狂言『月見座頭』
能や歌舞伎よりもどちらかと言えば、
狂言や人形浄瑠璃が好きです。
比較の問題で僅差ですけれども、
どうやら私の場合は、
人形を通したり喜劇仕立てであったりして、
生々しい現実からは一枚、
フィルターをかぶせてある方がしっくりくるようで、
生々しさリアルさこそ良しとする人も、
もちろんいるでしょうから、
否定はしませんし出来ません。
能も嫌いでは無いですから。
(正直寝てしまうけど。)
先日NHKで放映されていた狂言、
『月見座頭』を観たのですが、
目の見えない座頭と、
目が見える男が、
一晩酒を呑んでは舞い謡い、
楽しく過ごしたのにも関わらず、
終盤で目が見える男が豹変する。
どうしてこんな事になるの?
こんな話のどこで笑えるの?
と初見の人を驚かせたり、
不快にさせたりもする演目なんですが、
大蔵流狂言では大事にされているそうですし、
私豹変する男の気持ち、
なんだか分かっちゃったんですよねぇ。
共感はしませんけど。
全く同じ行動は取らないと思いますけど。
「座頭の奴めを突き転ばしてやった」とでも、
家に帰って表向きしゃべれなければ、
「本当は楽しく過ごしたんだけどね」と言う、
裏側の本音すら存在できなくなる。
愚かですけれども、
これ皆さん気付かないうちにやっておられますよ?
自分の毎日の暮らしを守るために、
自分本来の心を殺して、
日頃下の立場にいると思われている者を、
見下して振る舞う事は。
だからこそ、
突き飛ばした側の者が本来なら目の当たりに出来ない、
一人哀しむ座頭の様子で終わる。
あの男に代わって申し訳無く思える機会を、
頂ける事が有り難い演目です。
自分では現実にはおそらく、
気付けもしていないから。
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