見出し画像

サイドストーリー『因果応報恋心』

『唱え奉る…御詠歌部』
  第1話(末尾に全16話分のリンクあり)

『張山光希は頭が悪い』
  第1話(末尾に全28話分のリンクあり)
の、
中間に位置する作品群から、
noteで公開するだけの何かしらは表現されている、
と思われたものを一つ。

(文字数:約11000文字+末尾)


因果応報恋心

 統一統合された真の自我、というものが確実に存在し、それを見出しその望みに寄り添うように生きれば幸せになれる、といった言説は、安易に信じない方が良い。
「年に一度、随分数多くのチョコレートを頂く日があるんだが」
 御詠歌部部長、小石川こいしかわ ひかるの発言に、部室に集まっていた一年生三人が注目した。
「あれは一体どういう事なんだろう」
 三年生が引退し、副部長、かつ現在随一の習熟者になった木地きじ 廣江ひろえも所用で休み、という状況で、今日の部室は中央に据えてあるテーブルの、四辺をちょうど四人で囲んだ、雑談デーの雰囲気になってしまっている。お互いに顔を見合わせていた一年の内、
「まさか部長、バレンタイン知らないんすか?」
 まずは晃に向かって右手に座る、新発田しばた 海渡かいとが口を出した。
「いや。知ってはいる。しかし私が知っている定義と、実際の意味合いに、周りから受け取れる反応が、どうも適合していない感じがする」
 という感覚を抱いて語れる時点で、明らかに適合していない。そもそも誰もが無関係に過ごすか、雰囲気的になあなあで済ませているところだ。
「同級生の男性に訊ねても、なぜか気を悪くされるし、木地くんは、今の時期よりひと月前くらいから、私に近寄って来なくなる」
「でしょうね。面倒に巻き込まれそうですから」
 この場では唯一の女子である、神南備かんなびみくりが溜め息をついた。
「去年までは姉に相談して、ひと月後のお返しに備え、大方は事無きを得ていたんだが、それでも人によっては泣かれたり腹を立てられたりして、その理由も見当たらずに困った。そして今年は姉に負担も掛けられない」
「なんか、器用貧乏って言うか気の毒感が強くて、羨ましく感じないってすごいっすね部長」
「ん。結果として誉めてくれたのかな新発田くん、ありがとう」
 誉めたわけではもちろんないのだが、けなしたつもりもない新発田は、「いえいえ」と真顔で濁している。
「神南備は、今年俺にはくれねぇの?」
「ブラックサ○ダーで良かったら」
「全力で義理じゃねぇか」
「本命がすぐそばにいるんだもの」
「まぁ稲妻でも全然良いよ。もらえる時点で有難い」
 晃と向かい合わせに座り、さっきから、ずっと黙って話を聞いていた張山 はるやま 弓月ゆづきは、やや呆れ顔で口を開いた。
「今年は出来るだけ断っといた方が良いよね。晃、彼女出来たんだから」
 他三辺の視線が、張山に集中し、跳ね返るように晃に戻って来た。
「えっ! マジっすか部長!」
「いつの間に? そんな話、今まで無かったのに!」
 左右両側から詰め寄られて晃は少しのけぞったが、
「言葉では、何も聞かされていないけど、晃に何かあったら、僕分かるし」
 対面からの少し不満げな目線に、バツが悪そうな顔を逸らす。
「浮気バレた彼氏の反応みたいですよ部長」
「個人限定のテレパシーって残念だな」
「テレパシーってわけじゃないんだ新発田。言葉じゃなくて感覚とかが、伝わるだけだから」
「より一層厄介じゃねぇか」
「今年に入って声とか表情とか、軽そうな、って言い方したら違うな。楽そうな感じに変わってくれたから、ああそういう事なのかなぁって」
 頬杖をついた顔を向けられた神南備が、張山のふくれ気味の頬をつつく。
「思いっきり嫉妬してんじゃない弓月くん」
「神南備はどうなのさ」
「部長はとっくに弓月くんに取られちゃったもの」
「私も神南備には同じ事を言いたいんだが」
「私はどっちかって言うと弓月くんが取られちゃう方が心配だったから、部長にも彼女出来てくれるのは大歓迎」
「彼女出来たって取られる可能性は残っているんだよ神南備。油断しないで」
「お前らの会話他所から聞いてるとワケ分かんねぇんだけど」
 遅れて入部した新発田だけが、入学時点からひと夏を過ごして秋まで続いていたカオスに、付いて行けていない。
「どこの誰かまでは分からねぇの弓月」
「そこまではさすがに。言葉じゃないし映像でもないし。目の前でしゃべってる間だけだし」
「部長と、同級生ですか? 私達も知ってる人、じゃないと思うし」
 不思議なもので言い当てられて頷くよりも、間違えられた時の方が人は訂正したくなり、しゃべらずにいてもいい事まで、ついつい口に出してしまう。
「まだ、彼女と言えるか微妙な間柄なんだが……」
「え?」
 正面からの思いがけず強い視線が返って来て、晃は戸惑ったが、
「え? とは?」
「え? とは? って何?」
 戸惑いも許されない感じに、はっきりと腹を立てられている。
「だったらなおさらはっきりさせてなきゃ。そういうのって、あんまり良くないよ晃」
 左右の二人は首を傾げているが、晃には、何が張山に伝わり何をどう怒られているのか、伝わってしまった。
「晃がそれで良いなら、別に良いけど、ダメとか僕からは言えないけど、僕はあんまり、好きじゃない」
 そして張山弓月に好かれない事を、晃は可能な限り望まない。

 表立って声高には語られない事だが、初めての相手、といった存在は、男性にとっても重大だ。
 憎しみであれ恥であれ、後悔であれ感謝であれ、初回の衝撃も加わっての得も言われぬ快感であれ、生涯に渡っての彩りを添える影姿となって、脳髄の奥深くに刻み込まれる。願わくは男女共にそこは可能な限り、美しい形式を取ってもらいたい。
 厳密に言えば小石川晃の場合、初めての相手は『鬼』になるのだが、肉体を持たぬ人外との交接であり、内側から喰われる、といった表現がしっくりくる感覚であったために、幸か不幸か人同士のそれと同等の行為としては、数えられていない。
 制服のポケットに振動を感じ、晃が取り出したのは携帯電話だ。二つ折りの、押しボタンが並ぶ機体を開いて画面を見る姿に、先ほどから晃の美形に注目していた女子高生二人が、片や驚いてただ目を見開き、片や舌打ちして目を逸らしている。どちらも、メールを読む晃の意識には入っていないが。
 とは言えそこからは明らかに、晃は上機嫌と分かる笑みを浮かべ、深見ふかみ駅の、改札を抜けると待っていた相手の姿を見付けて歩み寄り、相手から向けられた、アイラインも濃い眼差しに笑みを消して固まった。
 真っ白に染め抜いた上に、緑や紫のメッシュを入れた肩までのストレートヘアを、グラデーションネイルにストーンも重ねた指で掻き上げながら、もううんざり、と聞こえてきそうな溜め息をついている。
「あんた、今年もそんな感じなの」
 目線の先にある、自分が今右手に持った布バッグと、その内側からあふれ出そうな、ラッピングされた箱の山を見て、
「いえ。これは……」
 今更隠しても意味が無いので事情を正直に説明する。
「断り切れなかった分、と言いますか、断る余地も無くロッカーや机の中に差し込まれていたり、一度は断ったんですけど『義理だから気にするな』と笑われてしまったり、した分で……」
「別にその辺はどうだって良いけど、あんたそれ、全部食べ切れんの?」
「その、自信は無いので今、困っているところです」
 スタッズを散りばめた、黒のレザージャケットの背を向けて、ロングブーツのヒールは鳴らさないように腹筋を使って歩み出す。
「一時間くらい平気でしょ。コ○ダ行くよ」
「はい!」
 晃はその後を、普段の彼を知る者からは意外に過ぎるほど、従者然とした様子で付いて行く。

 布バッグから取り出した一個一個の、ラッピングをとがった爪先で丁寧にはがし取り、リボンに包装紙を折り畳む、その向かい側で晃は、メモ帳を開き箱ごとの、顔と名前と関係性を判別してリストを作っている。
「フタ開けて見たらあんた本当に義理ばっかりね」
「顔が良いもので」
「自分で言ってんじゃないよ」
 布バッグにはまず箱だけを戻して重ね、隙間に包装紙を差し込む。それだけでもカサはずいぶんと減って行く。
「いえ。下手に見た目だけが良いもので、私に渡せた、とか、お返しに何をもらえた、といった、女性同士の張り合いに、どうも利用されているような……、などと頂ける分際で申し上げるのは、大変心苦しいんですが、また頂けた物に、頂ける事は本当に有り難く思っていますけれど、正直に申し上げて私には、それほど嬉しい話でもなく……」
 ネイルをした指先が対面からメモ帳を叩く。
「この辺の子たちはみんなマカロン5個にしときなよ」
「去年と同じになりますが、構いませんか?」
「いいでしょ別に。あんただって種類に店は違っても、毎年チョコレートじゃない」
「確かに」
「マカロンの意味はどうとか言ってくる子がいたら、あんたお得意のしれっとした顔作って、『知らなかった』って返しとけばそれで済む話だから」
 ひと通りお返しも決め終えて、運ばれていたコーヒーに、ようやく二人とも手を伸ばす。
 実は晃はコーヒーが苦手、とは言わないまでも飲み慣れていないのだが、砂糖にミルクを入れる事にはもっと慣れておらず、一方で張山は、祖父母の影響から種類にも詳しく喫茶店に行けば好んで頼むものだから、晃も選べる場合はなるべく苦味が弱めの品種を選び、いつもなら、さも違いを心得ているかのような微笑みを浮かべて飲んで見せるのだが、
 ひと作業終えた後で気が抜けていたのか、いつも以上に苦く感じて端正な口元を引きゆがめてしまった。対面から、それに気付いた笑い声がする。
「見栄張ってコーヒー頼むから」
 アイシャドウに口紅も濃いフルメイクだが、笑っている表情を上回る効果は、それほど無かったりする。
「コーヒー店、ですからここでは、コーヒーを頼むのが筋なのかと」
「それがもう見栄だって言ってんの。舌がお子さま向きのメニューも、ここ色々と揃ってるよ?」
 メニューを引き出しオレンジやグリーンの液体が入った、グラスの写真を開いてくる。
「こうしたものは、ちょっと……、もちろんメニューにあるもので、大丈夫だとは思っていますが、私は口に運んだ事が無くて、怖いです」
「フフッ」
 しかし化粧の凄みというものは、どちらかと言うと、鼻先で笑うような時に現れる。
「ジュースも飲んだ事無いし、USJに海遊館どころか、遊園地や水族館にも行ってない」
 ひそめた眉にクスクスゆがんだ笑い声で、気持ちの良い表情ではないのだが、晃は目を逸らす事が出来ない。
「アスレチックなんかで遊んだ事も無けりゃ、キャンプに釣りもやった事無い。おまけにあんた今河内かわちに住んでて、自転車にも乗れないって……」
 あははは、と笑い声が弾けてさすがに、目を伏せたが、
「乗った事が無いだけです」
「じゃあ乗れないわよフツーに。今まで練習すらさせてもらってないんだから」
 いきなり笑いやめて、伏せた顔もまた上げさせるほど強い目力で睨んでくる。
「ごまかされてないで現実見な。それってフツーに虐待だからね」
 強い単語をぶつけられて晃は、一瞬怯んだが、
「いえ」
 すぐに気を取り直して事情を正直に説明する。
「そんなに、深刻な話ではないんです。生家が山の上にあったもので、私の家だけでなく地域全体で、自転車を使う習慣が無く、古代から伝わる神事を継承する家、だったものですから、私も積極的に山を下りたいとまでは、思わなかったので……」
「私シノワロール頼むわ」
 しかしメニューを見ていた相手には全く聞かれていない様子だ。
「あんたも半分食べてよ。これ一人じゃ多過ぎるから」
「はい」
 呼び鈴を鳴らしてやって来た店員は、営業スマイルに輪を掛けて嬉しげだが、対面に座る女性客に不思議そうな顔をした。片や高校の制服で、片やパンクスタイルの私服で、付き合っている二人にしては印象が噛み合わない。お姉さんとか先輩かな、と訊ねるような目線にしかし、晃は気付かずにいる。
 長い爪が小袋を割いて中の豆菓子を小皿にあけた。一つつまんで噛み砕く様子に晃も自分の小袋を開け、同じ皿に加える。
「おいしいですね」
「どうせコレもあんた食べた事無いんでしょ」
「先日張山と来て、ようやく食べて良いものだと知りました」
 晃は先ほどの延長で、笑い話のつもりで口にしたが、
「何せ頼んだ品ではなかったもので」
 笑いかけた先で相手の表情は、頬杖に口元を隠し、マスカラを重ねたまつ毛も閉じ気味にして不満そうだ。
「あんた見た目だけで中身スッカスカだからね」
「はっきり言われると、その、落ち込みます」
「え? 誰かにはっきり言ってもらいたいんじゃなかった?」
「言われる相手によってはその、身にこたえるので」
 鼻で笑う感じと思わずみたいな笑みの、中間のような笑い方をして、
「因果応報よね」
 アイメイクよりも印象に残る目の色になってくる。
「知らず知らずに周りにやってきた事が、今あんたに巡って来てるんだわ」
 頬杖を外しながらの流し見で、上から下まで、と言っても今はソファー席に座っている、頭の先から肋骨の下辺りまでに、目線を送られる。言われた言葉も重なって妙に決まり悪く思えて、晃は目を伏せた。
「その自覚は、無いんですが」
「自覚があってやるもんじゃないのよ」
 豆菓子を噛み砕く音が伏せた目線の先に聞こえる。
「あんたが悪いわけでもない。ただ気付けもしなかっただけ。私達は、あんたが気付けもしない奴だって事に、気付けやしないんだから、お互い様よね」
 学業成績は優秀な方で、難しく思える言葉は特に無かったはずなのだが、具体的にどういった事を言われているのか、晃にはどうも分からない。開いて置いたままでいた、メモ帳を取り上げて目を通すと、また晃が読める向きに差し戻してくる。
「例えばこの中の、誰かと付き合いたいとか、ないの?」
 声こそ出さなかったが晃は、疑問符そのもののような顔になった。
「あんたも本当なら彼女くらい、欲しがってる年頃でしょ?」
 相手は含みを持たせた笑みで、何か意図があって今訊いているようだが、何の意図があるのか読み取れず、どう答えて良いものかも分からない。
「今は……、考えていないと言いますか……」
 含みのある笑みが強くなったが、
「その……」
 晃には、さっきからどうにも気になっている事がある。
「あなたからは頂けないんですか?」
 笑みが消えて途端に、
「はぁあ?」
 とコーヒー店には相応しくない音量で言い出したので、駆け付けて来た店員には、まず晃が立って頭を下げた。とは言え思いがけず口に出てしまったようで、対面でも恥ずかしそうに口元を押さえ店員や周りのテーブルに「ごめんなさい」と謝っている。
 二人揃って席に座り直して、そこからは音量を抑えつつの言い合いになる。
「こんだけもらっといて私からの一個なんていらないでしょ別に」
「数は、問題じゃないんです。好きな人から頂けるかどうかが、重要なので」
 心なしか相手の頬に赤みが差している気がするが、晃には、気のせいかもしれずはっきりしない。
「私はあなたに『好きです』と、一度や二度ではなく打ち明けた、はずなんですが」
「聞いてるけどまともに信じて受け取っちゃいないわよそんなもん」
 呆れ顔で返されて、晃は眉間を押さえてうつむいた。今年に入って再会してからずっと、相手と話をする度に、期待を逸らされる、わけでもなく期待ははるかに通り越してもはや確実に思われていた事が、覆されてガッカリする、の繰り返しだ。
「なぜなんだろう……」
 肩を落として項垂れているところにシノワロールがやって来て、皿に取り分けた半分に、シロップを掛けながらの声が届いてくる。
「ひっさしぶりに顔合わせたと思ったら、いきなりだったし、前はそんな事ひとっ言も言って来やしなかったし、分かってんのよ。あんた、やってみたくて誰でも良くって、覚え立てで今ドハマりしてるだけでしょう?」
 言葉を詰まらせて晃は、コーヒーを飲んだが、何も相手の言い分に同意したわけではなく、身を重ね合わせた間のあれこれが、言われて甦ってきただけだ。
 そして正直なところ言われたその通りだけれども、それで何の問題があるのか分からない。覚え立てはドハマリするものでありドハマリしている状態は、それは純愛とは呼べないまでも、純粋かつ真剣では有り得るのだが。

 大抵の現代人であれば、つまりそういう事かと、納得して人によっては合わせる事も出来るであろう、ふもとでの定番にそれを表すカルチャー用語を、晃は知らない。
 一軒家が立ち並ぶ舗装路に、入ろうとする曲がり角の、家々の玄関灯に窓の灯りくらいでお互いの表情はよく見えなくなってきた暗がりの中、
「ご両親によろしく」
 と笑いかけたが、
「余計なお世話よ」
 と鼻で笑われた。
「よろしく言ったって聞かれやしないから。あの人達、見たいようにしか見ないし、聞きたいようにしか聞かないし」
 家族と上手く行っていない事なら知っていて、その一因を作ったのは自分である事も分かっているが、上手く行っていた状態が果たして彼女にとっての最適だったとも思えない。言葉に詰まって立ちすくんでいた胸に、
「はいこれ」
 とリボンで飾られた小箱を押し付けられた。
 目をやると右隣でこちらも向かずにうつむいた耳は赤くなっている。
「人前でっ……、私が渡せるわけないじゃない……」
 震えがちに消え入りそうな細い声で、右手だけを真横の晃に向けて突っ張っている。その指先も震えていて晃は、箱を受け取ると同時に握り込んだ。
「あの、何か言葉も頂けたら」
「……中に手紙」
「ありがとう」
 そう言って手の甲に唇を当てると、ぷしゅう、という声なのか音なのかも分からない熱気が、隣の横顔から吹き出した。
「また、会いたいです」
 コク、と音がしそうに大きく、頷いている。
「次は、もっと長めに時間を取って、会えますよね」
 コクコク、とうつむいて顔は見せないまま。

 ところで小石川晃という人物は、つい昨年まで山の頂上付近の生家で、人に見られる事を、時によっては見せ付ける事を意識させられて育てられて来たので、実家を離れふもとで生活するようになった今も、無駄に堂々と振る舞うクセが、身体全体に染み付いてしまっている。
「奥さん。申し訳無いが冷蔵庫に保存してもらえないだろうか」
 と日常会話であってもこんな調子だ。
「うわぁ。すごいねぇ晃くん。今日一日でこんなに?」
 下宿先の御夫婦は、父親の古くからの友人で、子供達も昨年辺りまでに皆巣立ってしまい、急な二人暮らしも侘しい、という事で晃を受け入れてくれている。
「中は確認済で、お返しのリストも作り終えたので、皆さんで食べてもらって構わない」
 社交的な人達で、配り回す機会も多いだろうと、布バッグの中身はそのままで返された。
「それはありがとうだけど……、もらった中に誰か、気になってる子とかいないの?」
「先ほどはす向かいの娘さんからも頂いた」
 もちろんその一つは布バッグに入れず、晃の通学用バッグに納まっている。そして「誰か気になってる子」という問いかけに、晃は答えた気でいるのだが、
「え?」
 奥さんは驚いた様子で振り返ってきた。
「いつ?」
「帰りの電車を見計らって、待っていてくれたらしい。改札を出た所で落ち合って先ほどまで一緒に、コーヒー店に」
 情報は確かにどれ一つとして、間違っていないのだが、従者然とした晃の様子に実際に交わされた会話を知らない奥さんには、正確に伝わっていない。
「晃くん……」
 心配そうに眉をひそめながら言ってきた。
「そんなに無理しなくて良いよ?」
「ん?」
 ここに張山がいてくれたなら、最大限に困惑している時の口癖だと、気が付きつつ張山本人は無自覚に、フォローを入れてくれるのだが。
「晃くんはほら、あの子に責任感じちゃって、優しくしてあげてるんだと思うけど、迷惑だったらはっきり断ってあげないと、本気に受け取られたら、向こうがかわいそうだから」
 先日から付き合い始めた事を、晃は下宿先の御夫婦にも、報告したつもりでいたのだが、とは言え既に肉体関係を結んだ事まで伝え切れるはずも無く、御夫婦からは単なる「友達付き合い」だと思われてしまっている。
「大丈夫だ。私は何も無理していないし、特に責任も感じていない」
「晃くんはそうだろうけど、思い込みの激しい女の子って、いきなり何しでかすか分からないから」
「そこは男性も同様な気がする。そして何かをしでかした場合により罪が深いのは、大抵男性の側だ」
 そんな事をひと息に、見た目は堂々と言い切れてしまうものだから、晃にも、理性を失って肉欲に溺れ、ボクちゃん言葉で甘えるような時間が、ごくフツーに有り得るなどとはまさか想像もされずにいる。

 手作りした上にラッピングも自ら施したとは、中に手紙が仕込まれていなければ気付けなかったかもしれないほどに、味も見映えも高品質だ。やると決めたらとことんまで手を抜けずにやってしまうところが、思い返せば前々から好みだった。当時は女性に意識を向ける余裕すら、自転車同様無かっただけで。
 そして手紙がまた桜色の封筒に、縦書きの便箋三枚と、よく知らない相手であれば重苦しい限りだが、なぜ面と向かって話す間はああいった態度を取られるのか、これまでの自分は相手の目に、一体どのように映っていたのか、気になって仕方が無い状態であれば、それは丹念に熟読する。
 目頭を押さえたまま十分ほど、黙り込んだ後に電話を掛ける。が、出なかったのでそばに置いていたら一時間ほど経った辺りで鳴り出した。
「急に掛けられてもこっちは出られない時あるんだけど」
 回線の向こう側の声は不機嫌そうだが、手紙を読んだ後であれば印象が違う。
「すみません。今は、大丈夫ですか?」
「いいけど。何」
「前から思っていた事なんですが、お返しや、返事の機会がひと月も先というのは、やはり有り得ない事のような、義理でも早く済ませて身軽になりたいのに、好きな人だととてもひと月先まで、黙っていられないし待たせられない……」
「わざわざ電話まで掛けて言いたい話ってそれ?」
「いいえ。愛してます」
 ぷしゅう、という熱気が画面越しにも吹き出して来る感じがした。
「私には今は、あなたしかいないので、先の事は確かに分かりませんが、心配、し過ぎないで頂けると嬉しいです」
 それで手紙を読んだ事も伝わったらしく、よく耳を澄ましていなければ聴こえないほどのか細さで、
「うん。うん。分かった」
 と呟いている。しかし、
「ってあんた、あの男の子とはどうなってんの?」
 急に口調も声の高さ細さも変えてきた。
「ああ」
 と晃は屈託の無い笑顔になって、
「張山は私にとって特別なので、今後も大切に想っていたいです」
 昨年一年間の御詠歌部の内側にいなければ、とても伝わりようのない事を言い放つ。
「そこちょっとぐらいごまかそうとしてくれない?」
 当然の事ながら相手の声には怒りで深みと重みが増した。
「私の存在向こうに知られたら悲しませるよ?」
「既に哀しまれているので大丈夫です。それに張山にも彼女がいて、実に仲が良いので」
「あんた達の話他所から聞いてるとワケ分かんないんだけど」
 晃にとってはごまかしようもない事情を正直に説明しているだけなのだが、
「単に、魂同士が引かれ合ってしまって離れようにも離れられないだけなので、生身の人間かつ男性としては、あなたを選ぶ以外に無いんですが」
「正直極まりない上になんか何かがムカつく言い方よね」
 本当に愛する人は他にいて、女に求めるのは身体だけ、みたいに聞こえてしまっている。しかし身体は何も魂と比べて貶められるような存在ではなく、身体で味わうような機会があまりにも限定されてきた晃にとっては、決して馬鹿になど出来ないほどに神々しい。
「一度会わせて向こうの話聞かせてよ。そしたら信じるかも」
「そうですね。機会があれば」
「はいはい。じゃあもう無いわ。終了」
 いきなり切れる回線の音は、令和の時代、携帯電話とスマホであっても物悲しい。晃の側も一旦は、終了ボタンを押して、眉間を押さえて悩み込みながらメールの文章を作る。

   申し訳無いが少し時間をもらいたい
   今はまだどちらに対して
   どんな顔を見せて良いものか分からない
   特にあなたに会っている間の顔は
   張山にも見せた事が無いので恥ずかしい

 送ろうとして見返して、普段の自分の口調ではあるが、相手に会っている時の口調とは明らかに違う、と気が付いて、こうしたところが冷たいようにも信用ならないようにも思われるのだろうかと、実はポイントのズレた事を悩んでいたのだが、
 やがて相手側がメールの末尾に付けてくる、ハートやキスのアイコンを入れてみようかと思い立ち、アイコンの使い方も、実は同世代の若者はもうアイコンなど使っていない事も、晃は知らないものだから、相手に合わせた個数に種類を、全く同じにしてしまうとコピーで済ませたみたいに思われそうだと少し変えて、相手が送ってくるように、下の名前と「愛してる」を追加した上で、送信を押した。
 そして画面上とは言え「愛してる」の文字を打ち込んで送信してしまった自分に、5分ほどしっかり照れ悶えた。
 どう思われただろうか、理由は分からないがしょっちゅう気を悪くさせてしまうので、また何かで怒らせてはいないだろうかと、気が気じゃない間に携帯が鳴って、すぐさま取り上げ二つ折りの画面を開いて、読み終えた晃は上機嫌と分かる笑顔に変わる。
 統一統合された真の自我、というものは、現実に存在するのかもしれないが、容易には見付け出せず、自分でも思いがけないほどの自分の変化やそれに対する相手からの反応の内に、探し出す過程だって結構楽しい、というのもまた事実だったりする。



私は小説家であり、
小説作品内に埋め込む事はさすがに出来ませんでしたが、
この作品が最も随所でこれを言いたくなる話だろうと思われました。
創作大賞には応募しませんがこちらには捧げます。

 ところで「シノワロール」はわざとです。
 そこに気付いて指摘される方がどれだけいるやらですが。

何かしら心に残りましたらお願いします。頂いたサポートは切実に、私と配偶者の生活費の足しになります!