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『張山光希は頭が悪い』第13話:魂の向かう先

第1話(末尾に全28話分のリンクあり)
(文字数:約6800文字)


13  魂の向かう先

 不信感を、抱いたとか募らせたとかじゃなくて、単純に確信を持っただけなんだけど、
 小石川の家を中心とする山の上の集落で、俺の存在は持て余されている。
 中途半端にふもとの生活に馴染んでしまって、山の上の住人としては洗練されていない。花の育て方も火の熾し方も、時々(集落の中では)無駄に上げてしまう声も、伝わり切らずたまに言葉を必要とするところも、生き神様(実の姉)に対する仕来りの数々、接し方に敬意の払い方も不十分で、
 育て方を間違えた、
 と主に他所から移り住んで来た、父親に対して思われている。集落の内であれふもとであれ、もっと町の方の家であれ、もっと早い時点で完全に手放しておくべきだったと。
「こんにちは」
 と玄関戸が開いて父親の声が届いたら、
「ああ。お父さん」
 と素知らぬ顔で出て行って、お互い張山の家までは哀しませないように、気を遣っているけど。
「今年の鬼神楽はどうだった?」
「うん。圧倒されたよ」
 毎年九月と十月は、鬼神楽の準備で忙しい(特に両親や姉には精進潔斎の期間なんかもある)から、両親がふもとの俺に会いに来るのも、週に二日、の頻度ではいられない。十月にはほとんど来なくなってでも、鬼神楽を終えたらまた次の秋までは、週二日に戻る。それが毎年のパターンだったんだけど、
 今年からは、父親だけが週一回。それも少しずつ間を空けて行くんだろう、と俺には伝わっている。姉が無事に「鬼」を継げた今、俺と山の上を繋いているものは、純粋に肉親の情だけだって、何だそれ。
「二輪の免許、取れたのは良いんだけど……」
「うん」
「バイク、買えるほどのお金は無いよね」
「ああ。そうだな」
 自動車学校代だってバイト代を貯めた分だけじゃ足りなくて、半分近くは実家から出してもらった。
「うちのバイク乗ってもいいよー」
 って畳敷きの居間で話していた俺と父親に、コーヒー出してくれながら、光希のお父さんは言ってくれてるけど、
「お父さんのバイクって、思いっきり仕事仕様のカブじゃない」
 父親の手前俺は普段よりもしゃべり口を大人しめにせざるを得ない。
「薫。スーパーカブは、いいバイクだ」
「分かってるけど、お父さん。そこじゃないんだ」
 もっと小さい頃は「パパ」と「お父さん」で、使い分け切れていたのに、自分の父親も「パパ」と呼ぶのは首筋がかゆい年齢になってくると、口に出していて俺だってややこしい。
「僕のバイクじゃなくって、ほら」
 と光希のお父さんが振り向いた、居間の障子戸のそばにはおじいちゃんが立っていて、
「薫や」
 と頬の両端まで笑みを引き上げながら、筋張った手で手招きしてきて、何かの昔話みたいだ。

 張山の家の敷地には、道路に面した側を車二台分の駐車場にした、農作業小屋があって、古いダイニングテーブルと椅子に仕切られた奥の半分側は、収穫物の仕分けとか、刈った後の草を収集車が取りに来てくれるまでの保管場所に利用していると思ってたけど、
 奥の半分側の一角に、銀色のカバーをかぶせられて置いてあったその銀色を、おじいちゃんが筋張った手ではぎ取ったら、
「じゃーん」
 魔法使いが異空間から取り出しでもしたみたいに、四百ccのドラッグスターが現れた。
 ボディーは柔らかめの白だけど、所々で輝き過ぎていない銀色のラインが映えて、アンティーク感が絶妙にカッコいい。
「え。これってヤマハの、もう生産してないヤツ……」
「そうやで。最後のシリーズ買うてじいちゃん、今まで大事に乗ってたんやで」
 電車模型好きで実はかなりのバイク病でもあるって、聞いてはいたけど、しっかり重症患者(誉め言葉)だったみたいで、見た感じ掃除とか手入れなんかも怠っていない。
「またがってみい」
「え? いいの?」
「そのためにここ来て見せとるんやないか」
 生まれながらの土地の人だから家の中ではおじいちゃんの訛りが一番強い。
「アメリカンやからな。前傾姿勢でスピード出すタイプちゃうで。もっと深く腰掛けてその方が、薫は背も高いしうん、よぉ似合うな」
 道具小屋にアメリカンのバイクに土地訛りで違和感が積み重なっているけど、訛りで聞いた方が誉め言葉は、結構すんなり耳に入ってくる。
「中低速で長い距離、のんびり行くのに向いてるヤツや。初心者にはかえって、ちょうどええんちゃうかな」
「しかしこれはさすがに、申し訳ないですよ」
 小屋について来た父親はしきりに恐縮していたけど、
「いや。いや。バイクは好きなもんに乗ってもらうんが一番ええで」
 おじいちゃんは目を糸のように細めてニコニコ笑っている。
「そいにやるとは言うとらん。乗り慣れるまでの練習にはちょうどええやろ思て貸すだけや。そいまでに金貯めてホンマに好きなもん買うたらええし、薫はええ子やからな。借り物の方が気ぃ使って乗ってもくれるやろ」
「ええ子と言うより、それが普通ですよ」
 父親の言葉にふっへっへと、笑いながら首を軽く横にも振っている。
「このお父さんの子やからなぁ。その辺りの事もきちんとし切れんガキなんぞ、よぉさんおるでよ」

 手入れの仕方とか教えてちょっと乗りにも出てみるかと、おじいちゃんは一旦ヘルメットなんかを取りに家に戻った。道路に面したシャッターを開けたら、奥から引き出したドラッグスターが、入ってきた日差しに目を覚ましたみたいに見える。
 今から乗るのか? ん。お前が乗るのか? 免許取り立てか大丈夫か? 俺の主人のじいさんはどうした?
 みたいな、声を掛けられてる気がするなんて話は、ふもとの人間にはそう簡単に出来ない。山の上で花を育ててきた習性だけど。
 シートやハンドルに手を当てて、
 安心してよ。借りるだけだから。おじいちゃんに乗り方教えてもらうんだよ。
 みたいな事を、頭の中で話しかけたらそれ伝わってくれる気がする、なんて話も。
「まぁ、舞は舞えなくなるけどな」
 父親の声が横から、殴り付けてくるみたいに感じて、
「え……?」
 って振り返るけど衝撃で、いまいち頭が回っていない。
「何それ」
「ん? それはそうだろう。エンジンやモーターの振動は最も、身に染み込んだ『型』を壊す」
 背が伸びてきてもまだ見上げる高さの父親は、さっきから殴り続けるみたいな言葉を、顔は微笑んだままで突き落としてくる。
「いや。ちょっと、ちょっと待って」
 違和感が激し過ぎて俺には、夢でも見ているみたいな感じだ。
「今まで別にバイク乗るのとか、反対、してなかっただろ? 免許も取って良いって、すぐ……」
「ああ。お前が取りたいのなら何も、反対する理由も無いからな」
 握っていたハンドルから何か、伝わっているみたいで、ドラッグスターが父親に敵意を感じている。
「今年の鬼神楽も無事に済んでくれて、言ってしまえばもう、これからは、お前が舞を続ける必要も無くなった」
 なんだこの親父。俺、コイツだけはどうも好きじゃないぞ。
「舞が、出来なくなったら困るよ俺! だって、まだ……、光希と全国大会出るんだって来年!」
 父親は「ああ」と事も無げに笑みを深めて、
「あのくらいならまぁ平気だろう」
 とか言ってきやがった。
「家の水準では、の話だ。あの全国大会くらいは、単なる遊びだろう?」
 そのフレーズで全身の血が、沸騰しそうなくらい腹が立ったけど、
「薫や」
 おじいちゃんの声がして、
「ちょいと、水を運んでくれんかのぉ」
 聞こえた途端に身体が動いて作業小屋の外まで歩いて行けた。小屋の外壁には水道が引かれていて、おじいちゃんのそばのバケツには、水がなみなみと入っていて、
「ああ。無理しないでよおじいちゃん。そりゃこんだけ入れたら重いって」
 とバケツに向かって屈んだ耳元に、
「争うな」
 って聞こえてきた。
「価値観が違う相手だ。実の父親でもな」
 返事はせずに頷いて、バケツの取っ手を握って持ち上げた。

 おじいちゃんが運転するドラッグスターに二人乗りで、いつもの道の駅まで行って、十月も過ぎたしおじいちゃんはアイスじゃなくて、店頭販売の焼きもちを買ってくれた。
 外に向けて並べられたベンチに座って、見える山は植林された常緑樹も多いから、どれだけ秋が深まっても紅く染まり切る事は無い。
「悪い人じゃあないんやけどもな。薫のお父さんは」
 前に光希からも言われていた事を思い出して苦笑した。
「もっと若い頃、そいこそ高校生の頃から知っておって、弓月とも、ホンマに気の合うてくれて」
 焼きもちはあたたかくて美味しいけど、隣でおじいちゃんが、ちゃんと噛み切れて飲み込めているかを俺は気にしている。
「気に入ったもんはホンマに全力で、守ろうとしてくれるし、全体も冷静によぉ見えとる。ただたまぁに、端っこにあるもんを忘れがちや。仕方ないわな。人は全方面で完璧にはなれん。ワシがそれを言い切れるのも、六十過ぎまではその辺を失敗しまくったからやからな」
 おじいちゃんおばあちゃんって呼んでるけど、本当は曽祖父母で、実際のおじいちゃんおばあちゃん、光希のお父さんにとっての両親には、俺も光希も茉莉花も一度だって、会えた事が無い。それこそ価値観が違って相容れなくて、歩み寄れもしなくて疎遠になったまま。
 包み紙は受け取ってゴミ箱に捨てて、駐車場のドラッグスターに戻ったら、
「帰りは、薫に運転してもらおうかい」
 っておじいちゃんはニコニコ顔を向けてきた。
「え」
 俺は、白いボディーやハンドルに目を落として、首を振って、
「出来ないよ」
 って答えたら、おじいちゃんが筋張った手で頭を撫でてくる。
「薫は、舞えとるよ」
「おじいちゃん……」
「ふもとのもんからしたら、十分過ぎるくらいに。そんでバイクの振動ごときで壊れやせんわ。機械は身体を壊すかも分からんけど、バイクは好きで乗るんやからな」
 あたたかい言葉まで掛けられるから尚更、言い出しにくいんだけど、黙っているわけにもいかない。
「そうじゃなくって、その……」
「ん?」
「俺免許取ってまだ一年経ってないから、二人乗り出来ない」
 は、とおじいちゃんはシワだらけな顔なりの限界まで、目と口を丸くした。
「今はそないなルールになっとんのかいな……」
「ごめん。最初にそう言わなくて」

 エンジンオイルを交換する時期でもあるから、普段整備をお願いしている自動車工場に、挨拶がてら行っておいで、一時間ちょっとで行ける場所だし練習にもちょうどいいだろうって、言われた時点から予想は出来ていたけど、
「ひっさしぶりやなぁ薫くん。ああ。連絡やったら来てんで」
 やっぱり光希のおじさんの工場だ。光希のお父さんの、妹さんの旦那さんで、おじいちゃんとはまた違った種類の土地訛り。
「すまん。おもろいな。見てて笑えてくるわ。どっちにも似てるような似てへんような」
「両親ですか」
「ああ。お母さんとは俺会えた事無いけど、双子の弟さんとはな。俺も一応御詠歌部おってん」
 サクサクと、相づちを打つ間も無いくらいに、だけど今伝えたいだけの言葉を効率良く、繰り出してくる。
「中間あたりのちょうどええとこ取りやないか。モテるやろ」
「いや。全然ですよ」
「ホンマか? 普通に生きてきたもんからはムカつくくらいあちこちから、モテまくってるて聞いてんで」
「誰からですか」
「アイツからやがな。おい、阪倉ぁ!」
 トタン屋根の小屋から出て来た、作業着姿の阪倉さんと顔を合わせて、ちょっと微妙な空気を感じながらお互い頭を下げたのは、俺ここ二、三ヶ月自動車学校に通っていて、御詠歌部にはほとんど足を運んでいなかったから。
「バイクは基本コイツかもう一人に任せてんねん。エンジンオイルの交換、頼むわな」
「はい」
 と阪倉さんも仕事モードな感じで、俺とは目を合わせようとしない。

 バイク棟に俺が乗って来たドラッグスターを、押して歩きながら、
「すみません」
 と阪倉さんが言ってきた。
「社長はいっつもあんな感じで。いらん事言いなんですわ」
 いえ、と微笑みながら俺には、担当者からフォローさせる事で、この先親近感を持たせる流れなんだなって伝わっていた。だけど、
「仕事はきっちりやりますんで。任せといて下さい」
 エンジン部分に向かったまま俺に顔を上げない阪倉さんの声色には、言葉自体には何も問題が無いはずなのに、トゲを感じる。
「いいっすねぇ。ドラッグスター。乗って来るとこ見てましたけど、似合ってるじゃないですか」
「借り物、ですけどね。張山の、家からの」
「いや。だから」
 工具を置いて別の工具に、持ち替える音がキンキンと鳴った。
「バイクには持ち主の、愛情とか金額とか、掛かりまくってんすよ。それを貸してもらえる時点で、よっぽどなんだって」
 作業しながらの口元には微笑みが浮かんでいるけど、
「まぁ、大事に乗ってあげて下さい」
 やっぱりトゲが残っているなと思って、
「すみません」
 と言ってみたら、
「何がですか?」
 と淡白な調子で返ってくる。
「御詠歌部、俺このところ行けてなくて」
「ああ」
 って阪倉さんは苦笑してきた。
「気にする事無いんじゃないですか? 免許取りに行ってるって話は、伝わってますし、みんな楽しそうにやってますよそこそこ。縦書きの楽譜ワケ分かんねぇとか言い合いながら」
「ああ」
 って俺からはつい苦笑が出た。
「確かに最初は、とっつきにくいですよね」
 俺には縦書きの方が普通で、五線譜にはかえって馴染みが無いんだけど、話を合わせておいた方が無難だっていつもごまかしている。
 しばらくして阪倉さんが、シートボックスの内側に貼り付けたシールを見せてきた。
「メーターの数値がこの辺りになったら、持って来て下さい」
「はい。ありがとうございます」
「……何か飲みます?」
 小屋の隅に置いてあった腰の高さくらいの冷蔵庫から、炭酸水を取り出して渡してくれて、俺には強めだなってちょっとためらったけど、飲めない事もないと思って受け取った。
「どうも。ありがとうございます」
「俺も一本もらいます。失礼して」
 炭酸水、を開けてそれぞれに、微妙な空気のまま飲む時間が続いて、俺にはやっぱりちょっと強めの炭酸だから、少しずつゆっくりめにしか飲み進めて行けない。阪倉さんの方は流し込むようにして、一気に空けてしまって、冷蔵庫そばのゴミ箱にフィルム剥がしながら投げ入れた。
「小石川さん」
「はい」
「カナちゃん食っちゃってもいいっすか?」
「食うって?」
 オウム返しに訊いただけだったのに、阪倉さんは吹き出して、
「いやっ……、そんな、真っ正面から訊かれると……! すみませんっ……。今のは、俺が大失敗っ……」
 うつむいた顔を押さえて腹まで抱えて、しばらくおかしそうに笑ってきた。
「他の言い方してみたって、余計に伝わりませんよね。いや。いいです今のは、自分が、間違いました。忘れて下さい」
 やっとな感じで息を、深く吸って、諦めたみたいな溜め息をついて笑みを浮かべて、
「女の子に興味とか無いんですか? 小石川さん」
 って俺には突拍子も無い感じの事を訊いてきた。
「興味……」
 意味や訊かれている意図が分からないわけじゃないけど、その単語にはどうも違和感がある。
「……があったって、どうしようもないですよね。光希からああ毎日、まとわり付かれてるんじゃ」
「張山さん? 今、どこにいます? 今日一緒にここにも、来てるんですか?」
 阪倉さんは人の良さそうなつまり、仕事用の笑顔だけど、今日これまでの流れの中で今が一番不愉快に感じて、
「もうそろそろ張山さん言い訳に使うのは、やめた方がいいっすよ」
 まだ半分以上残っているペットボトルの、栓を閉めてボディバッグに入れた。
「いや。いいと思いますよ。それぞれに好きな物、好きに選んでやっていけば」
 阪倉さんはドラッグスターのハンドルに手を掛けて、小屋の入り口まで引き出して、
「だけど、この先そっちに向かう気が無いんだったら、下手に待たせておくのもどうなのかなって、思っただけです」
 俺に向かって「はい」と、バイクのカギを返してきた。
「いつでも好きな所に行けますよ。どこにでも」

 争うな。
 っておじいちゃんから、言ってもらえていて助かったって、張山の家までを、ドラッグスターに乗りながら思い返していた。
 価値観が違う相手だ。
 普通に生きてきて、普通に親とか家とかがあって、普通の中から選び出して行く人間には、俺が中途半端に思えて見ているだけで、どこかイラッともしてくるんだろうけど、
 免許が取れて、バイクに乗れて、好きな道を選んで進めるのに、向かいたい先が無い。
 おじいちゃんから借りたバイクに、気を遣いながら、今の自分のハンドル操作や見える標識に集中して、進むだけだ。
 他人の声や目は気にしない、と言うより、俺には自分しか無い。


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