見出し画像

『虹の女神』第6話:草の海

 第1話(末尾に全6話のリンクあり)
(文字数:約2100文字)


第六話 草の海

「そいで結局」
 手に指先に当たり次第、勝樹しょうじゅはぶちぶちと、草を引きむしる。
「家も土地も、仕事も何もかもば放り出して、一家で夜逃げじゃ」
 車を横付けした石垣の、上に広がる土地は今、一面腰の高さくらいの草まみれだ。掻き分けて母屋や離れにたどり着けても、クモが巣を張りネズミが荒らし回っているだろう。
「何の覚悟のあった者か分かりゃせん。頑固者のごと芯の通っとる風に見せよってからに、やる事言う事は情けなか」
 石段を上り切った地点から、好子よしこはただ景色を見ている。石垣の上だけではなく、そこから見下ろせる分も。
「そいはだって、卵売りやろ?」
 草の内から振り向いて来る、くりんと丸い目は、日に焼けた四角い顔の内ではギョロリとして見える。
「卵はどいだけ安なったね」
 いつまでも続けられない仕事である事は、手伝いに入った時点で、心得ていたはずだ。
 舌打ちをして勝樹はまた、草に向かったが程無くして溜め息をついた。
「継いだ家ば見にも来ん。怖じ気付いてからに」
「そがんやった?」
「そがんやったて何か」
「私には……、お義母さんが行きたがらっさんけん、お義父さんの、気ば利かせたごと見えたけど」
「そがんわけのあるもんな。子供んうちから暮らしよった家とに」
「子供んうちから暮らしよった家、やけんやろ?」
 背を向けたまま振り向いて来ない理由なら、好子も嫁いでもう二十年以上は経った仲で心得ている。
「そいにこの家は……」
 そう口に出しかけてやめておいた。本当は勝樹にも分かっているものを、知らない事にしておきたいのかも知れないし、もしかして本当に知らずにいるなら、それはそれで構わない。
 同じ半島の、別の村で育った好子には分かるがこの家は、『むか』だ。
 村の一番外れに位置し、他所から来る旅人を、初めに迎え入れもてなす家、と外側だけをなぞればまだ聞こえが良い話だが、要は一番初めに襲わせて、旅人によっては断末魔の叫び声が響いているその間に、村の内側で迎え撃つ体勢を整える。
 江戸の終わり頃から徐々に廃れていった風習、とは言え役割を失えば尚更だ。そこで暮らした女に、そこで生まれた子供が、あたたかく村の内に迎えられたかどうか。
 旅人からの頂き物を納める離れに、申し訳程度の田畑。頂き物などは頂く度に村の共有資産として持ち去られる。どうにか食いつなぐために、おそらく初めのうちは蔑まれながら始めた仕事が、思いがけず上手く行き、村にも利益がもたらされるようになり、元が何であったかをこの村では、徐々に忘れていったか忘れるように努めていったのだろう。
 歴史には何も刻まれず、ただ草の海だけが残される。

 村を出てからは姉が、足繁く訪ねてくれるようになったのは、嬉しい誤算だった。
「旦那さんに、家の人達からは嫌がられよらんか?」
「ええぇ? 他所に越してった弟ば訪ねに行って何の悪かと?」
 悪びれない様子が勝樹には、頼もしく思えたのだろう。姉によくなついたし、姉の方でも下の子二人と共に可愛がってくれた。おかげで父親をどこか甘く見た長男に育ってしまったが、桂壽は構わない。大好きだったおじいちゃんは、いつまでも強い偉い人のままだ。
「虹の」
 隣から聞こえたが桂壽は、目を上げずにいた。
「ああ」
「出とらんよ」
 コロコロと、笑い声がしてようやく、笑みを乗せる。
「ずっと、おるとじゃ。目に映ってくれるとは、限らんだけで」
 車から降りた道を折れ、わざわざ草地を通り抜けて老夫婦は、村の墓地に向かう。
「お墓んそばで結婚したて言うたなら、なつみちゃんは『いやぁ、なんでぇ? おばあちゃんかわいそかぁ』て」
「そがん、あるやろな。オイ達も他所では聞いた事の無か」
「ゆきこちゃんは、しっかり腕ば組んでから、『面白か』て」
「変わった言い方ばする子じゃな。女の子とに」
「好子さんの『誰に似たとやろ』て、笑いよらしたけども」
「オイに、似たかな」
「そがん? 私は父ちゃんに似たごて思うた」
 血は繋がっていない、といった事は、この一家では長く口に出されていない。
 村全体が大きな一家のようなもので、老夫婦は墓地に立ち並ぶ、全てのお墓に線香を立てる。今土地にいる者達も同じらしく、隅に立つどれほど小さな墓の前にも、日頃から踏み固められた跡がある。
 新しい黒い墓石が日を受けて光る中、ひと抱えの岩を置いただけの、名前も刻まれていない古い墓がある。線香立ても無いので皆が、岩の足元に置き並べる。ツタから寄せられた手紙によれば、この墓は「村の御先祖様」と呼ばれている。
 どこに住んでいた、何という名の、どういった人であったかは忘れられても、この人がいなければ自分達は、今この世にはいないのだと。
 精神的というよりは、実質的な話だ。あの日の豚肉も、あの時のお金も、あの件で知り合えた人も無く、要らない命は棄てられていた。要らない命というものが、この世にはあるように思い込まされていたと。
 戦争を経て更に皆が、目を覚まして。

  
                                 了

いいなと思ったら応援しよう!

偏光
何かしら心に残りましたらお願いします。頂いたサポートは切実に、私と配偶者の生活費の足しになります!