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福祉に生きるつもりはない

 それこそが一般であれ。


 目が見えない人に色を伝えたい。
 マンガも読めてもらいたいし、
 映画も楽しめてもらいたいんだが、
 絵画や工芸といったものに触れ切れてもらいたい。

 同様に、

 耳が聞こえない人に音楽を楽しめてもらいたい。
 「沈黙」や「間」にも効果があって、
 「空気」を読む事も難しくなる状況に対して、
 空気が読める事を求める社会は割と酷だと把握しておいて良い。

 周りが好きなマンガや楽曲で盛り上がっている間の、
 理解し切れない切ないタイムラグを可能な限り減らしたい。

 理解できないだろうと伝える側が勝手に諦めたり、
 理解できない事を軽んじる取り扱いだけはしたくない。
 健常者(って言い方も本当は好きじゃないが)でも、
 生活環境によっては日常的に起こっている事だからだ。

 色覚に異常がある配偶者は、
 私と同じ感覚で美術を楽しめはしない。
 その分工芸品への感性は私以上に鋭いけれども。

 マンガ作品の点字化を試みてもいるけれど、
 そもそもマンガ表現が理解できない人は、
 健常者でも年配の方に多くて校正が難しい。

 「マンガを読むのが苦痛」な人も割といる。

 私は小説を書くのが大好きなんだが、
 紙媒体の場合は文字組・段落・改ページにこだわりまくりたいが、
 難読症や知的障害の人向けに配慮する方法が分かれば、
 そのために全面的に書き直す事を考えてもいい。

 読める人はなるべくそのままで読んでくれ。頼む。

 それ以前にそもそも大抵の文庫本や雑誌の文字、
 老眼入った人には小さ過ぎるだろ。
 なんで「もう年だなぁ」って、
 溜め息つかせて諦めさせるだけで放置し続けてきた?
 (↑紙自体が貴重だからだ。そこは理解する)

 一方で電子書籍を扱いづらい人もいる。
 前から感じている事なんだが、
 点字がもっと一般にも、
 普及したって構わないんじゃないだろうか?

 目が疲れないぞ。
 視神経に負担を掛け過ぎないぞ。
 習得するまでは脳のどっかが疲れるけども。
 あと指先にも老眼があるらしいから、
 習得するにも若い方がいいらしいけども。

 なんで小説を書く事が好きでいたかって、
 私本体が周囲の人間や社会に働きかける事は不可能だと、
 私本体は目に入れる事も同じ空気を吸う事も望まれないゴミだと、
 生育環境において諦めさせられ続けていたからでもある。

 名刺できたら私が所属するボランティア団体を支援してきた、
 ××社にもその中の知人からどうにか話を持って行く。
 (↑めちゃでかいから近付けるとも考えていなかった。
   知人がいたってその人にすら話聞いてもらえると思えてない。
   知人の知人には講評もらえたけど反応渋かったし。)

 私がただ「趣味で小説書いてて出版してみたいだけの人」にしか、
 思われて来なかったからでもあるな。
 ぶっちゃけ私が売れなくても構わねぇんだ。
 (金銭的生活的にはそりゃ売れたほうが嬉しいけども。)

 根源的な膠着状態を打破しないかと申し上げたい。
 普及させようと思えば出来るはずだぞ。

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偏光
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