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『張山光希は頭が悪い』第20話:鬼のお忍び(忍べてない)

第1話(末尾に全28話分のリンクあり)
(文字数:約6700文字)


第20話 鬼のお忍び(忍べてない)

 足音が、近付いて来て光希と顔を見合わせて、
「やあ」
 と襖を開けて顔を覗かせて来たのは、細い金属フレームの丸メガネの、林部長だ。今は部長じゃなく制服でもなくて、大学生だけど。
 中に入って襖をきちんと閉めてから、俺たちがいる大広間の奥まで、歩み寄って来る。
「ずいぶん贅沢に場所を使っているじゃないか。一階じゃ準備に追われた出場者で、ごった返してるのに」
 光希も身を起こしていたから、三人で円を作るみたいに座り込んだ。
「どうして俺たちが今ここにいるって分かったんですか?」
「伯父が僧侶としてここで、働いてるんだよ。ちなみに御詠歌部の創設メンバーの一人だ」
「お父さんのお友達でね。僕も合宿その人通して入れてもらったんだよ」
「元から極太のパイプが繋がっていたんだな」
 光希一人で頼み込んだのかすげぇ、とずっと今まで思い込んでいた。
「道理で全国大会の情報とか、筒抜けだなって思っていましたけど……」
「そこは御詠歌協会の実力だね。誰とどの団体と曲目がかぶらないようにとか、各地の支部との調整に采配も担ってくれているから」
 去年より若干厚みが増したパンフレットをめくりながら、部長はしばらく情報を整理するみたいに、話し続ける。
「全国大会、と呼ばれているのも伊達じゃなくてね。四国はもちろん北海道から九州の離島まで、全国の希望者が、この日のためだけに集まって来てるんだよ。それなのにこの大広間を開放しないで済んでるのは、どうしてかって言ったら、家の人たちに何度もお願いし続けて一生に一度だけ許された本州旅行だったり、農業や漁業で毎日働き続けて六十や七十を超えてようやく叶った参詣だったりするからさ。
 どうしても奥の院には行かなきゃいけないし、時間に余裕があれば根本大塔も見たい。帰りのバスの時間を考えたらゆっくり食事する時間すら取れないんだ。一生に一度の旅行でも。六十、七十過ぎのおばあちゃんおじいちゃんが。
 そうした話を実際に、御本人たちと顔を合わせて聞かされると、この町に通い慣れて作法や歴史に詳しい事が、決して尊いわけじゃないって思えてくるよね。単に生まれた場所が近かったとか、知り合いがいたってだけだ」
 一通りめくり終えて畳の上に置いてから、顔を上げてくる。
「二人に伝えたい事があって来たんだ。他は誰に伝えるか、どう伝えるかは二人に任せるけど」
 ちょっとだけ背を倒してきたから、俺と光希も耳を寄せた。
「『小石川 晃』が来てる」
 思いがけない角度からで驚いたような気もするし、言われてみれば当然のような気もした。
「……なんでその事を林さんが知っているんですか?」
 俺が訊き返すと林さんはちょっとだけ吹き出して、
「私の父と友達だって、話したじゃないか」
 とは言え笑い出しはせずに、丸メガネ越しの目を向けてきた。 
「今は付き合いが続いてない、なんて言った覚えは無いよ。と言うより付き合いが深過ぎて、他に話すわけにいかなかったんだ。別居した以上は妻や娘にもね」
「あのね。薫」
 光希も顔を向けてきて「ん?」と振り向いたら、
「『エンデ』って、晃おじさんだよ」
 と聞こえた途端に俺の口からは、
「ああぁあぁ」
 って何とも言えない声色がこぼれ出た。
「何だい。その、知らなかったにしては驚きが薄いし、知っていたにしては驚いたようなリアクションは」
「いや……、なんて言うか……、身内の見ていられなさとか、一族のいやったらしさとか、鏡に映った自分をムリヤリ見せ付けられてる感じとか……、エンデの話題が出る度に、どうも居心地良くないなって思ってたから……」
 晃おじさんその人というより、周囲からまとめ上げられたイメージ、ってところも、俺から関心とか愛着をなくさせていった気がする。
「あと俺に似た顔なんて身内でしか聞いた事無いし」
「謎どころか確信に繋がっただろうね。画像が出回ってからは」
 とは言え画像が出回らなければ、俺がエンデを知る機会自体が無かっただろうけど。
「張山家にも小石川家にも、気付かれないように観て回るつもりらしいけど、誰にも知らせないのも双方に、気の毒かなって思ったから」
 置いていたパンフレットを取り上げて、用件は本当にこれだけみたいに立ち上がった。
「あんな目立つ人が誰にも気付かれずに動けるかなぁ」
「そこは変身、と呼べるほどの偽装能力を、エンデをやってきた中で身に付けているからね」
 微笑みは浮かべたまま歩み出し、襖に近付いたところで振り向いてきた。
「ああ。あと真垣さんから伝言。『祖母の目を覚ましてくれて有難う』って」
 パラパラとしか聞こえなかった拍手を思い出して俺は、
「強烈なイヤミに聞こえますけど」
 と溜め息をついたけど、林さんは軽く笑いながら首を振ってきた。
「あまりに強すぎる魔法は、呪いにもなるからさ。何のかの言って通常運転が、大抵の人には何より幸せだったりもするんだよ」
 そう言いながら林さんが出て行ってわりとすぐに、また襖が開いたから、忘れ物でもしたのかと思って、
「どうしました?」
 と顔を上げたら、僧侶が一人合掌しながら入って来た。
「ご家族がいらっしゃる所まで、ご案内します」

 大広間を出るとその正面の大階段、じゃなくて、僧侶は壁に飾られていた全身が映る鏡のフチに手を掛けて、実は扉になっていてその先にあった階段を降りると、非常口から軒下の廊下に出た。
「この先を、進んでひょい、と持ち上げて下さい」
「ひょい?」
 俺は意味が分からず訊き返したけど、
「分かりました。ありがとうございます」
 って光希が僧侶に向かって頭を下げて進んで行った。俺も頭を下げて後に続いて、するとその先に腰の高さくらいの木製の柵が三つ並べられていて、その真ん中の柵を光希がひょい、と持ち上げた。
 なるほど、と先に通らせてもらって、光希が通ってから俺が柵を戻す。
「あれが置いてあるだけで立ち入り禁止っぽく見えるもんな」
「それに実は『立ち入り禁止』なんて、どこにも書いていないんだよ」
 廊下はその先で離れの縁側に続いていて、そこにおじいちゃんと茉莉花と父親二人が待っていた。コンクリートで出来た本部と本部の外周を区切る土塀で仕切られた空間に、小さいけれど庭園が造られていて、縁側からは池とその周りの低木に、ピンク色の花が咲き誇っているところが見える。
「二年間も合宿で来てたけど、こんな場所があるなんて知らなかったよ」
 光希が言って茉莉花が頷いた。
「さすがは天皇に公家に武将たちも参詣してきた聖地よね。一般客とは動線が、区切れるようになっているんだわ」
 縁側に座り込んでおじいちゃんと光希のお父さんは、重箱を並べ出したけど、
「えっと俺、腹具合微妙だから弁当は……」
 と言い出した俺と光希には、「はい」と中身が入ってふくらんだビニール袋を渡してきた。
「そうだろうと思って山頂のコンビニで、ばくだんおにぎり買ってきましたー」
 聞いた途端から光希と大喜びする。
「うわぁちょうど良いちょうど良い。一個ほど物足りなくないし、二個ほど多くない」
「腹が空いてちゃ舞えないし腹に入れ過ぎても舞いにくい、ってとこにちょうど良い」
 袋の中を覗いたら梅干し系と昆布系の二種類があって、
「光希どっちが良い。先選んでいいよ」
「えっと、じゃあね。梅干しの方薫にあげる」
「サンキュ」
 勧められた重箱に箸を向け掛けていた、俺の父親が、それを聞いて首を傾けてから言ってきた。
「それじゃ光希くんが選んでいないんじゃないか?」
「え?」
 俺たちはとっくに包みを開けてそれぞれのおにぎりに、かぶりつき始めていたけど。
「だって薫の方が梅干し、大好きだもん。僕も好きだけど僕は薫が好きなもの、薫が多めに食べてくれた方が嬉しいし」
「こっち梅干しと鮭入ってたから、昆布エリアひと口もらっていい?」
「うん。僕も鮭部分ひと口ちょうだい」
「オッケー」
 俺の父親は納得がいかないままで積み重なり続けて、呆れたような表情になっている。
「どうして選んだ物をそれぞれで食べ切ろうとしないんだ?」
「おじさんって『ひと口ちょうだい』とか絶対にダメな人なの?」
 茉莉花が相手してくれたから俺たちは、おにぎりを味わう事に専念する。
「ダメとは言わないが意味が分からない。自分が食べたい物をそれぞれに選んだはずだろう。他人の物が食べたくなったのなら自分も注文するか、すでに選んだ以上は諦める」
「それダメって言ってくれた方がまだスッキリするタイプ」
 茉莉花からやり込められてもまだ父親は首を傾けていて、俺は内心苦笑した。

 縁側から眺める庭園はそれほど広くないけど良い雰囲気で、ここに通される事が当たり前になっている人たちからは、一生に一度しか来られない、とか想像もできない、当人や家の人たちはどんな不信心者か、くらいに思っちまうんだろうな、とか、さっきの林さんの話を何気にしっかり聞いていたものだから、咲いている花はキレイだけどどこか切なくもなった。
「有難いけどこんな場所まで用意してもらわなくても」
 光希がバッグに入れていたペットボトルを差し出してくれたから、まずは受け取って「ありがとう」ってひと口飲んだ。
「失敗じゃねぇけど午前中の出来、悪かったみたいだから、もう俺たちそこまで気にされてもいないんじゃないかなって思うんだけど」
「え」
 という軽い反応が、俺以外の全員分重なってわりと強めに響く。
「えっと、今、そんな感じでいるの?」
 と目を瞬かせてきた光希のお父さんには、「うん」と光希が頷いている。
「『知らぬが仏』ていうヤツかも分からんな」
 おじいちゃんは溜め息をついて呆れ顔だけど、
「パラパラと気の抜けた拍手しか返ってこなかったから、知らないとは言い切れないんだけどさ」
「カオちゃん」
 ってなんだか茉莉花は苦笑している。お父さんも微笑んで、
「午後の出番は大丈夫?」
 って聞いてきたから、
「ああ。大丈夫、ってかそこは全然平気。なんせ大日如来だから」
 もうひと口飲んでペットボトルは光希に返すと、光希も「ありがとう」って受け取って飲み始めた。
「太陽そのものはヒトの気持ちとか、気にして動いちゃいねぇだろうし」
「ふむ」
 と俺の父親が呟いて、
「だからね。かえってこの方が良いんじゃないかなって」
 と光希がそっちに話し掛けている。
「ああ。そうだ」
 ふっと頭に浮かび上がってきて、口に出すかどうしようか、寸前まで迷う感じはあったんだけど、
「エンデ来てるらしいよ。お忍びで」
 ってつい飛び出して、目の端で光希のお父さんがちょっとだけ身じろいだ。
「えっ! ホントに?」
 茉莉花は驚いたけど、
「誰だそれは」
 と俺の父親は訊いてきて、おじいちゃんも首を傾げている。
「今知らないならこれからも多分知らないままでいいと思うよ」
 光希に言われて「そうなのか」と二人とも気にしない感じになったけど。
「カオちゃんそんな話どこで聞いたの?」
「ちょっと小耳に挟んだって言うか」
「お坊さんたちの立ち話。だから、根拠の無い話でもなさそうだけど、内密だろうね」
 光希が珍しくウソをついて、ウソだからかいつもより小難しい言葉使ってるなって思った。

 サイレンの音が鳴って、
 この縁側からは遠いけれど本部の正面玄関よりも先、この町の、メインストリートの方角だなって思った。
「救急車? とパトカーも?」
 茉莉花が呟いてハッとして、俺の父親に目をやったら、向こうも気が付いて頷いてくる。
「……来てんの? ってか、なんで来させてんの?」
みゆきが決めた事に、俺は逆らえない」
 父親の口から出た母の名前に、光希のお父さんは察した感じだけど、
「幸さん、来てるんだ。もしかしてゆかりちゃんも?」
 嬉しそうな笑顔だし俺に比べてのんきな感じだ。
「うわぁ、薫のお姉さんに僕まだ一度も会えた事無いよ」
 俺は立ち上がって光希の手を引いて、
「行くぞ! 光希ももう食べ終えただろ!」
「え。食べ終えたけどなんで? 僕お姉さんに挨拶したい」
 光希も立ち上がるのを待ってから、縁側を元の廊下の方へ突き進んだ。
「午後の出番が無事に済んでからで良いよ、ってかその方が絶対に良い!」
 光希がちょっと戸惑った感じについて来る。「鬼」を務めた者は、肉体的にも精神的にも、その人物に本来備わっている最良の状態が引き出されて、今の姉は行く先々で、男どもの目線を引き付け釘付けにするくらいに美しい。
 駐車場で偶然目が合ったドライバーたちに、よそ見運転させてニ、三台連続しての玉突き事故くらいは、軽く引き起こさせる。俺にとっては姉だから別にそこまでにも思わないけど、十七歳程度の男子高校生なんかは、流し目ひとつで瞬殺だ。出番前になんか絶対に出くわしたくない。
「あれ?」
 と進んだ先でさっきの「ひょい」が外されて、真ん中が空いている事に気が付いた。
「薫、さっきちゃんと戻してたよね」
 俺もそんな気もするけど、何せ『立ち入り禁止』とは書いていないわけだし、知ってる誰かが通り抜けたっておかしくはない。通り終えて改めて真ん中の柵を戻す。
「ああ。薫。あと僕、お手洗い行きたい」
「それは行って来いよ。俺に確認せずに」
「急いでるみたいだったからさぁ。大丈夫かなって」

 本部一階の男子トイレの扉を、開けようとしたところで光希は、
「おい。おいそこの、兄ちゃん」
 とダミ声で呼びかけられて顔を上げた。
「輪袈裟。あかんで」
 指も差されて「あっ!」と、首に掛けていた輪袈裟を外す。御不浄に持ち込むのは御法度だ、と言う事で、本部トイレの入り口には、輪袈裟掛けが設置されている。
「ありがとうございますっ!」
 振り向いて頭を下げたら「うん」と、声を掛けてきた男性が片目をつぶった。ハッとして光希は去って行く彼を目で追ったが、手には封の開いたワンカップを握っており、歩み出た廊下で僧侶に止められている。
「なんやねん。ここ酒呑んだらあかんのかいな」
「いえ。禁止されてはいませんが、出来ましたらどうぞ外で」
「辛気臭いのぉ。酒が神様仏様みたいなもんやで俺には」
「外の方が呑むにしても、気持ちが良いかと思われますので」

 演者や観客の大半が昼食中らしく、人はまばらなロビーの椅子に座って待っていたら、光希が戻って来て「どうした?」って訊きたくなったくらい、じっと俺の顔を見て頷いた。
「今多分、晃おじさんに会った」
「ホント?」
 立ち上がってトイレがある廊下の方向に目をやったけど、それらしい人はいない。
「だったら俺も会いたかったな」
「どうだろう。僕だけにこっそり近付いてくれたのかもしれない。あと多分、僕じゃないと分からないと思う。今はもう『見えて』はいないけど、見えてた時の雰囲気とか感覚なんかは、残ってるから」
 林さんが言ってたけど本当に、変装技術身に付けてんだなって、座り直したら光希も隣に座ってきた。
「そういった、色味なんかも俺、おじさんと似てる?」
 光希は目線を上に上げて、しっかり時間を空けて考えてから、
「ううん。そこまででもないよ」
 って微妙な答え方をしてきた。
「系統は、そりゃ似てるんだけど、おじさんは何て言うか、その、一回ほとんど壊れちゃった感じ」
 そこを言う時だけ目を伏せて、溜め息をついて、
「だけど、そこからどうにか元に戻して、立ち上がって来たんだなって、だから僕おじさんの事は好きだし、お父さんも付き合っていたんだと思う。薫、ちょっといい?」
 いきなり何に対しての「ちょっといい?」なのか、よく分からなかったけど、光希は俺の顔をまた、じっと見つめて、
「やっぱり朝より薄くなってるよ。両側の目尻の色。直してあげたいんだけど、持ってる?」
「ああ。お願い」
 取り出した円形の紅入れを、光希に渡して、光希が薬指に取ったところで俺は目をつぶる。光希の指が両側の目尻を、そっと撫でる。
「唇にも入れようか」
「いらないだろ」
「今見てたら顔の上半分と下半分でバランスが。ほんのちょっとだけで良いと思うんだ」
 下唇の真ん中あたりがなぞられて、
「うん。これで良い」
 って聞こえたから目を開けた。間近で光希が満足げに微笑んでいる。
「鏡、見に行く?」
 って訊かれたけど、
「いや。いらない」
 光希の表情で十分だなって思った。


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