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「記憶の風化」を唱える前に

 はじめましての人も、
 前から知ってる方も、
 ごきげんよう。

 偏光です。

 自らが気を付けたい事柄なのだが、
 読んでくれた方々の一考も願う。

(文字数:約1000文字)


  いつの何事に対してであれ、
  「記憶の風化」は問題であるとして、
  眉根を寄せながら語られるようだが、

  その前に確認したい。

  どういった状態を理想とし、
  何かしらの目標を立てていたのか。

  目標を定めずして、
  ただ毎日を過ごしていれば、
  記憶は風化して当然だ。
  それは自然の摂理であり、

  私には問題に思えない。

  それよりも、

  なるべく後世に伝えようと、
  語り部などの活動を、
  節目を機に始めた方や、
  長く続けて来られた方がいる。

  その一方でもちろん、

  そうした方に出会う機会が無く、
  経験談に触れる機会も無かった人々も、
  それは存在する。

  一方の存在とその割合を持って、
  「記憶の風化が危ぶまれます」
  と問題視した上に、

  その流れが決定的であるかのように、
  まとめ上げられた文言を唱えるのは
  (表層的な文言であり、
   そこに心は入っていないだろうと、
   私はあえて期待も込めながら、
   上の語句を選び文章化している)、

  活動を続けて来られた方々と、
  実際に行われてきた活動の蓄積に対して、
  無礼だと、
  私は感じるのだがどうだ。

  大災害等に限らない。

  私は被爆県に生まれ育ち、
  記念式典では出席だけでなく、
  構成詩を読み上げる人員に組み込まれ、
  「ピースメッセンジャー」
  なる名称まで与えられたからこそ、

  冒頭の確認事項を強く意識して欲しい。

  どれだけ熱心に取り組んだとて、
  たとえ表面上であれ、

  嘆いて見せ溜め息を付くのみで、
  要は格好を付けたいだけの文言で、
  済まされるのであれば、

  徒労だ。

  まず無礼である事を弁えて、
  懸念以外の反応を見せろ。

  はっきり言ってしまうんだが、
  運悪くそこにいた者たちに、
  押し付けてきただけだろう。

  違うか?
  違うと言いたいのであれば是非ともだ。
  これまでに対して感謝くらい述べろ。

  何も語り部等をやっていなくても
  (もちろん出来ない方もいる)、
  生き抜いてきたお一人お一人にだ。


以上です。
ここまでを読んで下さり有難うございます。

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偏光
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