【小説】『一個人Mix Law』5/8
西暦で2300年頃をイメージしています。
現在のドイツでもニッポンでもないつもりです。
未読の方はまずこちらから↓
(8回中5回目:約2500文字)
5 愛玩
脳疾患がある、と入力したのが虚偽ではないと、毎日世界中の情報を収集解析した上で、僕の国が判断してくれたのには、理由があって、
シュテファンは月に一度、二、三日から長くて一週間近く、ほとんど身動きが出来なくなってしまう。
何も話さないし何の反応も無い。パッチリ開いていてもとび色の瞳には光が映らず、どこを見ているのか分からない。初めて見た時には驚いて、このまま元に戻らなかったらどうしようって、すごく、怖くなったけど、
消えてしまった。
そしたらもう開き直って、今分からない事を気にしていても仕方ないなって、ベッドから起こして顔を拭いてあげて、亜麻色の髪を丁寧に傷めないように梳いてあげる。
「……あ。……あ。あ」
トイレの合図には最初から気付いた。扉を開けて中まで運び入れてあげると、「あ」って少し手を振って、時間はかかるけど自分でやろうとしてそこは僕には面白かった。
口元まで運んであげると、ごはんは食べてくれる。飲み物はストローを使って容器ごと口に運ぶ。用意した分は大抵食べ切ってくれて、「おいしかった」って言いたいみたいにちょっとだけ、微笑んでくれる、みたいに見える。
胸に大きなリボンが付いた、ふわふわしたワンピースを着せて、腕を持ち上げたら袖に通すくらいは出来るみたいだ。天気の良い日にはミルク色の頬が日に焼けないように、ツバの広い帽子をかぶせて、車イスに乗せて散歩に出る。
近所の奥さん達が声をかけてくれて、心配もしてくれる。普段から外を出歩いていると、美人だって気に留められて誉められてもいるから、そばに立つ僕もみすぼらしい様子でいるわけにはちょっといかない。
「最近そちらのお父さん、見かけないけどどうかしたの?」
「ああ、父ですか? この子を連れて帰った日に、出て行ってしまいましたっ」
我ながら明るい口調で話しているとなんだか呆れられた。
「そりゃ気を遣うでしょお父さんは」
「出て行ってそれからどこに?」
「父は他に家を持っていますから」
突然死んでしまったから僕の国が回収しただろうけど。
「君達が他所に移るべきだったんじゃないのか?」
隣の旦那さんは見た目上父と同じ年代で、僕にはちょっと、手厳しい。
「あそこは僕が買った、僕名義の家ですよ?」
「え。そうだったの?」
「はい。父の方が押し掛けて来て住み着いたんですよ。そりゃ父なんで堂々と、僕に諸々の用事も頼めるし。だけどね」
女性にしか見えないだろうから、外での呼び方は工夫する。
「ステファニーを可愛く思ってくれないんだったら、僕だって口をきく気にもなれませんから」
口どころか頭全体が、無くなったしね。
夕飯も同じ調子で食べさせて、その後はお風呂に入れてあげる。シュテファンはだから男性だって、僕にははっきり分かっているけど、「家族」でしかも「妻」なんだから、自分で動けない間はこのくらい普通だよねって、洗った身体を拭いてあげてナイトガウンを着せてあげて、洗った髪を乾かしてあげている。
大きな可愛い、手間の掛かるお人形さんだって、僕はなんだかすごく楽しい、だけじゃない事は分かっている。
デバイスが無いからだ。もしシュテファンにもデバイスを着けていたら、シュテファンに最適な処置を教えてもらえてその通りに行動していただけで、それで大丈夫、問題は無いって僕は、他に何にも思わなかったはずだ。
シュテファンには今何を食べさせれば良いのかな、とか、髪を梳く力加減はこれで大丈夫かな、とか、とび色の瞳をじっと見詰めたりして僕の方は色々話しかけながら、何か言葉を返してくれないかなって本当は、ずっとずっと思っている。
だから、ほんのちょっと微笑んだみたいに見えるだけで、僕は、すごく嬉しい。
脳疾患があったって、装着している人はいる、適切な対処も分かるし助かっているって体験談と一緒に、「デバイスの装着を推奨」の通知は実は、毎日一通必ず送られて来るんだけど、そういうのも否定はしないし出来ないけど、
この嬉しさが無かったら僕は、他の人ならそんな事無くてもきっと僕は、シュテファンを、今よりちっとも大事にしていない。
そして夜が更けると実は、お楽しみがあって、
「うわあ」
昼間動けなくなっている数日の間、シュテファンの身体からは夜が来る度に、「悪魔」が抜け出す。
部屋の天井いっぱいにまで巻き上がった、黒いもやを見る度に僕は、あの時の父の、はじけ飛んだ頭が目に浮かんで、今からどこか誰かの頭もああなるんだって、
ものすごく全身からゾクゾクする。
僕も、連れて行ってまた近くで、アレを見たいって、シュテファンの足元にひざまずいてほとんど哀願するみたいに、祈っているんだけど、「悪魔」はそんな願い無視する、と言うより全く気付きもしないみたいに、部屋からはいなくなって、
立ち上がって車イスに座ったままのシュテファンの、のけぞらせた白い首を支えて前を向かせたら、声は出ないままとび色の瞳から涙を流していて、それを見ただけで胸が痛くなったけど、
消えてしまった。
このまま「悪魔」が戻らなかったら、シュテファンが動かないままになったらどうしようって、怖くなったってその怖さもどうせ、消えてしまうんだから、
仕方がないなってシュテファンの、涙を拭いてあげて、父のベッドなんか処分して新しく買い揃えたベッドに寝かせて、
「おやすみ」
って囁きかけたら目を閉じてくれて、寝入ってしまうまでを見届けている間に僕も、うたた寝しそうになるけど、さすがに毎日は健康に影響を及ぼすって、「予測」が来て起こされて、苦笑しながら僕の部屋のベッドに向かう。
こんな暮らしも不労所得程度の「作業」しかしていないから出来るんだって、僕の国の有り難みを感じた自分に、ものすごく、腹が立ったけど、
消えてしまった。
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