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しかしアホバカには救いがある

 下記記事の通り、
 「アホバカ論争」には終止符を打ちたいのだが、

 九州の私が生まれ育った地域には、
 確かにアホバカくらいならまだ愛情を感じられるほど、
 最強の罵倒語が存在したし、
 今現在も各地方に類似の用語が存在しているだろう。

 私の学生時代におけるそれは、

   キャブリ

 だった。

 語源としては「知ったかぶり」だが、
 意味を聞いた場合は皆「カッコつけ」と答えていた。

 そう。「格好をつける」事は、
 当時のその地域において、
 悪口を向けられるべき純然たる悪だったわけだ。

 ちなみに学生時代は二年ごとに居住地を移動しており、
 別の地域ではそこに「マジメ」が当てられていた。

 「格好をつける」も「真面目」も、
 本来の語義は決して悪い事ではないはずだが、
 「キャブリ」と呼ばれた者に対しては、
 学生のみならず大人も親も教師も、
 嫌われて笑われて然るべき者として取り扱う。

 すなわち「集団から突出し
 (時に『傑出』でもあったはずだが考慮には入れられない)、
 自分一人だけが他よりも利益をせしめようとする、
 浅ましい行為に人格」を意味し、
 見つけ次第処罰した上で排除されなければならない。

 「アホ(バカ)って言う奴がアホ(バカ)」
 などといった恩情は存在しない。
 「キャブリ」と呼ばれた者には、
 「相手にしない」という選択も許されない。

 言われた時点で怒り即時取り消しを求めるか、
 「キャブリではない」事を、
 所属する集団の特に権力者に認めてもらえるまで、
 懸命に行動で示さなくてはならない。


 あえてここで良し悪しは問わないが、
 私にとってはアホバカよりも激しい苦痛であった。

 ここでは異なる文化圏における用語に行動様式を、
 並列に取り扱う事の意味の無さに、
 思いを馳せてもらえればそれで良い。

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