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『張山光希は頭が悪い』補稿:繋いでいく者、残る者

第1話(末尾に全28話分のリンクあり)
(文字数:約5000文字)


補稿 繋いでいく者、残る者

 御詠歌部の部室中央に置かれたそっけないテーブルに頭を落として、彼塚花七は落ち込んでいた。
「学校にも、来なくなってそのまま……、退学しましたってどういうこと?」
「こんな物ここに置いてった時点で」
 中橋はテーブルの上の扇を取り上げて、一折りずつ開いている。
「そりゃ相当に覚悟は決めたよなって、思ってたけどね」
「『表面上仲が良い』だけにキツイよな。無かった事みたいに扱われんのは」
 飯田も隣から覗いたが、彩色といい金銀の箔押しといい、一般の高校生が常に持ち歩くような代物じゃない。
「カナカナ何気に小石川、ガチで好きだったんでしょ」
 女子部員、と言うより彼塚の以前からの友人たちは、結構ざっくりと突き刺している。
「なんで付き合っとかなかったのよ。前々から悩みとか聞き出せて、家出だって止め切れたかもしれないのに」
「そこはだってぇ……、好きだけじゃ、乗り越え切れない事が色々とぉ……」
「好きだけじゃ、乗り越え切れない事って何?」
「そんなもの本当に存在するの?」
 それは家とか親とか親の秘密とか、と彼塚はまだふくれ気味に思っていたが、頭のどこかで繰り返してみると果たしてそれらは真実に、乗り越え切れないほどの困難だったかどうか。
 とは言え実は父親の側からたどれば、小石川薫とは相当に近い位置にいるのだが、彼女はまだその事を知らない。
 ところで小石川薫は名前を把握していなかったが、一年男子は時田ときたと言って、中橋に近寄って手渡してもらった扇をしばらく眺めていたが、やがて丁寧に閉じてテーブルの、元の位置に置き戻した。
「僕、辞めませんよ。多分、一年は三人とも」
 女子二人は互いに顔を見合わせたものの、時田を見上げて確認するように頷き合った。
「僕たちが辞めて、御詠歌部もなくなったら、小石川さんの記録はどこにも残らなくなっちゃうから」
「俺たちも別に辞める気までは無いってか」
 飯田と中橋は次に先日の大会パンフレットをめくっている。
「何気に他の出場者とかも見てたけど、御詠歌まだまだ奥が深そうだし」
「『秘曲』とかあるって言うし、『秘曲の中の秘曲』とか、何それ」
 一年の教室内では別グループで、去年の大会動画を見せられなかったら、接点も無かった二人だろうけれど、
「鈴とかもワケの分からない動きしてたし」
「あれ姿勢とかちゃんとしてガチっと決めればカッケー」
 今や小石川抜きでも御詠歌に、ポイントを押さえてハマり込んでいる。
「それで、部長はどっちがやってくれるの?」
「え」
 と二人揃って彼塚を振り向いてきた。
「カナツカがやればよくね?」
 声に言葉まで揃って向けられて、彼塚は戸惑い気味の顔を赤らめたが、
「それは……、ちょっと私、女子だし……、みんなをまとめる自信とか無いっていうか……」
「いや出来る出来る出来る」
 他の部員全員の声が重なって、
「と言うより山頂までの移動に集団行動、実質的に副部長が仕切ってたじゃないですか。それでどうして出来ないみたいに思い込めるんですか?」
 時田からも呆れ気味にやり込められていた。

 夏休みの間を小石川の家で暮らしてみる事にした、張山光希が、まず頼まれたのは毎朝目を覚ます度に、家を囲う板塀に絡み付いたツタが咲かせる、赤とオレンジの中間みたいな色合いの花から、ほんのちょっとでもしおれたり弱ったりした分を摘み取る事だった。
 初めのうちは、まだキレイなものを摘むのがかわいそうに思えていたけれど、結果としてその方が、ツタ全体は丈夫になり残した花は長持ちする。集団で生きる事を定められた者には、確かに必要な工程だった。
 自由、という一語がどこか遠くの見知らぬ国の、おとぎ話の財宝のように思える土地だ。この世には実在しないものだと、微笑んで諦める態度こそ良しとされる。
 出荷前の花の選別には、光希はまだ手を出させてもらえていない。やはり見た目だけでは判じ切れない部分があって、今にも咲きそうな花がまだ数日後だったり、まだ硬いツボミが即日だったりする。薫の父親は出荷先での評判や、咲いた花がそれぞれに何と呼ばれているかを、聞き覚えて書面にまとめて残していた。山の上の集落全体に知らせるのは考えものだが、他所から移り住んでくる、元から花に詳しい者がいれば役立つだろうと考えて。
 出荷用のトラックの助手席に乗り込んで、小石川の家の最寄り駅の、次の駅を通り過ぎた辺りから薫の父親と二人揃って溜め息をつき、
 四輪車がすれ違える道幅になった辺りで、二人揃って小声だが、クスクス笑い出してしまう。
「お義父さんは、元は他所の人だったんですよね。どうして住み着こうって思ったんですか?」
「前に薫にも話したんだが、出来る、という事は、自分にしか出来ない、という事だと、悟って腹をくくったんだ」
「ああ。はい。分かります」
 その辺りは実の親子よりも、他所から来た者同士の方が通じ合う。
「ああ。ごめんなさい。道の駅に寄らせてもらってもいいですか?」
「ん。ああ。良いとも」
 車は橋を渡って幹線道路からは外れる道に入った。

 実を言えば出荷の度に道の駅に寄るわけではなく、薫をふもとまで送る日くらいだったのだが、身に習慣的な馴染みがあって薫の父親はアイスも買った。
 そして光希が選んだコーン入りのダブルに、ちょっとだけ、とがめだてるほどではないけれども、薫だったら金額は良いとして、一応は仕事中である事を察して控えめにしてくれたんだが、くらいには思った。
「それは、何かな」
「チョコレートとピスタチオです!」
「ぴす、たちお?」
「食べた事無いですか? 美味しいですよ!」
 緑色の外見から薫の父親は抹茶くらいに思っていた。
「それは、どういった食べ物なのかな」
「豆です!」
「豆? が、アイスに? なるのか?」
「あの、一度食べてみた方がいいと思います」
 差し出されても薫の父親は、人が選んだ物を一口もらう事が、潔くない行為に思えて高校生の頃から苦手なのだが、思いっきり純粋に差し出して来るので、あと実際にかなり興味を惹かれていたので、
「失礼」
 と一口もらって味わって、
「うん。うまいな」
「ですよね」
 と満面の笑顔を返された。
「何と表現したらいいか分からない、捉えどころが無いような味だが、うまい事は確かだ」
「ごま豆腐みたいな感じです!」
「いや、ごま豆腐は……」
 違うだろう、と苦笑しかけて心づく。
「そうか。豆か」
「です」
 ようやくベンチに並んで座って、薫の父親が小さなスプーンでちびちび食べ進めるカップのシングルと、ほとんど同じタイミングで、コーンのダブルもなくなった。
「ピスタチオとチョコレートの組み合わせって、僕大好きなんです! 薫はバニラとかストロベリーとか、ふわふわしたかわいい感じのお菓子が好きなくせに、『チョコレート好きとか女子か』なんて言ってくるんですよ。いや男だってチョコレート好き絶対いるし。有名なチョコレート屋さんとか男だし」
 そして山の上で求められる静けさの反動みたいにしゃべり倒してくる。
「色々と、まだ慣れなくて大変だろう」
「心配してたよりは平気です! 薫もやってた事だって、思ったら楽しいし!」
 その声量がまだまだ山の上では、周囲を驚かせまくっているのだが。

 初めて小石川の家を訪れた日には、
「すごく響きそうだった」
 と玄関から延びる長い廊下に向かって御詠歌を唱え出すし、奥の座敷に通されるなり、
「紫さん!」
 とこの部屋では特に要らないとされている言葉を放った事は、まだ初日で仕方がないとして、微笑みを浮かべながら鎮座している紫に向かって満面の笑顔で突き進み、抱きつこうとするのを止めなくてはならなかったし、
 一人分ずつ分けて並べられたお膳を、自分で運んで紫と向かい合う場所にまで持って行って、それで何もおかしくない当然のようにニコニコしているし、給事に来てくれた地域の女性にまで、
「ありがとう!」
 と口にして、
「私どもにまで声をかけて頂かなくても」
 と恐縮し切った小声で返されても、
「だって、この家で誰よりも尊いのは、紫さんだけですよね?」
 と純粋に首を傾けている。
「僕は、皆さんと同じで全然えらくも何ともない、ヒトなんだから、やってもらった事にはお礼を言わなきゃ」
「薫さんは、これまで何にも話して下さらなかったんですか?」
 と言われた時だけずいぶんと、顔を赤くして、
「薫は、悪くないじゃない! 話されてたってどのくらいが良いかとか、やってみなきゃ分からないじゃない!」
 相当に腹を立てた様子だったけれど、如何せんこの集落では、紫を決して悪くは言えない分を、出て行った者たちに押し付ける風が、結構根強く残っている。
「うん。分かった。その方が、みんなは楽になるんだね」
 そう言って笑ってみせてからは、突飛な言動は少しずつ収まってきた。
 これが薫の母親に言わせると、紫の方こそぞっこんに惚れ込んでいるようで、二人で軽自動車に乗り込んで集落が見えなくなるとすぐ、
「返事がっ……、返るのよ!」
 と後部座席で真っ赤になって動きが騒がしくなるらしい。
「まだっ……、弱いし方向も定まっていないんだけど……、一方的に聞こえてくるわけでも舞で伝わったわけでもなくて、明らかに、『声』で『会話』が成り立ってるのよ!」
 それは薫の母親にも経験が無くて何の助言もしようがないらしいが。
「何なのあの人、『鬼』でもないのに。私っ……、とんでもない相手選んじゃったんじゃないの?」
 早く鬼神楽の日が来て欲しい、とまで口走ったそうだ。と言うのも、世間的な常識や理念は別として、ふもとにも表立って知られていない事だが、鬼を継いだ翌年の鬼神楽で、山の上に帰った鬼は自ら選んだヒトと、結ばれる、事になっているので。
 父親としては複雑だが、本人が、望みもしない相手よりは遥かにマシだ。

「今君が感じて考えているよりも、一気に多くを変えて行く事は難しいんだ」
 薫の父親の言葉に光希は、首を傾けて、
「歯痒いようだが少しずつ、進めていくしかない。しかし、それでいいと思っている。何かしらの『正解』が固められて、後はそこからほんの少しでも、外れないように守るだけ、になってしまう方が、俺には最も恐ろしい」
「はい! 僕も、そう思います!」
 全力の笑顔と声量で返したので、義父からは微笑みながらもちょっと溜め息をつかれたが、もちろん今はふもとの道の駅にいるからだ。
「アイスのカップ、捨ててきます。僕コーンだったから手を洗ってくるので」
「ああ。頼む」
 トイレのそばに並んだゴミ箱に捨てて、その軒下から振り返ったら、自分たちが住んでいる山の全体が、日が昇って晴れ出した青空の中に、稜線もくっきりとそびえ立って見える。
 満面の笑顔の内側で、光希は人知れず怒りを燃やしていた。と言っても、その怒りは鬼神楽の心持ちと、そう遠く離れたものでもなかったが。
 母親の愛情には敵わない、なんて、一体どこの誰が言い始めて、広げまくった信仰なんだ。
 身体は遠く離れた今だって、僕は、薫を抱き締めている気持ちでいるし、薫からも抱き締め返されている気持ちでいる。
 それどころか薫だけじゃなくて、もっとたくさんの人を抱き締めたい。祀られ始めた頃の神様だって、鬼に変わってしまった神様だって、壊れて土の下深くに封じ込められた人たちだって、それをみんなが楽になるんだからって、本当は、辛いくせに悲しいくせに自分たちの、大事な気持ちにフタをしてきた人たちだって、今からでもみんなを抱き締めてあげられるつもりでいる。
 男だって「愛してる」って、当たり前みたいに思って言葉にして、声に出したって構わないんだ。それを「普通じゃない」って笑われるんだったら、
 そんな普通は必要無い。
 駐車場の軽トラックで薫の父親と合流して、助手席に乗り込んで、今日はふもとの家に送ってもらうわけじゃなく、このまま出荷を手伝いに行く。
 届けた先で咲き誇る花を見られるのは、山の上では街まで出荷に行く者だけの特権だ。これからも手放すつもりはない。

                                了

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