今年春頃の問題提起3/3:現金礼賛
はじめましての人も、
前から知ってる方も、
ごきげんよう。
偏光です。
「10円以下は拾っちゃダメだよ。
拾う運動量の方が高いからね」
とプログラマー時代に、
理系の同僚から断言されたが、
承服しかねる。
(文字数:約900文字)
私は現金が大好きだ。
「毎朝無事に起きれたありがとう」の、
100円貯金に、
「豚肉を食せずにいられない」分の、
200円喜捨。
日々の買い物で発生する小銭を、
貯金箱に貯めて月に一度は、
銀行口座に入金して、
1000円に、
10000円にと、
単位がちょっとずつ上がっていく様が、
たまらなく好きだ!
「塵も積もれば山となるんだ」
と真顔で言った私に姉が、
「積もったって塵は塵じゃんw」
と笑ってきた事があったが、
「山になればそれは山なんだよ!」
と言い返して黙らせた。
姉との仲だけは悪くない。
何より現金は、
手にした時点で誰にでも使える。
手に入れる際にも使う際にも、
スマホやカードという、
個人の身分証明機能を、
一切通過する事無しにだ。
この利点を今一度、
皆が頭に心に刻み入れた方が良い。
キャッシュレスは所詮、
見た目がスマートなだけで、
貨幣価値感覚から逃れ切れてはいない。
そこを逃れ切れないまま、
キャッシュレスだけが行き届けば、
国家が生産性些少あるいは皆無、
と判断した者たちから、
データ処理上の金額を抜き取り、
国家に有益な、
生産性の高い人材にのみ、
データ処理上の金額を増やす事くらいは、
簡単にできる。
私は絶対にそうなると、
予言し警告したいわけではないが、
そうした事が平気で出来る奴も、
社会のためには致し方ないと判断する奴も、
わりと普通に、
しかも結構な人数、
いると思っている。
世の中が綺麗に整えられていて過ごしやすい、
という事は、
汚い物は自分たちが気付かないうちに、
自分たちの目に映らない場所に、
追いやられているだけだ、
と思っておいてほぼ間違いが無い。
その結果が第二次世界大戦時に、
競うように建てられていた収容所であり、
ベルリンに暮らしていた一般庶民は、
本当に誰一人何事も知らずに過ごしたのだと、
私は思っている。
満洲国に住んでいた大日本帝国人も然り。
真に恐ろしい話なんだが、
私がそこから目を逸らすつもりはない。
以上です。
ここまでを読んで下さり有難うございます。