聖書読書記録(43週目301日間)
2023年10月29日~11月4日
ローマの信徒への手紙8−1〜16−27
コリントの信徒への手紙(一)1−1〜13−13
巻末地図「パウロのローマへの旅」、
巻末資料「旧約聖書からの引用箇所一覧」中の、
「ローマの信徒への手紙」部分も見比べながら。
内容:
アポロさん出てきた。
「コリントの信徒への手紙(一)」内で。
ローマの信徒への手紙では、
キリスト教的生活の理想的な規範を説いて、
末尾の個人的な挨拶が結構長い。
コリントの信徒への手紙では、
コリントの教会内部が、
アポロ派とパウロ派に分かれて、
言い争っているのを諌めていて、
途中の「愛の讃歌」はまぁ有名。
あちこちの文学作品に引用されまくり。
ざっくり感想(実にざっくり):
あなたがたを迫害する者のために祝福を祈りなさい。
祝福を祈るのであって、呪ってはなりません。
「これは確かにその通りだな」
と配偶者に向けて話してみて、
「そう?」
と配偶者からはだいぶ苦い顔をされた。
「実際のところ、
迫害する者が自分の幸せを自覚していれば、
私を迫害する事はなかっただろうからさ。
人生に何かしらの不満が存在しているから、
誰かを迫害するんだろ?」
「いや。
単なるレジャーだよ。
少なくとも俺が昔いじめられていた間、
連中はただ楽しんでいるだけだと理解した。
あなたが受けた迫害よりもタチが悪い」
「それも、込みでだ。
そいつらが真に幸せであったならば、
そんなもんをレジャーには感じないはずなんだ。
本気で人生楽しめてんだったら、
他人いじめて楽しく思ってる暇なんかあるか。
しかしこのような考えに至れるのは、
相当に苦しめられたその後にようやくであり、
本気で祝福を祈れるならばそいつは、
すでに人間ではないレベルまで悟れているがな」
「そうだよね。人にはとてもムリだ」
配偶者はどうも納得できない感じだったが、
キリスト教信者の皆さんは、
さて如何に感じました?
と言うか如何ほどにか感じられました?
そしてこちらがいわゆる「愛の讃歌」部分。↓
(……)たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。(略)
愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。
愛は決して滅びない。預言は廃れ、異言はやみ、知識は廃れよう。わたしたちの知識は一部分、預言も一部分だから。完全なものが来たときには、部分的なものは廃れよう。(略)信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。
とは言え「愛」という一語は、
現在においては、人によって随分と、
独り歩きするようになってしまったと思うんだ。
これは愛だ、とさえ言っておけば、
何だって許されて然るべきみたいに、
思っていてむしろ思い上がった連中が、
どうにも多すぎる感覚がひしひしとある。
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