今後の身の振り方を考える
出来た子は無条件で、間違い無く、良い者だ。
と昨日の記事に書き並べた一文が、
存外に重いものだった事に気付いたのでまとめてみる。
(文字数:約1000文字)
生まれた時点で一族から、
「呪いを浴びた悪魔の子」と断言され、
両親からも「失敗作だ」と、
「生まれて来なければ良かったのに」と、
笑顔と共に嘆かれ続けた私が、
冒頭の一文を言い切るまでには、
軽度だが深刻な統合失調症を発症してから、
実に三十年以上の歳月と、
まさしく狂ったように書き連ねた、
トータルで200万文字超えの小説群を、
必要としたわけだ。
振り返れば私の小説にはほぼ確実に、
「当たり前のように虐げられた子供」が登場する。
周りからも、時には当人すらも気付かないまま、
身体ばかりは成長し大人になっていたりもするが。
今現在子の養育に苦しんでいる人や、
子を諸々の形で手放した人を、
責めるつもりは毛頭無い。
しかしながら、
子の養育を苦しいものに思わせ、
子を手放さざるを得ないまでに追い詰める、
「世に有用な人材たれ」という、
圧力を伴う感覚は、
どうにか打破したい。
今の時点で明言しておきたいのだが、
私はそこに性差は設けない。
分かりやすい構造区分のようでいて、
実態など表していないからだ。
私の小説は読まれなければならない。
もちろんこれまでの全てとは思っていないが。
冒頭の一文に、
誰もがわだかまりなく頷ける社会であったならば、
私の小説群は必要無いどころか、
そもそも創り出されてもいない。
私はそうした社会をこそ望むので、
今後新しい小説を創り出すにしても、
これまでの作品がある程度、
読み知られてからの方が良い。
とりあえず大阪はOMMビルで開催される、
9月10日の文学フリマと、
9月30日のライトハウス展には、
顔を出して機会があれば名刺を配りまくりますよ。
(エントリーは期限が過ぎていて出来ませず。)
それと私はガチで点字を普及させたい。
晴眼者にも習得を検討するだけの、
メリットは充分にあると思っているんだ。
私の小説はネット公開時はともかく、
データ販売時には必ず、
点訳版と同時に並べます。
と言うよりデータ販売においては、
点訳版同時販売が、
違和感無く選択可能になってもらいたい。
今のところボランティア関係者からすら、
無理でしょうと苦笑されているが、
先は分からん。
以上
ここまでを読んで下さり有難うございます。