
灰かぶり(もはや「姫」ではないので「女傑」とでも言おうか)
今日も今日とて近所の寺に祈願線香を、
本堂正面の巨大な線香立てに立てようとしたところで、
本日の強風が吹き付け、
灰が目の中に入ったばかりか、
髪も顔も服もボディバックも、
灰をかぶってしまったんだが、
「最悪だ。この祈願は叶わないに違いない」と思うか、
「仏様が応えて下さった。この祈願は必ず叶う」と思うか、
どちらの方が生き延びるための活力を得られるかと言えば、
私の場合は後者であるというだけの話だ。
ちなみに今日も今日とて祈願線香には、
「仕事成就」を選んだのだが、
引き抜いて手に持った一本の、
「就」の字が印字ミスか何かで八割方消えていたが、
「私の場合は成れば良い。就かなくても良いので構わん」
とそのまま点火した。
前もって御燈明ロウソク2本も点している私に、
近所の寺がバチを当ててくるはずもなかろう。
強いて心辺りがあるとすれば寺を訪れる前、
昼食時に思いを馳せていた事だろうか。
ヒトは身の回りにあるもの日頃良く見かけるものを、
「普通」であり「まとも」であると思い込みやすい。
接する機会の多い者に機会が少ない者の感覚は理解し難く、
その逆も真なりだ。
機会の少ない者に機会が多い者の感覚は理解し難い。
しかしながらそれは、
ある機会ただ一点を軸に取った場合の話だ。
その場合には機会が少なく思えたとしても、
また別の機会は多く、
真裏の機会には満ち溢れている可能性がある。
私は正直に言って私の小説を売りたいという望みが薄い。
ネット上に公開してあるから、
皆好きな時に適当に読み流しといてくれ。
もしかして手元に置きたい人と触読者のために、
製本データ販売と点訳の準備進めて、
もしかして外国にも読みたい奴がいないとも限らないから、
英語訳と英語点字も今後検討しとくか、
といった状態で、
要る人間にだけ届く事を切に望んでいる。
そのためにこそ売れなければ、
広く世に知られなければならないものか疑問を抱き、
他に方法は無いものか模索しているのだが、
配偶者からは「無い」と断言されている。
「あるわけがない」
「誰が見ても明らか」
「話にならない」
とほとんど全力で呆れられ叱られている。
まぁおそらく「出る所に出ればコイツは売れるはずだ」
と信じてくれていて、だからこそ、
「なのになぜ打って出ない💢」
と腹が立ってもいるんだろうが、
「何ならとぅいったー(佐野○春風)俺がやるよ。
文言さえ考えてくれたら打ち込むだけだし」
って貴様その文言を考えるのがどんだけ神経を使うか、
ちょっとは考えてから言いさらせやぁ💢
「告知の文章だけでしょ全然難しくない」、
っておのれは覗いてすらおらんくせによぉ言うわぁ💢
それで何を根拠に「難しくない」とまで思い込めるぅ💢
しかし思い込んでいる人間に、
こちらの感覚を説得するのは極めて困難であり、
私の小説ももちろん、
要らない人間にはどう足掻いても要らんものだ。
そして私は「要らない人間」の存在も、
否定しないしもちろん腹も立たない。
生まれ育った環境にそれに伴う人生が異なるのだから、
価値観も異なって当然だ。致し方なかろう。
それでこそ私の側も他人が良しとする価値観に、
無自覚に服従する必要は無くなるわけだし。
と言うより配偶者がその一人で、
私の小説に文章一切読まない(読めない)。
おかげで配偶者の感覚に知識が入手できて、
創作面では大変に役立っているが、
編集・製本・営業面では孤軍奮闘だ。
遅々として成果が上がらんやろそりゃ。
とりあえず灰をかぶったボディバッグは、
ファスナーとかが壊れても直しつつ使い続けていたが、
いい加減で新調の時期かなと思った。
いいなと思ったら応援しよう!
