聖書読書記録(44週目408日間)
2023年11月5日~11月10日
コリントの信徒への手紙(一)14−1〜16−24
コリントの信徒への手紙(二)1−1〜13−13
巻末地図「パウロのローマへの旅」、
巻末資料「旧約聖書からの引用箇所一覧」中の、
「コリントの信徒への手紙(一)」
「コリントの信徒への手紙(二)」部分も見比べながら。
内容:
改めて復活とは福音とは何であるかについて述べ、
皆が団結して協力するよう祈って結んだ手紙(一)の、
どのくらい後か分からないが、
コリントの教会が分裂の危機にあると知って、
パウロ自身がこれまでに受けた苦難を語り、
わりかし懸命に説得しているのが手紙(二)。
ざっくり感想(実にざっくり):
申し訳ないがコリント(二)は、
なおさら頭に入りづらい。
というのも、
所詮は手紙であって、
実際のところ何のどういった事件が起きたかは、
関係者に気を使って繊細にぼやかされているから。
コリント(一)で、
預言とはまた別に、
異言、というものがあったらしいというのが、
印象に残って少々掘り下げたく感じた。
以下は気に留めた部分の抜粋。
そこが私には大失敗に思えるんだよなぁ。
散々「律法よりもこれからは福音に生きなさい」
みたいな事を書き連ねた後だしなぁ。
何か嫌だ。
この一文だけが一人歩きして、
悪用されてきた予感がひしひしとする。
ごめん。
異教徒の素の感覚で読んでその例え方きしょい。
異教徒の更にオス感覚では、
黙れとか勘弁してくれとか思う。
キリスト本人には敬意を感じていれば尚更。
お前のその意識を向けられるのが邪魔。
(心からの正直だが我ながら、
パウロに対してあまりにけちょんけちょんだな。
そこは申し訳ない。)
あと新約部分に入ってから、
旧約からの引用部分も合わせて読んでいるけど、
この引用の仕方も本当に、
詩篇からレビ記から預言書から、
気に入った箇所をちょっとずつ切り取っては、
自分の言いたい事に合わせて継ぎ接ぎした感じで、
実は日本の戦国時代だってこんなもんだと、
『太平記』読んで分かってるけど、
正直それって指導的立場にいる奴の方が、
先人の言葉を真剣に受け止めちゃいねぇ気がして、
どうにも好きになれない。