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「末代までの祟り」という決まり文句

 先日公開した短編について。↓

 この作品こそ真剣に、
 自分一人の力で書き上げ切れた気がしない。

 なるべく直視しないように避けて通ってきた「乙吉」を、
 ヒトとして捉え切れてようやく、
 父親の声が乙吉の耳を通して聞こえ出し、
 乙吉本人が自らの心境を語り出したので、

 私としては自らの理想形である、
 「可能な限り過不足の無い文章」で、
 書き取るだけで良かった。

 とは言え「彼も人間だったのだから許してくれ」などとは、
 私の立場からは決して口にしてはならないと心得ている。


  「乙吉」という人物をどう理解したら良いものか、
  末裔の、しかも生物学的には女性として、
  長く困らされていたわけだ。

  初代が卵売りで築いた財産を元手に、
  金貸業を営んだ男。
  もちろん取り立ても行ったし、
  借金のカタに得た品を転売もした。

  その中には人もいる。

  ああ。女性に子供が主だ。

  卵売りだった初代から、
  捨て子の受け入れ先を探すためにも尽力したが、
  表裏一体の紙一重だ。


  恐ろしい事に集落中から笑顔と共に聞かされている、
  乙吉の評判ばかりがすこぶる良い。

  長身の美男子で洒落者で、
  山奥の農村にも関わらず、
  彼だけがインバネスコート、通称トンビを着て、
  小型のカメラを持ち歩いていた。

  大正時代の地方農村だぞ?

  一方で彼の妻子は、
  まるでその代償のように
  (何事に対するどの立場からの代償なのか、
  集落中の思念がない交ぜになって判別も付かない)、
  薄暗い噂話と、
  彼女らの存在自体を非難する視線にさらされ続けていた。
  7人姉妹の末娘に至るまで婿が得られなかったほどに。

  男子に生まれれば否応無く跡を継がされるはずだった私が、
  女子に生まれたために「呪われた者」と見なされたのも、
  ガッツリ根拠のある呪いであったし、
  むしろ女子に生まれて家を絶やせる事は、
  私にとっては救いだった。

  「末代までの祟り」という決まり文句は、
  言われる側の身として聞けば洒落にならない。

  とは言え同じ集落同じ一族内であっても、
  「呪い」の受け止め方に感じ方は個人個人で異なり、
  それは私に対する表情や態度にも現れた。

  ほとんど常に、
  明かりの有無ではなく薄暗い中、
  汚れたモノとして扱われ続けているからこそ、
  「まともな取り扱い」に、
  「ヒトに対する眼差し」に出会った時は、
  それははっきりと分かるものだ。

  これがまた、
  呪いを信じなければ優しいわけでも、
  信じているから冷淡なわけでもない。

  故に私は思う。
  人間力とは個人に属するものだ。
  集団としての結束は、
  わりと容易く畜生道に堕ちる。

  これまで随所で語ってきた私の不遇も、
  当然ではないか、
  末裔として罪を償うべきだと、
  感じられた方には申し訳ないが、

  その感覚を確かなものとするならば、
  幸せになって良い人間など、
  この国には今や一人もいないだろう。

  もちろんだが私は逆説を主張したい。

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偏光
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