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『叫び』解題

 はじめましての人も、
 前から知ってる方も、
 ごきげんよう。

 偏光です。

 二週間ほど前に見た、
 夢の話を元にしていますので、
 好意的に見ても話半分でお願いします。

 しかし一寸考えてみることをお勧めします。

(文字数:約2300文字)


  ムンクが描いた『叫び』は、
  あまりにも有名な作品にも関わらず、
  もしかすると有名な作品であるが故に、

  中央の人物が叫んでいるわけではなく、
  中央の人物にしか聞こえない叫び声に、
  耳を塞いでいる、

  という事実がなかなか浸透していない。

  起き抜けにそんな事をぼんやり思ったのも、
  極めて悲しいのか恐ろしいのか寂しいのか、
  ひと言では表し難い夢を見たからである。

  幼い私が泣きじゃくっていた。
  泣いたとて誰が来てくれるわけでもなく、
  一人で布団の中で泣きじゃくり続けている。

  布団だけはあたたかいしやわらかい。
  そう信じていたのだが、
  びっちゃりと濡れて悪臭もして、
  冷え固まっている事に気が付いた。

  目を覚ませばそこは、
  先日七回忌を終えた祖母の家である。

  屋根に穴が空き雨が漏り、
  アライグマにも齧られて、
  仏壇はボロボロだ。

  幼い私、と思っていたが、
  布団の内にいる姿こそ幼いものの、
  そこで泣きじゃくっていたのは、
  私の祖母だったらしい。

  「もうこんな所にいなくていいよ」
  と私は引き起こして立たせてやる。

  「あたしも居りたくなかったとじゃけど、
   ここに一生居らんばごと、
   言われておったもんじゃいけん」
  「やっぱり居たくなかったんだ。
   そうじゃないかとは思ってたけど」

  「あんたは葬式にも、
   来てくれんじゃったなぃ」
  幼い姿のまま、
  ちょっと恨めしげに祖母は言うが、

  「この地域の葬式に、
   出たいわけないじゃない」
  と私が返すと、

  ふ、と口の片端だけで微笑んで、
  「そがんじゃな。分からぃ」
  と答えてくれた。

  私たちは集落の墓地へと向かっている。
  この集落は自分たちが眠る場所に、
  最も日当たりの良い明るい土地を選んだ。

  生きている間の方が、
  墓の中だとでも言うかのように。

  「もう他所に行っていいんだよ」
  「ほうじゃな。行こうでわぃ」

  すると墓地の内からも、
  全域ではないがポツポツと、

  「行きたかー。オイも行きたかー」
  「もうこがんとこはイヤじゃー」
  「本音じゃずっとずっとイヤじゃったー」
  と返ってくる声が、
  十人くらいは。

  一般的に先祖たちは、
  故郷の地を懐かしむものだろうに珍しい。
  しかし私の先祖たちは、
  ほとんど騙されて九州に移り住まわされた、
  元は関西の人間たちだからな。

  「戻りたかー。帰りたかー」
  「こん人の孫は今向こうにおるげなばい」
  「そいはよか。オイも連れてってくれろ」
  「いっ時おぶさるだけで良かけん。
   向こう行ったなら散り散りになっけん」

  そんな次第で祖母にくっついて、
  十人ほどが大阪府は河内の我が家に、
  ここしばらく滞在していたようだ。

  先週の火曜日から配偶者が、
  「死にたい」「しんどい」「もう嫌」
  とひっきりなしに呟き出し、

  さすがに気が滅入るので、
  事情を聞き出そうとしてみたら、
  呟いている自覚も記憶も無いという。

  何それかえって怖い。
  ((((;゚Д゚))))

  近所の霊能力者に相談したら、
  「それ何か家にいてるな。
   気が優しい人についていくねん。
   あんたは顔色ええから大丈夫やろ。

   九字切っとき。
   やり方は適当でええで。
   正式なやり方教えても出来へんやん。

   手を刀に見立てて気合い入れて、
   切り散らしたらいなくなるで」

  とまぁ見事にラフ。
  ほんじゃやってみる。
  (・∀・)

  やってみて思ったんやけども、
  祖母を含めた長年に渡る、
  先祖たちの叫びも、

  その土地で楽しく暮らしていけてる、
  本家本流側の人たちには、
  聞こえてへんかったんやな。

  従って「聞こえる者」の方が、
  狂っているようにも見えてしまう。
  周りには何せ「聞こえない」のだから。

  私の長年の「死にたさ」は、
  私個人の意思というより、
  多分に先祖たちの積年の叫びも、
  加味されていたようだが、
  それ故に強固だったわけだが、

  死にたい、わけじゃなくて、
  こんな世の中に生きていたくないんだ。

  ならばまず望むべきは、
  この世を今よりは少しでもマシにしたい、
  だな。

  死にたい、わけじゃなくて、
  死ぬ方が大して怖くないんだ。

  なぜなら死への恐怖の大半は、
  「自分に対する(家族も含めた)評価が、
   どのようなものになるか」だから。

  死んだ方が家族共々誉められたり、
  生きてるだけで恥とか不幸を呼ぶとか、
  罵られ続けたりしたら、
  そりゃ喜んで死ににいくさ。

  呪いって奴は画期的なシステムで、

  たまに訪れる旅人にまで、
  温かく優しく接し切れるような、
  皆が仲良い集落になろうとしたら、
  日頃の不満に鬱屈を、
  なすりつける何者かが必要になる。

  呪いは実在するんだけど、
  所詮は人が作った物だからね。
  人が要らんと思ったらなくなるよ。

  呪い合う様を見て「悪し」と断じた、
  土地の神から祟られる方が怖いね。


以上です。
ここまでを読んで下さり有難うございます。

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偏光
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