思考は螺旋運動
薄々感付いてはいたんだが、
私本人よりも私が書き記す作中人物の方が、
頭が良い、と言うか人間が出来ていて、
結構落ち込んだ時などに、
点訳作業なんかでふと読み返したりすると、
うわぁ今の心境にピッタシやん、
ほんで良い事言うてるなぁコイツ、
……って書いたの私だよ!
と自分でも素で思う時がわりかしあるのだが、
自分の作品なんだから当然の事かもしれないが、
もしかして誰か読まれた方にも、
似たような効果がいくらか生じていてくれないだろうか。
いやある程度はそうあって頂けると有り難い。
というわけでとりわけ読んでもらいたい、
シリーズ作品一覧を貼付してみましたが、
ぜひにとオススメするにはご覧の通り相当に長いので、
データ販売を予定しているわけですわ。
実はこの記事、
以前にも公開していたんですが、
先週発症した精神的動乱の真っ只中には、
タワゴトをほざいているようにしか思えなくて、
削除してしまったんですよ。
つまり気持ちを切り替えたとて、
気分が良くなり納得できたかのように思えたとて、
これでスッキリ楽になった、
もう今後一切この事では悩まない!
……という状態にはならないという事実を、
今回お伝え申し上げたい。
つまり思考は螺旋運動ではないかという話です。
上記作品のテーマにもしている御詠歌で、
あくまで初心者向けの簡易的に、
教えて頂いたイメージですけれども、
御詠歌の音階は、
「中央に据えた魂の周りを、
螺旋状に音が上って行く、あるいは下って行く」
と表現されるんですよ。
楽譜上では同じ形の音符に見えていても、
層が異なっていれば高さが変わる。
つまり繰り返し巡ったとて同じ位置にはいない。
魂は球体であるとして、
その周囲を螺旋状に巡ったならば、
いつの間にか最下点に位置する時もある。
しかしながら運動している限り、
つまりは生きている限り、
最下点ただ一ヶ所に留まりはしない。
この
1)同じ位置にはいない
2)一ヶ所に留まりはしない
という事実が誠にささやかながら希望であり、
たとえ最下点に位置してしまった時にすら残されている、
ほぼ唯一の生き抜ける力だなと。
惜しむらくは最下点に位置している時は、
まさしく最下点なので、
他からのどのような言葉も届きにくいのですが、
ただ上の事実を知っている、
というだけでも通過時間が早まってくれるかもしれない。