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『張山光希は頭が悪い』第19話:うつろな拍手

第1話(末尾に全28話分のリンクあり)
(文字数:約7000文字)


第19話 うつろな拍手

 今年の四月に入っても、俺は実を言うと『法悦歓喜和讃』の舞に悩んでいて、昼休みに弁当を食べながら飯田と中橋相手にぼやいたりしていた。
 御詠歌の中でも徹頭徹尾ほがらかに明るい曲、ってところも不安ではあったけど、そこは光希に合わせりゃどうにかなるとして、
「一行目から意味が分からなくて入り込みにくいんだよ。どう合わせたらいいんだか『型』に」
「小石川って別に親子仲、そう悪くないんじゃなかった?」
「表面上はな」
 つい呟いた一言を二人が気にした事に気付いて、話を逸らす。
「だけど、仲良くたってなんかおかしくねぇ? 『御親みおやを知れるその日より』って、親って生まれた時から当たり前にいるしさ」
「俺んち父親いねぇけど」
 飯田がさっきのお返しみたいに言ってきた。
「そこは大変だろうしざっくり大枠でまとめて悪いけどさ、それでも何て言うかその、生物学上の父親はあるだろ。ある日いきなり『知る』ものじゃないよな」
「ああ。なんか言ってる事分かってきた」
 飯田は購買部で買った焼きそばパンで、中橋はお弁当だけど、白ご飯だけを詰めておかずはレトルトとか缶詰だったりしている。
「部長は別に文字通りの『親』じゃなくても、お大師様とか好きな仏と思ったら良いって言ってたよ」
 部長、と言われても俺は頭の中で「光希」に変換して聞いている。
「それも困るんだよなぁ。俺別に好きな仏いない、ってか何に対しても信仰とか無いから」
 即席の味噌汁も持ってきて水筒のお湯入れて溶かしたりして、時々中橋の方があったかそうだし旨そうだなって思う。
「って二人ともいるの? 好きな仏とか」
「俺薬師如来。病気にケガ何でも治せるってハイパーだなって」
 って中橋、
「フツーに弥勒カッコよくね? 五十六億何ちゃら年後とかにやって来るって。未来人かよ」
 って飯田が答えて、焼きそばパンの後に紙パックのバナナミルク飲んでる。
「別に小石川だけじゃなくて、信仰なんか持ってません、みたいにみんな思い込んでいたいとこない? お年寄りみたいでカッコ悪いとか、フツーに合わせてなきゃ気持ち悪がられるとかで」
 俺はそれとは違う気がするんだけど、そこを二人にだって話すわけにもいかないし、
「ってか張山部長の声になら合わせられるって、それ信仰みたいに見えるんだけど。傍目には」
 そう言われたら信仰なのか、いや、違う気もする違和感がある、って箸止めたまま考え込んだ。
「あ。悩ませた」
「ってかいつも真剣に悩んでるから悪い奴じゃないって分かるよな。イケメンのくせに」
「結局マジメだよな。イケメンのくせに」
「俺のイケメンをボケ要素みたいにツッコまないでくれるかな」
 そんな話をしていた間に「小石川」と担任の先生が来て、封はしていない封筒を手渡された。この高校よっぽどの緊急案件でもない限り、生徒のプライバシーはある程度守ろうとしてくれる。
「何?」
「帰り病院寄らなきゃだ。地図も入ってる」
「ああ」
 仲の良い友達相手なら大体その程度で伝わる。

 光希も一緒に病院のフロアに着いたら、ちょうど茉莉花が新生児室の大きな窓の前に立っていて、俺たちもそのそばに並んでしばらくの間、うちだけじゃなく今日生まれたばかりの赤ん坊を見ていた。
「俺の一番最初の記憶って、茉莉花なんだよな」
 俺を真ん中にして右側に光希、左側に茉莉花が並んでいて、
「今みたいに光希と並んでベビーベッド覗いてた」
 ってまずは光希の側を振り向いた。
「僕はもうちょっと前だよー。薫が駅に着いたから、うちに来るってワクワクしながら眺めてた」
「駅着いたところから見えてたのかよ」
「何『見えてる』って」
 茉莉花から、質問されて左手を向く。
「光希、もっと子供の頃は人の気配とかその場の空気とか、色や光になって見えてたんだって」
「ああ。なるほどね」
「瞬間的な理解力すげぇよな茉莉花。ってか張山家」
 光希が俺にニコニコ顔を向けてきて、
「薫って、色んな色がバンバン飛び散りまくっててカッコいいんだよ」
「俺の本体に対して言ってたわけじゃなかったのかさては」
 茉莉花が俺に呆れ顔を向けてきて、
「お兄ちゃんの絵って色使いとか輪郭とか、前衛芸術すぎるんだもん」
 両方との会話が入り混じっているけど、俺は昔からで慣れてしまっていて捌き切れる。
「お兄ちゃん昔っから絵だけはどうしようもなくダメだったからね」
 それを聞いてあれ? 茉莉花にとっては「絵だけがダメ」な兄だったんだって気が付いて、思い返したら「茉莉花が入学するまでに逆上がり出来るようになりたい」とか、「かけっこ早くなりたいから教えて」って、俺に頼んできたりしていた。
 勉強もそう言えば、俺が宿題やってるとこちょっかい出すわけじゃなく覗いてきて、問題解くとことか眺めて、
「僕この問題さっぱり分からなかったよ。すごいねぇ薫、一回教えられただけで解けるんだねぇ」
 とかニコニコ顔で言ってきたりして、
 今頃気が付いたけど、二月生まれで小中学生の間は、自分の学年のうちに理解する事を諦めただけか。一学年後の俺が習う頃に分かればいいやって、初めから割り切って。
 もしかして、光希が四月生まれとかで俺と同じ学年だったら、俺たち三人ここまで仲良くはなかったのかもしれない。

 舞台に上がった途端にまた会場が、熱気と拍手に包まれて、
「カーオルくんっ」
 と
「みーつっきちゃんっ」
 の大合唱みたいな掛け声も復活して、五つ並んだ審査員席の僧侶たちは、苦々しい顔に呆れ顔、中にはお前たちのせいだぞって、怒鳴りたい気持ちを抑えている視線も向けてくる。
「薫くーん!」
「こっち見てー!」
 とか、繰り返されても俺がピクリとも反応しないから、会場は少しずつ戸惑って静かになっていった。その間に光希は正座して鈴鉦を並べ整えて、合掌した、と感じたから俺も合わせて頭を下げる。

   唱え奉る法悦歓喜の ご和讃に……

 小杖を取って鳴らされる、カン、と鋭い鉦の音に、反応が少し遅れたけど別にそれで良いような気がした。俺は光希じゃないし、光希が好きな仏とか知らないし、知ってたって今見聞きしている人たちは、それぞれに違う仏やむしろ親そのものを思い描くだろう。

   御親を知れる その日より

 親そのものじゃなくて良いのなら、俺は、茉莉花とか唯悟とか、生まれたばかりの子供、って事にしとこうかな、
 
   なぜか心は ときめきて

 って思ったら、「ときめきて」に向けて一気に駆け上がる音階を、掴み取れない事もない。

   仮の住処の 憂き世にも

 そこは俺、生まれた時から仮住まいみたいなもんだから、多分他の大抵の人たちよりも、実感あるし、

   喜び湧くを 覚えたり

 この家の、子供みたいに暮らしてて良いのかな、この子、本当はボクの妹じゃないんだけど、妹みたいに思っても良いのかなって、ベビーベットにいる茉莉花眺めてた感じとか、
 隣で光希が茉莉花よりも、ボクの方見てニコニコしてたとか、

   我は一人の 旅ならず

 そこはきっと、そんなに難しく考えるような話でもなくて、

   御親は常に ましまして

 唯悟はどんな奴に育つんだろうとか、いつ頃どんな言葉からしゃべり始めるんだろうとか、俺や光希の事はどんな風に聞かされて、どんな奴みたいに思うんだろうとか、
 
   闇路遥かに 照らしつつ

 正直つまんないとか、しょうもない事の方が毎日、多い気がするけど、ほんのちょっとくらいは先が、見たくなるよなって、

   行く手を永遠とわに り給う

 素直に負けを認めるしかないだろう。アイツらは、圧倒的に希望だって。

   南無大師遍照尊

 の御宝号が、この曲は最後に繰り返されるんだけど、その言葉自体はどうでも良くて、
 茉莉花に唯悟を思い出して、やわらかくなったその気持ちを、照れとかで変にごまかさない方がいいんだろうなって、
 きっと、誰に対しても頭に浮かんだその時に、「愛してる」って言えたらそれ聞いてもらえたら、充分なんだ。口に出せないから、言ったって変に思われて聞いてもらえないから、苦しいだけで、
 言葉なんか、使わなくたって本当は伝わるんだけど、伝わるからって言葉を使わなきゃ、それはそれで苦しいんだ。内側にどれだけ満ちあふれてたって、身体は一人一人違うから。
 声色も人によって異なるから。俺の声か舞じゃなきゃ意味が無い。 
 最後の鈴が鳴り終えても、俺の動きはまだ続いていたけど、別に構わないかって、どうせ光希には鈴鉦を整えるための時間が掛かるし、ここで良いってところまでは伸ばしておいて、光希が最後のお辞儀に入るまでは、留めておいても。

 呼吸は整え切れていたから、光希が合掌する少し前に、姿勢を戻して、お辞儀に合わせて頭を下げて、
 背を起こしたけどパラパラと、力の無い気の抜けた拍手が届いて、
 ああ、そんな感じかって、
 まぁいいや。俺のものすごく個人的な都合で解釈したから、伝わらなくたって仕方がないし、俺にはこれで良いって思えているし、
 退出を促されて舞台を降りて、階段を下り切った途端に光希の手がガシッと、ちょっと指先が食い込んで痛いと感じるくらいに、俺の腕を掴んできた。
 何、と驚きながら振り向いたら、間近で見せてきた顔は、みるみる赤くなって目なんか最大限に見開いて、両端が持ち上がった口とか笑っていると言うよりも歯をむき出している感じで、
 両手で俺の両腕バンバンと、勢い良く叩いてきて、着物の袖の上からだから音は響かないしそこまで痛くもなくて良かったけど、
「何。何何。どうし」
 た、と口にした時にはガックリと、俺に寄りかかって身体中から力を抜いていた。
 退出側の屏風の端にいた僧侶が、「ああ」と微笑んで、
「ご案内、しましょうか」
 と言ってくれたから「すみません」と、光希を抱き起こしながら頭を下げた。

 長く御詠歌協会の師範を務め、現在その地位は嫁に譲ったけれども、その発言に行動は権威あるものとして、今も協会内部で重んじられている真垣家の大刀自おおとじは、
「如何でしたか。おばあ様」
 と孫娘から声を掛けられて、ようやく心付いた様子に見えた。
「意外、だったわ……」
「と、申しますと?」
 さすがに着物は紋付の喪服にしたが、化粧は入念に施したし、この一年の間に友人たちも巻き込んで調べながら自作した、片面に「光希」もう片面に「薫」のイメージをきらびやかにデコレーションした、うちわを傍らには置いている。
「去年は……、若くて……、とにかく若くて若さに目をくらまされた感じだったけど……、今年は……」
 呆然と口から出るままに呟いていたが、声を出し続けるうちに少しずつ、目に光が戻ってくる。
「今年のあの子たちは、まさに……!」
 ハッとして身の回りを目で探し始めたので、孫娘はちょうど開いておいた大会パンフレットを差し出した。受け取って目当ての項目を見つけて大刀自は、
「『天地のまこと』」
 と何の感情も乗せない声で、まずは読み上げた。
「はい」
 孫娘が隣でわずかにだが、微笑みを浮かべる。
「……大それた曲目を選んだものねって、いつもだったらお腹の底では呆れ果てながら、お愛想で微笑みつつ眺めて差し上げるところだけど……」
 大刀自の周囲に居並んでいた、友人に弟子たちは、それを聞いて積年の本音を知り内心血の気が引く思いがしたのだけれども、
「楽しみだわ」
 と呟く大刀自の声色に、本気の鑑賞眼を感じて戦慄した。

 うつむいて長い髪に顔を隠して茉莉花は、涙を拭い続けているが、
「ぐすっ。ふふっ。うふふふふふふ」
 同時に腹も抱えて笑い続けている。
「茉莉花ちゃん。泣きよんのか笑いよんのか、どっちなんかじいちゃんには分からんけども」
 張山家の曽祖父は心配気だが、
「よかったね」
 と父親は黒ブチのメガネ越しの目を細めている。
 茉莉花が泣き出した事もあり、光希と薫が退場するとすぐに、会場正面の大引き戸から廻廊に出た。廻廊、と言っても板敷きの道幅は広く、地面まで下りられる階段も含めてそこかしこに、二、三人から十人規模の人だかりが出来ている。
「どういう事なんだろうな。アイツは……」
 薫の父親はその広い廻廊の欄干を背に、でかい図体を小さく折り畳む感じに、膝を抱えて座っている。
「俺も婿になって小石川の、家に入ってから修得したもので、そう偉そうな事も言えないんだが……」
 片側からは娘の泣き笑いを聞きながら、光希の父親は、長年の友人の側に目を向けた。
「何か、気になってる?」
「ああ。もう『型』が無いんだ。ボロボロに壊れていると言ってもいい」
 耳にした茉莉花が泣きやんで、曽祖父に顔を上げた。曽祖父も一旦曾孫と目を見合わせてから、父親二人を向く。
「しかし、芯が残っている。全体で見た時の印象というか、ゆらぎやズレ、いや『ずらし』を含めた表象、表され伝えられる総体は、小石川なんだ。実に小石川らしい」
「それはだって……」
 茉莉花が思わずのように呟いて、父親二人が顔を向けた。
「舞が生まれた最初辺りの頃に、『型』なんてあった?」
 言われて「あ」と光希の父親は呟き、薫の父親は少し驚いた表情の後で、間を空けてじっくり受け止めてから頷いた。
「なるほど。言われてみればそうだ」
 笑みを見せられ張山家の面々も笑みを返した。それを見てようやく、自ら縮こめていた身体をゆっくりと、関節ごとに引き伸ばすように立ち上がる。
「しかし惜しいな」
 茉莉花は自分に言われたものかと思って気に留めたが、目線はうつむき気味で誰にも向けられておらず、独り言らしいと思い直した。
 薫の父親が背を伸ばし切ったところで、廻廊を見回していた僧侶が今気付いた様子で近寄って来た。
「張山さん小石川さんのご家族ですか?」

 抱きついてくる光希を運んだ先は、去年と同じ、会場になっているお堂と渡り廊下で繋がった本部の二階で、畳敷きの大広間だけれどその窓に近い隅っこに、横たわらせた光希には、僧侶からクスクスした笑い声と布団がかけられた。
「すみません。ありがとうございます」
 なるべくしっかり頭を下げると、僧侶は微笑みと合掌を返して、襖もきちんと閉めてくれる。
「ふふっ」
 と布団のふくらみが動いて、
「上手くいった」
 と光希が、しっかりと目も開いた顔を上げてきた。
「だと思った」
 俺は溜め息をつきながら、その隣の畳に座り込む。光希は布団にくるまったまま、クスクス笑っている。
「バレてた」
「力の入り具合に入らなさ加減が違うからな」
「去年の合宿中はまだ、いきなり眠くなったりしてたから、眠り込んだフリしてたらこの部屋に連れてってもらえると思ったんだ」
「坊さん騙してバチ当たらないか」
「いいじゃない。いい場所だよここ。静かだし落ち着けるし」
 今日は高い位置にある窓から天井辺りにだけど、日の光が差し込んでいて、って事はお大師様は来ていないのかもしれない。
「ごめんな」
「何?」
「失敗、ってのはおかしいけど、観てた人たちにはちっとも響かせ切れなかったみたいだなって。パラパラとぼんやりした拍手しか聞こえなかったし」
「薫」
 クスクス笑いのまま身を起こして、
「薫」
 って俺に両腕を回して、抱きついてくる。
「薫。薫。薫薫。薫」
「ワードセンスどっかに置いてきたのか光希」
 ふふふふ、ってひとしきり笑ってから、至近距離まで顔を近付けてくる。
「誰に伝わらなくたっていいじゃない。僕とか、茉莉花とかに伝わっていれば」
「だな」
 言われるまでもなく俺としては、直接二人に言って聞かせたようなもんだし。
「大好きだよ」
 光希の唇が俺の、唇にピンポイントで押し当てられて、あれ? って違和感はあったんだけど、
 もっとずっとちっちゃな時から、ほっぺたへのキスくらいは光希、毎日俺に当たり前みたいにやってきたし、今までやった事はなかったけど、前に俺とだったら口同士のキスも出来るとか言ってたし、いつもの延長みたいに受け止めて、
「愛してる」
 もう一度、押し当てられたら光希の唇、特に下唇がぷっくりしててやわらかくて、
「俺も」
 結構心地良いなって俺の方からも、ちょっと気持ちを込めた。
「うれしい」
 って抱きついてくる距離が更に縮まって、俺も両腕回して支えなきゃ仕方ないなって、頭の中の言葉では言い訳するみたいに抱き締めて、あたたかさとかうれしさなんかが、じんわりと染み込んで行くのを感じてて、
 別に誰に見られてもいなけりゃ俺も当たり前みたいに出来るんだって、思ったりもした。誰もがそうなればいいなんて言わないけど。俺だって、光希としかやらないし、光希とだって、子供の時から一緒に暮らしてほとんど自分の半分くらいに思えてなきゃ。
 いきなり目が覚めたみたいに、光希が両腕を離して俺から身も遠ざけた。余韻で引きずられて光希の側に、よろめきそうになったけど、俺も身を立て直して、うつむいて特に下唇を手の甲でこする光希を見ていた。
「その、口紅、ついちゃってない?」
 そっちがやってきといて何で今更照れてんだよって、俺は呆れるみたいな気持ちになって、
「唇には紅塗ってねぇよ」
 って溜め息混じりに答えたら、
「あ。そっか」
 ってちょっとホッとしてた。


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