『唱え奉る河内國春乃井学園御詠歌部』第4話
第1話(末尾に全16話分のリンクあり)
(文字数:約5800文字)
4 本体に 適した道具と 合ったネジ
その日はドアの向こうから、気が付けばうわんうわんと音が響いて、響き続けて気持ちが悪くなりそうで、どんどんとお腹に響く音が近付いてドアが開いて、
「弓月! ばあちゃんの車に乗り!」
いきなりそんな事を言われても、何がどうなっているのか分からない。
「ばあちゃんは、弓月を抱えてじゃ歩けんで! ごめんけど自分の足で立って歩いて車に乗り!」
おばあちゃんは怒っていて、同時に泣いてもいて、何も分からないし気分が悪いからって多分、立ち上がらないでいる事も出来たけど、
立って、歩いていた間の事は良く覚えていない。お母さんに、お父さんはどんな顔をしていたかも、どんな事を言っていたかも、そこには妹やお兄ちゃんがいたのかも、だけど、確かに僕は歩いたはずで、助手席に乗り込んでシートベルトも、自分で引き伸ばして締めた感じがした。
ちょっと走っただけで車は、すぐコンビニの駐車場に入った。
「何か、いる物無いか弓月! トイレも行きたくあったら行っておいで!」
おばあちゃんはやっぱり、怒っていて、声を出してもきっと、聞こえないし届かないって思ったけど、
どこに行くの?
「ばあちゃんち!」
なんで?
「あの人たちが、何を言いよんのかばあちゃんにゃ分からん! 連れて帰って、ばあちゃんちで暮らさせる!」
ムダだよ。やめとこうよ何やったって、治らないし良くならないし、死んだって構わないんだ僕なんか、死んじゃった方がみんな楽になるって、おばあちゃんが、バカにされるか怒られるよ。
そんなに長い間、僕が声を出せたとは思えない。最初から、声なんか出せてたかどうかも分からない。だけど、
「しゃべらんでええ」
おばあちゃんは確かにそう言って、
「何も、考えんでええ。そんな、毒になるまで考え込んだら、人を考え込ませたらあかん」
言われたら、すっごく安心して、何も、考えなくて良いんだって、思ったその時から涙が止まらなくなって、
「ありがとう……」
だけはどうにか言えた事を覚えている。
教室に着いてみたら、足助は窓に背を向けて、つまり歩いて来る僕の方を向いたままで座っていて、僕は、目を逸らしながら席まで歩いてまずは、いつも通りに座って、
横向きに見えている足助と、視線が何回か合っていたけど、息を吸った足助がこっちを向いてきたタイミングで口にした。
「足助もあの辺に住んでるの」
「神南備と付き合っているのか」
かぶって聞こえた言葉が突拍子も無く感じて一瞬理解できない。
「……なんでそうなるの?」
「俺なりに、考えてはみたんだが、口止めされる理由が一向に分からない。口止めされるような事が何か他にあって、俺は誤解をしたんじゃないかと」
「誤解に誤解が重なって、ワケが分からない。それより足助の家はあの辺り?」
「川北市だ」
田舎者にしか分からない感覚だろうけど、腹に不意討ちを喰らったような衝撃が走った。
「……都会じゃないか! 深見市よりもずっと!」
この高校になんか歩いて通えそうな、県庁所在地近くの政令市だ。
「俺は都会とは思っていない。田舎に住んでいるからそれが何だ」
「川北の人間が、どうして毎日郡なんかに……」
「『かまど山』駅で観光案内のアルバイトをしている」
僕が使っている無人駅の一つ先だ。
「ヨロイにカブトを付けてヤリやら刀やらを持って、カツラでも良いんだが自分の髪でマゲが結えると、リアルに見えるらしく喜ばれる。衣装を着替えていつもひと駅分は歩いて帰っているんだ。数十円程度でも、毎日浮くから」
わりと有名な武将が暮らしていた場所とかで、一昨年辺りから、大きめの伝承館がオープンしたみたいな話は聞いていたけど!
「それより神南備とこのところ親しくないか」
僕にとってはそんな話どうだっていいんだけど、ここ最近の雰囲気じゃ、そんな風にも思えただろう事は分かる。
「……部活が偶然一緒になっただけ」
「部活」
ってだけでこっちは納得してもらいたいんだけど、
「何部だ?」
「どうだっていいだろ!」
やっぱり訊かれてしまう。御詠歌なんか! 普通なら近寄らない、胡散臭いし気味が悪いだろうって、誰に言われたわけでもないのに僕自身が、本音を言うと思ってるんだ!
「なぜ隠す」
「そっちだって、どんなバイトか話さなかったじゃないか!」
「詳しく訊いても来なかっただろう! 色々と、聞き出したい要素が俺にはこれまでにあったはずだぞ?」
言い合いになっていて僕も足助も、気にしていなかったけど、ここは教室で、僕が着いた時にはまばらだった生徒も、少しずつ集まり出していた時間帯で、
「なぜ俺にもう少しくらいは興味を持ってくれない?」
「前の席になっただけの奴に興味なんか持たないよ!」
「後ろの席になった時くらいしか他人に興味なんか持たなくないか?」
「そういうの、僕に言わせれば興味じゃない! 詮索って言うんだ余計なお世話なんだよ!」
後で分かった事だけど、僕達の机からは遠巻きに見物人が並んでいた。
「名前とか読み方とか、文字はどう書くんだとか、どこに住んでるとか出身地はどこだとか、普段は何やってるかとか! 先祖は誰だとか歴史とか、どこの仏像はどんな見た目で何の御利益があるだとか、どんな武将が何の仏像拝んでたとかそういうの、何もかもがどうだっていい! これっぽっちも興味なんか無いんだって!」
「ちょっと待て。話が途中から少しずつ、ズレてきている」
日頃部長と神南備から聞かされ続けて、うんざりしていた気持ちがこぼれ出ていた。
「それで、張山の家はあの辺りか」
「だからほっといてよ! なんで僕の事そんなに知りたがるんだよ!」
「お前が気になってどうにか打ち解けたい以外の理由があるか?」
「ぐふっ」
聞き覚えのある笑い声に、僕も足助も全身からゾッとして、恐る恐る振り向くと見物人を背にした神南備が、メガネ越しの顔を赤らめてにんまり笑っていた。
「……萌えて良い?」
「絶対にやめて!」
「全力で勘弁願う!」
おかげさまでというか何と言うか、離れ小島席で関東出身で関西の人間なんか冷めた目で見ていると思われていた僕が、単にワケの分からないコンプレックスの塊だったとか、
顔も体格もやたらゴツいのに、なぜか長髪で結構良い香りまでさせている足助が、実は観光施設の武将役やってるだとか、
公開プロポーズとか言われたり、BLカップルだって冷やかされたり、その度否定しているのになかなか聞かれなかったりがひと月ほど続いて最悪にうっとうしかったけど、通り過ぎたらクラスの他の生徒とも、わりとしゃべるようになっていた。
黒板にチョークで書いてあるのにやたら達筆で、
足助篤衛
「これで『アスケ トクモリ』だ。テストの度に、問題に入る前からうっとうしい」
そう話している足助の周りで、今日はシバタとかイセキとかサカクラあたりが笑っている。
「足助の本家や当主ではないんだが、親族の中では俺が最もそれっぽく見えるらしく頼まれた」
「普段からマゲ結っといてくれりゃ分かりやすいのに」
「現代の高校生がマゲを結ってちゃおかしいだろう」
「いやお前の場合髪おろしたまんまの方が違和感すげぇんだって」
言われて「そうか」と足助はうなずいている。
「あと後ろの席の邪魔にならないかと」
「僕からは黒板ななめに見えてるから問題無い」
またうなずいて「そうか」。
「さてはただの天然だな」
天然、と言われて首をひねっている奴は天然確定だ。
「弓月は一年遅れなんだよな?」
シバタからいきなり言われてギョッとした。
「……なんで知ってんの?」
「気が付いたらみんな知ってたぞ」
「体育の時間一人だけ別メニューだし」
「え?」
僕は気が付いていなかったけど、ボール運びとかコート張りとか頼まれてた間に、他の生徒はグラウンド三周とか体育館往復とかやらされてたみたいだ。
「いつも張山入ってるし、先生が気を使ってる感じが目立つ目立つ」
「で、何の病気?」
「おい直撃弾投げんなよ。オブラートに包め」
イセキは気を使ってくれたけど、この場合は直撃弾の方が気楽かもしれない。
「別に入院とか手術とかが必要な、大した病気じゃないよ。呼吸が上手く出来なくて、人より肺が育たなかっただけで」
「だけって」
吹き出す声の後にしばらくしょうがないみたいな笑いが起きた。
「充分大した理由じゃねぇか」
「息吸えなくて体力も何も、あったもんじゃないって」
「精密検査しても異常とか見つからなかったから、僕が使いこなし切れなかっただけかって」
「ベアリングのネジ外れた車が事故っても、運転手の責任かよ」
機械や車の話は好きだから、僕はその例えで充分だったけど足助は良く分からない様子でいた。だけど、ずいぶん的確な例え出してきたなって、思っていたのが聞こえたみたいにシバタはニヤリと笑ってくる。
「俺、整備工場の息子」
言われたら爪先が黒くなった手は「とっくに働いてる」感じがする。
「どうせ工場継ぐんだし、親父からは公立の工業行けって言われてたけど、それも何かつまんねぇ、ってか親父のやり方まんま続けて大丈夫か? って不安もあったもんだから」
「なんかこの高校、ワケあり、ってほどでもないけどちょっとした事情とかクセのある生徒、面接の時に優先して入学させてるみたいで」
部長に神南備の顔が真っ先に浮かんできて「なるほど」と思った。
「みんながみんな事情アリ、ってわけでもないから、たまにネタになる話聞けて面白いけど」
ふっと、視線が僕に集まってきた。
「標準語、とっつきにくいなって思ってたんだけど」
「みんなも普通に今標準語しゃべってるよね?」
「同じ標準語でも何か違うんだよ」
「いや何が違うのか分かんないって」
「弓月って本当に関東出身?」
「人の話聞いてた?」
「ほら。その返し」
ってクスクス笑われてるけど別に嫌な感じじゃない。
「何か、近いんだよ。テンポとか、タイミングとかが」
「言ってる事に言い方は関東っぽいのに、あぁはいはいって流せる感じで」
「いや流されても困るんだけど」
「場に流せんだよ。捨てるって意味じゃなくて」
やっぱ所々は関東だな、って言ってくるシバタも、それが分かると言う事は、仕事絡みで関東にも詳しいんだろう。
「こう来たらこう返すって、リズムみたいなもんは場所場所で、結構決まってくるんじゃねぇ? 関西弁ただマネされてもイラッとするのって、多分その辺の、言葉に出来ない感覚みたいなもんが染み込んでんだなって思うんだけど」
「かまど山に住んでいるからな」
口にした足助を振り向いたけど、
「それ人に言うなって……!」
「言って何が悪いのか未だに分からない」
「ああ」「それだわ」ってみんなは合点が入ったみたいに笑っている。
「山頂、聖地じゃねぇか。お大師様のテーマパーク」
「山頂はそうだけど、ふもとは普段何にも、関係無いし」
「弓月土地の繋がりなめるなよ?」
話している間にサカクラも名前呼びになってきた。
「聖地なんか観光地だよ。観光客用に整えた見せブラみたいなもん」
分からなくもないけど言い切りたくもない気がして、そこではうなずかない。
「元々あったのはかまど山で、かまど山って呼ばれてるくらいだから、そりゃ昔から色んな食い物獲れて飯食えてた土地で、人も物も考え方も、そこから流れて関西中に広がってんだから」
サカクラもイセキも、一つの地域に固まって多い名字だ。先祖から、長く同じ土地に暮らしてて、
「あと比叡山な」
「あっちは山より琵琶湖じゃね?」
「京都の方まで考えたら」
僕にはピンとこない事を、みんなでわちゃわちゃ話せている。
「その根っこに暮らしてるんじゃそりゃ、もしかして、俺達以上に関西人になるよ」
いやなりたくないよ、とも言い切れないし、そうか関西人だ、とも開き直れない。どっちにも行けない宙ぶらりんな感じが今はまだしているけど、宙ぶらりんなままで早見表の、中央に乗っけられた気もした。
連れて来られてしばらくの間は、おばあちゃんが、ほとんど一日中僕のそばにいてくれて、
「ほい、にぎにぎ」
時々僕の手のそばに、おばあちゃんの手首を差し出してきた。
「にぎにぎ。ぎゅっ、とにぎって、ぱ。ぎゅ。ぱ。ぎゅ。ぱ」
今時六十を過ぎてもみんな若いとか、言われてるけど僕のおばあちゃんは、昔話でしか見ないって言われそうな、割烹着に白い木綿布をかぶって台所に立った腰も丸まっているような人で、握らせてくる手もシワだらけで、
「にぎれよるにぎれよる。しっかりにぎれよる弓月は、生きれよる」
田舎で暮らしているからだって、不便だから地域のドブ掃除とかヤブ払いなんかも、土地のみんなでやらなきゃずっと続けてなきゃならないからだって、
そりゃ老けるしシワだらけにもなるよって話を、どうして恥ずかしい事みたいに、かわいそうに思わされてなきゃならなかったんだろう。そうした所に住まわせて、都会に暮らさせてあげられないなんて、間違った事みたいに。
「死なん死なん」
それまでの僕は多分、どこか死んでいて、身体だけは生きていても何か大事な所のネジが一本、締められていなくて、そこでようやく締めてもらえて動けるようになれた気がした。
「がんばらんでも、苦しまんでも弓月は、死なん死なん」
おばあちゃんは歌っていない。節なんか付いていないし声だって、少しも伸ばしていなかった。だけど、ずっと聞こえ続けていたあの声の、テンポとかタイミングなんかは、
御詠歌に似ていた。
こばなし:
部長が教室に入るなり、神南備は今日も向かって行く。
「部長! 大日如来のお歌、作って来ました!」
「おお。すごいぞ神南備。どれどれ」
ノートを受け取って部長は、うなずきながら節を口ずさんで、
「うん」
と閉じたノートを神南備に返した。
「これは、『荒城の月』だな」
「バレました?」
ツッコんで笑いが起きてくれるキャラだったら、「パクリか!」くらい口にしている。
「模倣は悪ではない。習熟のための一手段だが、大日如来に捧げる歌としては、どうだろう」
「あー。虚空蔵の方が良かったですかねー」
「いや。この場合は愛染明王かな」
「え。ああなるほど。そういう手もあったか」
今日も二人の会話は、聞いててワケが分からない。