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両刃の剣

  タロットでは風星座であり「言葉」の意象。

  今朝のNHKニュース7にて、
  「子供に影響を与える言葉の暴力」的な内容を見たので、
  あくまでも個人的な感慨を述べる。



「失敗作」が大前提

  親から「生まれた時点で失敗作」と言われて、
  それが大前提として育てられてきたもので、
  何をしても誉められないばかりか、
  私がやったとも認識されず、

  出来ていれば姉だと思われ、
  姉がやってないと分かれば「妖精さん?」で片づけられ、
  出来ていない時だけ出来ていない所のみを、
  「お前は何をやらせてもダメだ」と
  「生まれた事自体が間違いだ」と
  「一生上手くいかないし良い事なんか起きない」と、

  心の底から愛情を持って切々と心配されてきたので、
  それは近所の人も両親に同情して、
  「きっとおかしなところがある」と思いながら私を見るし、
  「見つけた!」と思う度に喜んで改めるように諭すわけだ。

  断言させて頂きたいのだが、
  そこに愛があれば良いわけでは決してない

  思い込みで心配する前に現実を見ろ。


そもそも言葉は「両刃の剣」であるという事実

  とは言え「こうした言葉がよくない」と、
  文言のみを狩る動きになっては有り難くない。

  問題はその子本人を見ているか、であり、
  現実にその子に対して、
  日頃どういった感情や価値観を抱いているかだ。

  感情が良かろうと価値観が悪けりゃヤバい。
  価値観が良かろうと言葉が悪けりゃヤバい。
  言葉が良かろうと感情が悪けりゃヤバい。

  言葉は両義を映すものだ。

  全く同一の言葉を放っても、
  放った人物の魂を宿して全く異なる響きに聞こえるものだ。

  「人によって態度を変えるなんて嫌な人間だ」とか
  「失敗作のくせに自分を良く見せようとする嫌な人間だ」
  などと嘆かれ続けてもきたが、
  それは変わるに決まっている。
  相手によって受け取る響きはまるで異なるからだ。

  あと「失敗作」として見ているからそう見えるんだろう。
  まず親としてその大前提を外せ。
  自らの「成功」「失敗」の基準を問い直せ。


兄弟間での比較

  ここを今少し深掘りして考えてみたいのだが、
  自分たち姉妹のみならず、
  親戚の家などを観察するうちに気づいた事だが。

  同じ家屋の中に似たような人物は二人もいらないわけだ。

  兄弟たちはほぼ無意識的に、
  自らのキャラクターを作り上げ、
  家の中での役割分担に住み分けを図る。

  「兄弟同士でも性格はまるで違うの」
  と思われている方に是非言いたい。
  当然だ。

  「お兄ちゃんはあんなに出来るのに、
   弟はどうして出来ないのかしら」
  お兄ちゃんと同じ事が出来る、
  あるいはお兄ちゃんを超える意味など無いからだ。

  お兄ちゃんが出来ないorやらない事に、
  長けている可能性が十分にある。
  気付いてやれ。

  あと長子と第二子以降に、
  掛けている時間は圧倒的に異なる事を、
  認識しておいた方がいい。
  たとえ「平等に接している」
  「平等に接するよう心掛けている」と、
  自負を持っていたとしてもだ。

  それは貴方の自負を揺るがす事でもない。
  単純に時間差があるというだけの話だ。
  良い対応であれ悪い対応であれ、
  子育て未経験状態の両親と長く接している。

  第二子以降はすでに経験者だ。
  この差を甘く見てはならない。
  経験は強みにもなるが感覚を鈍らせもする。
  もはや別人が育てたと言っても過言ではないくらいだ。

  人によって状況によって、
  可能かどうかには大きく差が出来るだろうが、
  祖父母や第三者の存在が、
  わりと身近にあると望ましい。

  彼らは両親と異なる価値観を持って接してくれるし、
  長子と第二子以降とで見え方は大きく異ならないからだ。
  (ただし両親や地域が頑強にその差分を訴える場合は別)


まとめ

  私は文章好きだが言葉を単体で信じてなどいない。
  感情よりも可能であれば現実を見つめよう。
  問題が生じるならば自らの価値観を問い直せ。
  以上。

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