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怨み晴らさでおくべきか

 映画『デトロイト・メタル・シティ』の、
 クラウザー様がキモカッコカワイイ以上は、
 私ごときの存在は余裕で許されるものと信じる。

 どうも。偏光(元表人格)です。


 いやさー。
 ここ一年間わりかし毎日のように、
 「生まれて来て良かった良かった」とか
 「ありがとう。良い子良い子」とか、
 気を付けて言い聞かせてやってんのに、
 どうも主人格にまで染み込んでくれない
 感じがするんだわ。

 で、
 正直に言って苦言を呈するんだけどもよ。

 「自分と向き合わなければ
  トラウマは本当の意味では解消できませんよ」とか、
 適当にまとめてくれた文章を
 あちこちで見かけたりするんだが、
 が、

 実感を言わせてもらうと、
 「向き合おうにも自分本来なんざ、
  とっくの昔に壊れ尽くしてすでに存在してねぇ」場合に、
 一体どうすりゃ良いんだよって話なんだ。

 地獄当時を思い出しただけでも主人格は、
 スタンリー・キューブリック監督作品
 『時計仕掛けのオレンジ』で、
 鼻歌の「雨に唄えば」を耳にした爺ちゃんのように、
 白目剥いて震え出し吐き気を訴えるからな。
 (注意:両方とも観た事が無い方は絶対に
     映画『雨に唄えば』から先に観て下さい。
     私はもう震えずにはあの主題曲を聴けません。)

 コイツはもう当時を思い出させない方が、
 まだいくらかマシってヤツじゃね?


 しかし後世のために、
 二点ほど書き残しておきたい事がある。

 まず私が小学校低学年だった事は大変に運が良かった。
 それであっても下校中に、
 路上でパンツはがされたりしてたからな。
 年齢が上がっていたら性犯罪に遭った上、
 それすらも私が悪い事にされて顧みられなかった。

 次に強調しておきたいのは、
 その地域だけが何も「異常」ではなかった事だ。

 一人一人と付き合えたなら良い人もいたし、
 大概の人が我が子や家族には優しかった。
 私とて親だけなら地域だけなら、
 新興宗教団体の教会だけなら耐えられただろうさ。

 あの親に、
 あの地域に、
 あの教会の組み合わせが、
 極悪。

 腹の底では互いを軽蔑し合って嫌ってるくせに、
 表面上は仲良くしてなきゃならないストレスから、
 小学校低学年の女子児童一人を
 「真人間に生き直させる」目的に邁進する事で、
 目を背けていやがったんだ。

 「神様が貴方を呪って下さっているんです」
 って大人たちから笑顔で言い切られる恐怖を、
 今一瞬でも想像してみろ。

 嫌いなんだから互いの実情なんか見やしねぇから、
 ただ私の「治らなさ具合」を嘆き続け、
 私一人に全ての責任を押し付けやがる。
 現実なんぞ誰の目にも映っていない。


 まとめると人生ってヤツは、
 ただ単純に縁が築き上げるものだ。
 縁はいつまでも続くものじゃないし、
 巻き込まれた奴が悪いわけじゃない。

 繰り返すが、
 その場所に偶然身を置いてしまった
 運の悪さは確かに存在するけれども、
 ソイツ本人が悪いわけじゃない。

 前世からの悪業、
 だとか戯けた結論付けでごまかすな。
 現世にはどこまでもただ現実が存在するだけだ。


 幸いにして毎日いじめられる学校よりも、
 母親の機嫌が悪い日曜日の方がよっぽど怖かったので、
 学校には通い続けたから学力は維持できた。

 「人は誰一人見ていなくても、
  お天道様はきっと見ていてくれる」
 と根拠は分からんが自分に言い聞かせ続ける
 根性はあったし図太かった。

 並みの神経なら10歳以前に死んでた。

 ってか大抵の幼くして死んだ奴に、
 精神的に壊れた奴は、
 きっと似たような状況にいた。

 生き延び切れた身としては供養を続けるしかない。

以上
ここまでを読んで下さり有難うございます。

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