの? まだすっごく早いよ?」
 アイランドになっている調理台で、朝食作り始めてやがる。今まで当たり前になってて気にしてこなかったけど、男親がやる事かよ普通、ってだから普通じゃねぇんだったなコイツ。
 キッチンに入って後ろ手に、扉を閉めてからなるべく小声で言う。
「朝食とかいらねぇよ。俺今日から高校、一人で行くから」
「ダメだよ。ちゃんと食べなくちゃ。お弁当もまだ作ってる途中だから、ちょっと待ってて」
「ホモが作った飯とか、気持ち悪くて食えるかよ」
 ガスを止めて菜箸を置く音がして、
「それは良くない言い方だと」
 ゾッとするくらい声から表情から、一気にあたたかみを抜いてきた。
「理解できないほど貴方は、幼稚ではないと思っていたのですが」
 怖くねぇ。怖くねぇっておっさんから今更嫌われたって、って頭では呆れ果てたいのに、身体は強張ってるし細かく震え始めてるし、目には涙が溜まってくるし、
「……ごめんなさい」
 って口からはつい出てしまっている。
「うん。薫は良い子」
 刷り込まれてる。ガキの頃からで完全に、操られている。
「あとこんなに早く家出たって、うちの最寄り駅からの電車、一時間に一本しか無いよ?」
 朝飯前、と思っていたのに足元をすくわれた。
「ウソだろ! もっとあったって! 俺昨日の夜もちゃんと調べて……」
「それはね、高校の最寄り駅に止まらないの。結局乗り換え途中で待たされて、同じ電車に乗る羽目になるから」
 階段を駆け下りてくる足音が聞こえて、終わった、と天を仰いだ。扉が開くなり光希が、俺の背後から抱きつきに来る。
「おっはよー! 薫もいっしょに高校だぁわーい! ボクうれしくって昨日の夜寝つけなかったよーぉ!」
「朝っぱらからやかましいんだよ光希! あと抱きつくんじゃねぇこっちはとっくに制服着てんだ!」
「ホントだ。すっごく早いねぇ。薫も高校、たのしみだったんだねっ」
 そうじゃねぇ一人で行きたかったんだって、はっきり言って聞かせたら、コイツ「なんでなんで?」ってかえってまとわりつくか、もしかして泣き出すんだろうな、って分かるから口に出せない。
「光希。朝起きたらまずする事は?」
「あ。はーい!」
 来た時と同じ勢いで洗面所に走って行く。
「薫も」
 っておっさんはメガネの奥の目を細めて微笑んできた。
「光希が歯磨きしている間に行っておいで」
 仏間に向かいながらの舌打ちは聞き流してもらえた。

「かっおるっとこーこう。かっおるっとこーこう」
「やめろ。はずみながら歩くの。恥ずかしい」
 声を掛けて止めたら止めたでクルリと俺の側に身を回してくる。
「うれしいんだもーん」
「俺の隣歩いて何が嬉しいんだ。同じ学年に友達とかいねぇのかよ」
「友達? いるけど薫は、薫じゃない」
 両手を広げて向けられたから、
「ボクたちは、子供の時からずーっといっしょ!」
 ついパチン、と叩き合わせてしまうけれど、
「気の毒に」
 とつい呟いて、
「え?」
 と聞き返されたのは、聞こえなかったフリをした。
 俺がずっと隣にいたもんだから、こんな仕上がりになっちまったんだな。張山の家で、長男として生まれたそのままで育てられていたら、何でも一人でこなすしかない。今より少しはしっかりして見えただろうに。
「俺乗り換えの駅からは、別の車両に離れて座るからな」
 家の最寄り駅からの電車に乗って即、言っておいた。
「高校に着くまではずっと、離れて歩けよ」
「どうして?」
 ものすっごく純粋に目を丸くして、首を傾けてきやがる。
「一人で通えるくらいには、道覚えてかなきゃダメだろ」
「そっか! えらいねぇ薫。そういうの、きちんと前もって考えるんだねぇ」
「光希は考えなさ過ぎだって。道覚えるの得意だからって」

 自分で言ってしまうのも何だけど、俺の見た目は相当に良い。
 基本が母親に似て左右対称に整った、涼しげな和顔である事に加えて、父親の要素も少しは混じって、母と双子の晃おじさんよりは筋肉質だし、眉が太かったり顎がしっかりしてたりと、ちょうど良い感じに男らしい。
 背丈はまだ光希と同じくらいだけど、何せ等身のバランスが良いから光希よりも高く見える。
 隣に光希さえくっついてなけりゃ、結構モテるはずだって、思ってはいたけど思った通り、入学式の間にも、教室への移動中にも女子からの視線や笑顔を感じる。
 正直、悪い気はしない。この際もっと正直に言って、良い気分だ。
「ねぇ。ねぇ小石川くん」
 近くの席の女子三人くらいから、声を掛けられた。
「何」
 と微笑み返しただけで、「うわぁ」とか「きゃー」とか、抑え切れない歓声が低めた声で聞こえてきて、ますます嬉しい。
「急に、こんな事訊いちゃったら、困らせるかもなんだけど……」
「いいよ。どうしたの」
 声を掛けてきた子の後ろで、
「すごい。声もだよ」
「ねぇ。目をつぶって聞いたら」
 と盛り上がっていてどこか違和感があった。
「ちょっと、エンデに似てるって言われない?」
 質問が意外すぎてかなり考える間を空けてしまったけど、
「誰それ」
 と呟いてからの女子たちも、真顔になって相当な間を空けてきた。
「え……」
「まさか知らない……、わけないよね?」
「芸能人? 悪いけど俺、テレビとかほとんど観ないから」
「芸能人って……!」
 あ。逆鱗に触れた、って、女子たちの表情の変わり具合を見て気が付いた。
「ふざけないで!」
「エンデをただの、その辺の芸能人呼ばわりしないでくれる?」
「本気で知らないとか有り得ない! クリエイターでアーティストで、パフォーマンサーでイリュージョ二スト! 個人にして総合芸術なのよエンデは!」
「エンデ知らなくて何のために生きてんのアンタ!」
「ただ知らないってだけでそこまで言われなくても……」
 何なんだ変な連中、と思いながら教室を見渡したら、遠巻きにこの騒ぎを眺めていた他の生徒からの視線も、どことなく冷たい。
「え。マジでアイツ、知らないのエンデ」
「うわ。カッコ悪」
 何だそれ。

 とは言っても全方面から完全に、否定されたわけじゃなく、知らないなら知らないで仕方ないよね、気にしないよ、って言ってくれる女子ももちろんいる。
 ホームルームが終わってから話しかけてきた、そういった女子たちも結構可愛かったから、俺もまた気分が良くなってきた。
「小石川くん、どこから通っているの」
「かなり、田舎で恥ずかしいんだけど……」
 地名を口にしたら、近くでカバンを肩に帰ろうとしていた男子たちが、
「本気で田舎だな」
「エンデも分からないわけだ」
 とニヤつきながら話す声が耳についたけど、ほざけ。
「遠くない? 通学大変そう」
「電車で一時間くらい、かな。深見ふかみ駅で乗り換え」
「私も深見だよ。そこで降りるけど」
「ホント?」
 なんて、お互い好意や関心を抱きながら、まだ知り合った序盤なので様子見、みたいな微妙な距離感の快さを、あいつらはこの先味わう事も無いんだろうなって、得意になっていたら、
 耳に馴染んだ勢いで足音が近付いて来て血の気が引いた。
「かっおるー!」
 ちょうど入り口には背を向けていた、俺を見つけるなり駆け込んで来た勢いそのままに、俺に背中から抱きつきに来る。
「見つけた見つけた見つけたーぁ! 探したんだよーぉ」
「光希……」
 うなだれた俺の前で女子たちは目を丸くしている。 
「え。お友達?」
「友達じゃ、ない」
 後から思い返すとこの答え方も良くなかった。
「はいっ!」
 俺に抱きついたまま俺の顔のすぐ横に、地元ゆるキャラの巾着袋かかげて来やがった。
「パパが作ってくれたお弁当。薫、忘れちゃってたでしょー。持って来たから、いっしょに食ーべよー」
「今日は入学式だけで半日だからいらないって俺……!」
 やっと背中からは離れてくれたけど、
「パパが、作ってくれたって……」
「一緒に、暮らしてるの?」
「うんっ!」
 今度は女子たちに向かっている。
「あのね。薫が生まれた家の近くにはね、小学校無かったから、薫はボクのうちに預けられて、うちから一緒に通っていたんだよねっ」
「ああ」
「ボク二月生まれだから学年は、薫より一つ上なんだけど、薫の方が頭良くってちっちゃな頃から、ずーっと助けてもらってたんだー」
 お弁当入りの巾着袋(色違い)を、一つずつ両手に持ったまま、落ち着き無く周りをくるくると、はずむみたいに歩き回っていたかと思うといきなり俺の横に立ち止まって、
「大好き」
 と俺の右頬にキスしてきやがった。
「何やってんだ光希!」
 女子たちの叫び声が上がった気がするけど俺が求めていた雰囲気と違う。
「え。ごめん。ほっぺじゃイヤだった?」
「違う! 普通人前じゃそんなんやんねぇんだよ!」
 後から思い返すとその答え方もおかしかったくらいには、俺も家では慣れてしまっていたが。
「ボク薫とだったら口同士のキスだって出来るよー」
「するな!」
 叫び声が一段と高まった。
「そこの女子も喜ぶな!」

 お気に入りの場所があるんだって、渡り廊下近くの中庭に向かっていた間も、進んで行く先に、
「え。あれ張山だ」
「張山光希だ。ヤベ」
「誰か捕まってる」
 と苦笑する顔や逃げて行く背中が見える。
 去年の一年間コイツ、この高校で一体何やって来たんだ……!
「俺の高校デビューが台無しだよ……」
 中庭の木陰に置かれたベンチに並んで座って、巾着袋開きながら呟いた。
「デビュー? ってもしかして薫、ゲーノーカイ入るのっ?」
 ものすっごく純粋にワクワクしてきやがるが、
「入らねぇよ。あるんだよ。そういう言い方が」
 光希さえ隣にいなきゃその可能性だってなきにしもだったと思うけどな。
「高校入学をきっかけに、それまでの自分とは全く違う人間に、イメージチェンジする、自分を変えてくんだって」
 並んで中身も同じ弁当箱広げながら、俺に向かって首を傾けてくる。
「なんで?」
「色んなとこから来た初めて会う人達と、顔合わせるんだぞ。出来る限りの良い印象、周りに見せときたいだろうが」
 パッチリ大きなふた重の目を、しっかり二回は瞬きさせて、
「初めて会う人のために、どうしてそれまでと変えちゃうの?」
 ものすっごく純粋に訊かれて溜め息が出た。
「それまでを、そのまま見せてくんだったら分かるよ。ボク薫大好きだからみんなにも知ってもらいたいから」
 それまでがいいかげん嫌だからだよ、とか、口に出来なくて話題を変える。
「光希エンデって知ってる?」
「知ってる! ちっちゃい頃よく読んだよね! って、ボクにはむずかしくって読めなかったから、薫に読んでもらってたけど」
「それじゃなくて。俺も一瞬そっちかなって迷ったんだけど」
 張山の家に何冊かあった、外国の児童書の作者じゃない(きっと似てるとは言われない)。
「ああ。うん。知ってる」
「光希でも知ってんのか……」
 それはかなりショックで肩を落とす。光希とは「知らない」って言い合えると思ってたのに。
「みんなどこで知るんだよそんな奴」
「んーと、ね。心の中、とか、かな」
「光希の場合それ本気で言ってるからすげぇよな」
「テレビとかネットでも時々。茉莉花が小学一、二年くらいの時から」
「え。そんなに前から?」
「その時はまだそんなには。だけど、ボクも茉莉花もそっちの姿には、あんまりキョーミ無いし、パパもママも気にしてないみたいだし、多分、そんなに長くは続かないと思うし」
「ああ。なんだ。その程度か」
 ずいぶん人気みたいだけど、先が見えてんだなって鼻で笑ってたら、光希は箸を下ろして、
「そんな感じに言わないであげて」
 ちょっと哀しそうに呟いてきた。
「だってもう終わっちまう奴なんだろ」
「多分ね。だけど、終わったってボクは、これからも大好きなんだから」
「そっか。ごめん」
 光希がそれだけ気に入るんだったら、まぁ悪い奴じゃないんだろうな。俺知らないけど。

「ああそれでねそれでね。お弁当食べたら薫、部活行こ」
「は?」
「前から話そうと思ってて、なんでか忘れちゃってたけど、もうせっかくだから薫が入学してから、ビックリさせちゃおうと思ってたんだけど」
 前置きがずいぶん長いけどその間に、弁当箱を重ねて袋に入れ収める余裕はあった。
「ボク今、御詠歌ごえいか部に入ってるんだ」
「御詠歌? 部? この高校そんなんあるの?」
「うん!」
「入らないよ俺」
 答えた途端ものすっごく純粋に目を丸くしてくる。
「ええっ! なんでぇっ!」
「何でって興味無いからだよ。御詠歌とか」
 その名前聞いただけでも俺からは溜め息が出てくる。
「ってか俺たちの年齢で、普通存在も知らないって」
「薫は知ってるじゃない! 毎年聴いてたじゃない! いっしょにあそんでたじゃない入ろうよぉ!」
「本気で全力で泣きわめくなって!」
 高校の中庭で人気は無いけど、きっと今は光希がいるから避けられている。
「イヤだボク薫といっしょに御詠歌やりたいぃい! 薫カッコいいからみんなにも知ってもらいたいから、薫のカッコよさ見てもらいたいから」
 両方の拳を握って意気込む感じに俺に向き合ってくるけど、
「大丈夫だよ薫! 自信持って!」
「俺は自信が無いわけじゃねぇ!」
 むしろ光希のせいで俺単体での自信に実力は出せなくなってんだって。
「だってもう新しく入る人のリストに、薫の名前と住所書いちゃったもん!」
「勝手にとんでもねぇ事してくれやがるなおい!」
「全国大会だって薫といっしょに出るんだって出場申請しちゃってるもん!」
「とんでもないが上積みされてヒザから崩れ落ちそうだぞ光希!」


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